第5章 舞い降りたエンジェル(その26)
「そうそう、おしゃべりに夢中でうっかりしてました。」
女性は、自分の手元に子供を抱き取ったことで少し落ち着いたようだ。
そう言いながら、足元の鞄から携帯用のポットを取り出してきた。
「これ、先ほど言ってた珈琲です。
お口に合うかどうかは分りませんが、よかったらどうぞ。」
そう言って哲司にポットを手渡してくる。
「じゃあ、遠慮なくいただきます。」
「あっ!・・・面倒くさいので、最初からお砂糖もミルクも入れてますので・・・。」
「はい、・・・。」
哲司はそう言ったものの、このままでは気の毒だと思った。
実は、そのポットと同じものを実家にいるときに使っていたのだ。
だから、その構造をよく知っていた。
上の蓋を取ると、中蓋のようにしてコップがひとつだけ装着されている。
それに注いで飲むのだが、もしそれを哲司が使うと、その後、この女性も同じカップを使うことになる。
つまり、間接キスをするようになる。
もちろん、同じ家族や恋人であればそれでもいいのだろうが、哲司と女性は今日初めて会ったのだ。
幾らなんでも、それは失礼だろうと思ったのだ。
「すみません。僕もトイレに・・・。」
赤ん坊のオシメに関連付けるようにそう言って席を立つ。
女性がすくっと笑ったように思った。
この列車は3県を跨ぐ距離を走る、いわば長距離列車だ。
だから、2車両ごとにトイレが付いていた。
哲司は、そちらの方へと向かう。
だが、トイレがしたいわけではなかった。
その近くに、珈琲などの自動販売機があったのを思い出したのだ。
しかも、幸いなことに、缶入りではなくて、紙コップが自動的に出てくるタイプだ。
鉄道会社も考えているのだろう。
資源ごみになる缶よりも、軽くて処分しやすい紙コップの方が、清掃時にも都合が良い。
哲司はその自動販売機でお茶をひとつ買った。
何でもよかったから、一番安いものにしただけだ。
要は、それを飲んだ後の紙コップが欲しかったのだ。
その場所で、哲司は一気にそれを飲んだ。
そして、洗面所のところで、その紙コップをごく簡単に水洗いする。
「これで珈琲を飲んだら・・・・。」
哲司は、あることを女性に話してみたくなっていた。
(つづく)