第5章 舞い降りたエンジェル(その47)
それと同時に、赤ん坊はまたまた足を盛んに動かしてくる。
別に哲司を蹴っているつもりは無いのだろうが、身体を抱かれていて比較的自由になる足で自分を表現するかのようだ。
先ほどとは少し違って、哲司の太股を踏み固めるようにみぎひだりと交互にその足を下ろしてくる。
「これ、薫! 抱いてもらっているのに、お兄さんを蹴ったら駄目でしょう!」
女性は苦笑しながら、我が子のお尻をポンと叩く。
いかにも、そうした行動が出来る我が子を頼もしく見ているような目だ。
「赤ん坊って、もっと泣いたり喚いたりするものだと思っていたんですが・・・。」
哲司は、お世辞半分で、実感が半分の言い方をする。
正直、駅のホームで「抱いてみますか?」と言われたときには、逃げ腰だった。
できれば「お断り」をしたかった。
自分が抱いて、泣かれるのが一番嫌だった。
別段、悪いことをしているのではなくっても、抱いた赤ん坊に泣き喚かれるのは何とも不様に見えるような気がしていたからだ。
だが、ここまでのところ、そうした哲司が最も苦手とする状況には至っていない。
哲司が抱いても、この赤ん坊はご機嫌を損ねるようなことはなかった。
それどころか、笑ってもくれている。
もちろん、赤ん坊の間近に母親である女性がいつも一緒だから、という事情もあるのだろうとは思う。
何かがあれば、いつでもその母親の胸に戻れるという安心感があってのことだとは思う。
それでも、生まれて初めて、こんな小さな赤ん坊を問題なく抱けたことは、哲司にとってはどことなくくすぐったくなるような経験だった。
「そうですねぇ、生後3ヶ月ぐらいまでは、“飲む、寝る、泣く”の繰り返しで一日が過ぎていきますが、この子ぐらいになると、そのいずれにも属さない時間が少しずつ増えてくるんですよね。」
「今のような時間のことですか?」
「そうです。先ほどミルクを飲みました。今、胃がそれを消化し始めています。そして、それが順調になると、次は眠たくなるんです。
その飲んでから眠くなるまでの間の時間が、少しずつ増えてくるってことですね。」
「じゃあ、次はまたおネンネですか?」
哲司は、抱いている赤ん坊に向かってそう言った。
もちろん通じるとは思わないで言っている。
その時だった。
いきなり赤ん坊の小さな手が、今喋っていた哲司の口の中へと入れられた。
哲司はビックリする。
まさか、赤ん坊がそうしたことを意識してやったとは思えないのだが、「もうすぐ寝るんだよね」という意味のことを言ったのが気に入らなかったのかと思ったりする。
「あ〜ぁ、すみませんねぇ。そんなところへ手なんか入れて・・・。」
女性も口ではそう言ってくるが、その光景が予想以上に面白かったと見えて、笑いを堪えられないようだ。
哲司の口には、さっきの珈琲とはまた別のほのかな甘さが広がっていた。
(つづく)