第5章 舞い降りたエンジェル(その53)
赤ん坊は、女性の手を掻い潜ろうとする。
と言うより、今やっている遊びが面白くって、口の周囲をガーゼで拭かれている暇は無いとでもいう感じだ。
女性の動きすら、目に入ってはいない。
「これ、薫。少しはじっとしなさい。」
女性はガーゼを持った手で、動き回る赤ん坊の顔を何とか抑えようとする。
それでも、赤ん坊の方は、そんな声は耳に入らない。
小さな両手でしっかりと哲司のジャンパーの袖を握り締めている。
それを支えにして、頭や顔、それに足を自由に動かすものだから、小手先だけではそうそう簡単には捕まえられない。
哲司が赤ん坊を抱いていた両腕をきゅっと窄める。
そうすれば、動ける範囲が狭まると考えたからだ。
ここは、あまり有頂天にさせてはいけない。
もうすぐ昼寝の時間がやってくるのに、こんな興奮状態ではとても寝ることなど出来ないだろうと思った。
「ほら、捕まえた。」
哲司は、両腕の中に赤ん坊を捕らえて、そう言った。
もちろん、その意味が赤ん坊に正確に理解されるとは思っていない。
それでも、そうしたきっかけを作った哲司としては、一応は女性が赤ん坊の口の周りをガーゼで拭えるようにだけはしておきたかった。
「キャヒュー・・・。」
哲司の耳には赤ん坊がそう言ったように聞こえた。
身体をぎゅっと抱きしめられたと思ったようだった。
その小さな身体を懸命に摺り寄せてくる。
「あ、有難うございます。ほんと、おてんばで、困ってしまいます。」
女性は哲司が赤ん坊の身体を抑えてくれたと思ったようで、まずは手にしていたガーゼで赤ん坊の口の周りを拭う。
「まるで蟹さんみたいに、興奮すると、口から泡を吹くんですよ。」
そう弁解をしたりもする。
「可愛いじゃないですか・・・。」
「でも、涎や何かで、お洋服が汚れますから・・・。」
「僕だったら、構いませんよ。そんなこと、気にもしませんから・・・。」
事実、哲司は、最近ではもうファッションのことを気にすることもなくなっていた。
殆どがジーンズに、上は夏はティシャツ、冬はその上からセーターかジャンパーを着込む程度だ。
お洒落もへったくれもない。
ただ、裸では寒いから着ているだけという感覚になってしまっていた。
で、見るからに汚れが目立つまでは、毎日同じものを着ている。
「そんなことおっしゃっても・・・。」
女性がその後の言葉を継ごうとしたときだった。
「あれ? この子、もう半分寝ちゃってますよ・・・。」
女性は、予想外の出来事だったのか、オクターブ高い声でそう指摘する。
(つづく)