第5章 舞い降りたエンジェル(その68)
(無事に降りられたのだろうか?)
哲司は女性のことを気遣ってホームの人混みに視線を向ける。
だが、残念なことに、その姿を確認することはできなかった。
と、今度は、一転して、車内に人が雪崩れ込んでくる。
この駅から乗った乗客たちだ。
静かになっていた車内に、再び騒々しさが戻ってくる。
「あ、あのう・・・、そこ、空いてます?」
哲司は予想外の声に驚いた。
確かに、哲司が座っている席の窓側には今は誰も座っていない。
だが、そこはあの女性の席であり、彼女もそうしたことを意識したのだろう、足元に大きな鞄を置き、座席にはハンカチとポシェットのようなものを置いている。
つまりは、ごく普通に見れば、誰かの席であることが分るようにしていたのだ。
だからこそ、この駅から次々と乗り込んできた乗客たちも、一度はその席に視線を向けたものの、「ああ、ここは駄目だ」と通り過ぎて行ったのだ。
哲司はその声の主を見上げるようにする。
哲司は座っていて、相手は立った状態の筈だから、それが自然の成り行きだった。
ところが、その哲司の視線はすぐに止まることになる。
そう、哲司の顔より少し高いだけの位置に、その人の顔があったのだ。
「いえ、ここは連れの席ですので・・・。」
哲司は、準備していた言葉を口にした。
だが、それは非常に小さい声にしかならなかった。
その声の主は、非常に小柄な、いや小さくなってしまったお婆さんだった。
哲司には老人の年齢は捉えようがないが、それでも少なくとも80歳は超えているだろうと思われた。
特に大きな荷物は持ってないようだったが、それでも杖をつかなければまともには歩けそうにもない。
「ん? そ、そうですか・・・。」
お婆さんは残念そうに言う。
どうやら、もう視力も弱ってきていて、その席に荷物が置かれているのさえ、よく見えてはいなかったようだ。
少なくとも、哲司にはそう思えた。
「お婆ちゃん、どこまで行かれるのです?」
哲司は思わずそう訊いてしまう。
特に、それを訊く理由もないのにだ。
「いえ、構いませんですよ。」
お婆さんは、哲司の言葉をどう聞いたのか、少し的外れな受け答えをする。
そして、哲司の傍を離れて、車内の通路をさらに奥へと進んでいく。
「ああ・・・。」
哲司は、何かを言いかけたが、そこで固まってしまう。
(つづく)