第5章 舞い降りたエンジェル(その65)
赤ん坊の掌は、依然として哲司の小指を握っている。
ジャンパーの袖も持っている。
だが、先ほど女性が言っていたように、少しずつその力は抜けているようだ。
ジャンパーのそれは、哲司が肘を少しでも動かせば離れてしまいそうだし、小指だって多少強引に抜こうと思えば抜けるだろう。
そうは感じつつも、哲司は身体をじっと動かさない。
それは赤ん坊への配慮や労りではないような気がする。
自分がそうしていて欲しいと願うからのように思える。
「お疲れになったでしょう?」
女性がそう声を掛けてくる。
哲司が何も話さなくなったのを多少気にかけたようだった。
「いえ、とんでもない。大丈夫です。」
哲司は毅然とそう答える。女性のその後の言葉が想定できるからだ。
「そろそろ、眠り込んだでしょうから・・・。」
女性はそう言って両手を差し出してくる。
「今度は私が抱きます」との意思表示だ。
哲司の予想したとおりだった。
「いえ、僕なら、本当に大丈夫ですから。」
哲司はできるだけ柔らかく断りたいと意識する。
さすがに「このまま抱かせていさせてください」とは言い出せないが、何とかその思いだけは伝えたいと考えている。
「そ、そうですか? ほ、本当に?」
女性は哲司の顔を覗き込むようにして問う。
哲司は、女性の視線に目を合わせられなかった。
合わすと、それだけで心の奥底を読み解かれそうな気がする。
黙って首を縦に振るだけになる。
「もう、いつ横に抱きかえられても起きたりはしないと思います。巽さんがお楽な抱き方になさってくださいね。」
女性は母親らしい笑顔でそう言い添えてくる。哲司の気持が通じたのかもしれない。
哲司はコクリと頷く。
腕の緊張感を解くためには横に抱くのが楽なような気がする。
膝の上全体で赤ん坊の体重を均等に支えられるからだ。
それでも、哲司はその抱き方に切り替えられない。
今の、片方の膝の上にお尻を乗せて、上体を哲司の胸に凭れ掛けるようしている赤ん坊の姿勢を変えたくはなかった。
そうすれば、きっと、哲司の小指は赤ん坊の掌から抜けてしまうだろう。
と、その時だった。
哲司のジャンパーの袖を握っていた赤ん坊の手が、そこからするりと離れた。
(つづく)