第5章 舞い降りたエンジェル(その39)
すると、どうだろう。
赤ん坊が哲司の顔を見に身体を捩ってくる。
縦抱きにして、肩の辺りに赤ん坊の顎が乗るようにしていた筈だったが、赤ん坊はその両手で哲司の肩を押しやるようにして顔を哲司の前に持ってくる。
そして、マジマジと哲司を見る。
「あんたですか? いま笑ったのは?」
そんなことを聞いてきそうな顔をしている。
哲司は、意味も無く、その顔に笑みをつくる。
「この子、男の人がそうして笑う声を滅多に聞かないものですから・・・。」
女性が我が子に成り代わって説明をしてくる。
「えっ? 僕、そんなに大きな声で笑いました?」
「ええ、気持良さそうに・・・。
それってね、そうして抱かれている子供には、肌を通じて伝わるんですよ。
以心伝心って言うでしょう? まさに、それなんだと思います。」
「以心伝心?」
「子供は、母親のお腹にいるときから、ちゃんと耳は聞こえているんです。」
「そ、そうなんですか・・・。」
哲司も、それぐらいの知識は持っていたが、この場ではそれを単に肯定することは憚られた。
「ですから、母親の声も、近くにいる家族の声も、そして日常的に聞こえる生活音もちゃんと聞き分けているんです。」
「へぇ〜・・・。生活音もですか・・・。」
「そうしたいろんな音の中で、一番頻繁に耳にしている音って何だと思います?」
「う〜ん・・・、何の音なんでしょう?」
「それは、心臓の音なんです。」
「心臓の音?」
「はい、母親の心臓の鼓動です。」
「ああ・・・、なるほど。」
「ドックンドックンって聞こえているのだと思うのですが、あの音って、女性の場合は、ましてや妊娠後期にもなると、平常よりも早くなるんですよね。
自分と子供の身体を支えているのですから。」
「な、なるほど・・・。」
「で、生まれてくるでしょう? そうすると、その音が聞こえなくなるんですよね。」
「ええ・・・。」
「それって、子供にとっては途方も無く心細いものなんです。ずっと聞き続けてきた音が聞こえないってことは。」
「そ、それは、何となく判るような気がします。」
「だからこそ、その母親の胸に抱かれると、その心臓の鼓動が聞こえてくるんで、安心するんです。」
「う〜ん、な、なるほど・・・。」
哲司は、女性の言葉に大きく頷く他はなかった。
(つづく)