第5章 舞い降りたエンジェル(その44)
余程お腹が空いていたとみえて、赤ん坊のミルクを飲むスピードは一向に衰えない。
一気に、最後まで飲み干すつもりのようだ。
途中で休憩する気配もまったく無い。
既に残りは1/3を割っている。
哲司はビールか何かの「一気飲み」を思いだす。
それほどまでに、赤ん坊の飲み方に凄さを感じる。
「いつも、こんなに速く飲まれるんですか?」
今日だけが特別なんだろうとは思えないが、かと言って、毎食、このスピードで飲めば、相当に体力を消耗しそうに思える。
その名の通り、赤い顔をして懸命に飲んでいる。
「ええ、そうですねぇ。」
「大丈夫なんですか? 息も苦しそうに見えますけれど・・・。」
「はい、大丈夫ですよ。逆に、いつもより遅いと、母親としては“熱でもあるのか”と心配になるぐらいですから、この食欲があれば、体調は良いのだろうと安心できるんです。」
「そ、そうなんですか・・・。」
「ああ・・・、もうちょっとで飲み終えますねぇ。
巽さん、顔を少し上げておいてくださいね。」
「はぁ? 顔を上げる?」
哲司は言われた意味がよく分からなかった。
それでも、その直後に、女性が言った意味が理解できることになる。
赤ん坊は、ミルクがなくなると、何を思ってか、両手で持っていた哺乳瓶を哲司の顔目掛けて放り投げてきた。
間近に顔を寄せていたものだから、哲司はそれを避けきれない。
空になって軽くなった哺乳瓶が、哲司の顔に弾き飛ばされるようして床に転がる。
「ああ、あらら・・・。言うのが少し遅かったようですねぇ。」
女性は笑いを殺すようにして、床に転がった哺乳瓶を拾い上げる。
「だ、大丈夫でした?」
言葉は心配そうだが、その顔には笑うのを我慢している苦しさのようなものが見え隠れしている。
「はい。大丈夫ですよ。でも、ビックリしました。」
哲司は、その言葉どおりに、目を丸くして答える。
「この子、やっぱり“おてんば”なのでしょうねぇ。誰に似たのかしら。」
女性は依然として笑いを堪えるようにして言う。
「これも、つまりは、哺乳瓶を放り投げるのも、いつものことなのですか?」
哲司は、“おてんば”という言葉から、そう想像した。
「はい。仰るとおりなんですよ。どうして放り投げるのかは分りませんが、いつもこうなりますね。
そう言えば、これって、いつの頃からし始めたのかしら・・・。」
女性は赤ん坊の顔を覗き込むようにして、笑いながらそう言った。
(つづく)