第4章 奈菜と言う名のマドンナ(その51)
「うちには母親っていう存在があるから助かっているのだろうな。」
哲司はそう思う。
母親だって、決して何でも気楽に話せる存在では決してない。
それでも、父親に対するほどの壁の高さは感じない。
確かに口やかましいことを言ってくる。
いま風に言えば、まことにウザったい存在ではある。
だが、日常生活をする上においては、父親よりもどうしても接触は多いし、またその必要性も高い。
また、父親との中間地点にいるものだから、互いに直接言い難いことは、母親を介して意向を伝え合うこともあった。
だから、もし、中学を卒業する時に母親がいなかったとしたら、哲司は工業高校へも進学していなかったと思う。
その点、奈菜の場合は、そうしたクッションが無い。
つまり母親がいないことで、父娘の距離の乖離がますます大きくなったのではないかと思う。
火事という事故によるものだから致し方ない面はあるが、やはり思春期の子供にとって、理想が高い父親と一対一で話すというのは苦しいに違いない。
あのコンビニの店長が、「火事で母親を失ってから、家庭内がしっくり行っていなかったようだ」というのも頷ける。
多分、哲司が奈菜の立場でも、きっと同じ結果になっただろうと思う。
互いに、本音で話せない。
「そ、そうか!」
哲司は手をポンと叩いた。
奈菜には母親がいない。
つまり、父親との間のクッションが無いってことだ。
その母親の代わりを、あの母方の祖父や叔父に求めたのではないか。
そう考えれば、祖父であるあの喫茶店のマスターの言い分と、父親の言い分の違いは、それとなくに理解できそうな気がしてくる。
そうだよなあ。
俺だって、父親には直接言えないことでも、母親にだったら、何とか伝えられるもの。
きっと、母親のイメージを、あの母方の祖父に求めたくなったんだろうな。
それならば、奈菜の煮え切らない態度にも、理解の糸口がどこかにあるだろうと、哲司は思った。
(つづく)