第5章 舞い降りたエンジェル(その66)
哲司は「ドキリ」とする。
ジャンパーの袖から離れた赤ん坊の掌が、どこかへ落ちていくように思えたからだ。
哲司と赤ん坊の身体が同時に揺れる思いがした。
ジャンパーの袖から離れた赤ん坊の掌が宙を舞う。
彷徨うようにして何かを探している。
今まで触れていたものを再び握ろうとするかのようにだ。
哲司は赤ん坊の身体を支えている片手に少し力を入れる。
赤ん坊の手を捕まえることは出来ないが、それでもしっかりと抱いていることを身体で証明したかった。
すると、どうだろう。
一旦は宙を彷徨った赤ん坊の掌が、再び哲司の身体を探し当てる。
先ほどまで握っていたジャンパーの袖ではなくて、今度は哲司の腋の下辺りを掴んでくる。
そして、安心したかのように小さな溜息のようなものを洩らした。
「ふぃ〜・・・。」
走行する電車の中でのことだ。
乗客もほぼ満席になるほど乗っている。
相当に騒々しい筈だ。
それなのに、女性は、たった今赤ん坊が洩らした溜息のような声を聞き逃さなかった。
何を思ったか、赤ん坊の顔を覗き込むようにする。
「この子、どういう神経をしてるんでしょうねぇ・・・。」
「ん?」
哲司は、女性が言う言葉の意味が分らない。
「人見知りをしたり、男の人を極端に嫌ったりするから、相当に神経質な性格なんだと思ってたのですが・・・。結構、大胆な面もあるんですね。我が子ながら、驚いちゃいます。」
「大胆?」
「ええ・・・。直感っていうのでしょうか? 感性って言うのでしょうか? それに、これだけ素直に従えるなんて・・・。」
「?」
哲司は首を傾げる他はない。
そう言われても・・・、との思いがある。
女性が次の言葉を発しようとしたとき、車内アナウンスが始まるチャイムの音が鳴る。
それで、女性もその言葉を飲み込んでしまった。
車内アナウンスが、まもなく次の停車駅に着くことを案内してくる。
「いつもより早い感じがしますね。そんな筈もないのですけれど・・・。」
女性が腕時計で時間を確認する。
この親子が降りる駅は、次の次である。
(つづく)