第5章 舞い降りたエンジェル(その55)
「これぐらいの子は、手を開いては寝ないものなんですよねぇ。」
女性が、実感を込めるように言ってくる。
「ど、どうしてなんですか?」
哲司の単純な疑問である。
「それは、私にも分りません。でも、それはこの子だけではなくて、どの子も同じのようですから、やはり赤ん坊が持っている本能なのかもしれませんね。
小猿が母親にしがみついていないと生きていけないという自然界の遺伝子がそうさせているんじゃないかと言われているそうですが、そう言われれば、そうなのかもしれないって思ったりします。
これぐらいの子は、やはり母親の存在なくしては生きていけませんものねぇ。」
「なるほど、自然界の遺伝子ですか・・・。」
「ですからね、その子の掌の中に小指を入れてみてください。
そうすれば、そのジャンパーを引っ張らなくなりますよ。」
「本当に?」
「ええ、本当です。」
「・・・・・・。」
哲司は女性の言葉を疑うつもりは無かった。
それでも、自分の指でも、本当にそうなるのかどうかについては疑問符がついた。
だから、実際に言われたとおりにやってみることにする。
こんなこと、滅多に経験できるものではない。
それに、この程度のことであれば、目を覚まして泣き出すこともないだろうという安心感もあった。
哲司は、ジャンパーの袖を握っている赤ん坊の掌に、自分の手の小指をそっと差し込むようにする。
どの程度の力加減が良いのか分らないから、兎も角は、赤ん坊がしている“グー”の人差し指の部分の隙間に、哲司の小指の先を押し当ててみる。
すると、どうだろう。
それまで哲司のジャンパーの袖を握っていた赤ん坊の掌が、入ってきた哲司の指に反応して、それを握り替えたのだ。
むろん、意識があってのことではない。
赤ん坊は眠ったままである。
「ああっっっ・・・、言われたとおり・・・ですねぇ。」
哲司は赤ん坊を気遣って、意識して小さな声で言う。
それでも、驚いたのは事実だった。
「ど、どうしてなんでしょう?」
「それは、巽さんの指に人の温もりと肌の感触を感じたからだと思いますよ。」
「でも、赤ちゃんは、寝てるじゃないですか・・・。」
「だからこそ、防衛本能って言うんでしょうか、少しでも自分にとって触り心地の良いものに惹かれるんでしょう。」
「じゃあ、少なくとも、僕の指はこのジャンパーよりは触り心地がよかったと?」
「うふっ! はい、そういうことになるのでしょうねぇ。」
女性は、哲司の言った冗談に、口に手を当てるようにして笑ってくれる。
(つづく)