第4章 奈菜と言う名のマドンナ(その48)
哲司は、自分の部屋に戻って、改めて父親が下書きをした言葉を読み返していた。
丁寧な事に、住所や哲司の名前の欄まで、鉛筆で下書きがされている。
いくらなんでも、それぐらいは俺でも間違わんよ、とは思うのだが、今までのことからして、父親が「念には念を入れる」気持の表れなのだと苦笑する。
それだけ、自分が信用されていないことの裏返しなのだ。
哲司が感嘆したのは、やはり「志望した理由」だった。
「どのような理由で当校への入学を希望されたのですか?」
記入欄の冒頭には、そのような質問が書かれていた。
父親が書いた下書きの全てを覚えているわけではないが、兎も角も、当時の哲司には到底考えられないような言葉が並べられていた。
「これからのグローバル化を考えれば、日本の製造業も、少数精鋭とならざるを得ない。そうした国際競争力時代に向かうに当たって、これからは即戦力としての技術者が求められる時代になると思われる。
そうした時代背景を考えたとき、御校のように、真心と熱意を持った熱い技術者を育成するとの理念に共感するものです。
ぜひ、その一員に参加させていただきたい。」
確か、そんなことが書かれてあったと思う。
その時には、「何でこんなに沢山の言葉を書かなければならないんだ?」と訝ったことも事実だが、さりとて、自分で書けと言われたとしたら、何一つ言葉が出てこないことに気がついたのだ。
もともと、じっくりと考えることが苦手な哲司である。
その書類の各項目をひとつひとつ見ていくうちに、これは父親の下書きの通りに清書するのが楽でもあり、より現実的なのだろうと思ったのだ。
この内容ならば、仮に担任が何か文句をつけたとしても、父親が書いたものだということは直ぐに分るだろう。
それだけ哲司としては言い訳がしやすいってこともある。
30分ほどを掛けて、哲司はその書類を清書した。
そして、改めて全体を読み返してみる。
記入洩れも無いし、間違った部分も無い。
また、封筒とその書類を持って、再びリビングへと足を運ぶ。
「書いたよ。これでいいんだろ?」
そっけない言い方で母親に見せる。
母親は、にっこりとして、その書類を受け取った。
「しゃあ、今からパンを焼くね。」
そう言って、トースターに食パンを入れてスイッチを押す。
(つづく)