第4章 奈菜と言う名のマドンナ(その47)
「それ、お父さんが、この通りに書くようにって。」
母親は、哲司が書類を見るタイミングを計って言った。
「どうして?」
「どうしてって、こっちから無理を頼んで受験させてもらうのだから、それなりの書き方ってのがあるんだよ。」
「でも、ここに書いてあるのは、父さんの思うことなんだろう?」
「そりゃあ、そんなんだけれど、お父さんが、お前の立場に立って、一生懸命に考えてくれたものなんだからね。
ありがたいと思わなくっちゃ。」
「余計な事を。」
「・・・・・・・・・・」
哲司の最後の言葉が引っかかったのか、母親はそこから何も言わなくなった。
哲司は、上から順番に、父親が下書きした言葉を読んでみた。
黙って、目で追っていただけだったが、そのうちに、読む姿勢が変わってきた。
椅子の上で座りなおしてから、その続きをまた読む。
突然、「がしゃっ!」という音がした。
トースターから、焼けた食パンが飛び上がった音だった。
いつもは、哲司がこの音を聞くことはまずない。
母親が、焼けた食パンにバターを塗って、それを皿に入れてから、目覚まし時計の音だけでは起きられな哲司を起こしにくる。
それで、ようやくベッドから出られるというのが普通のパターンだった。
「バターでいいのかい?」
母親が確認をする。
たまに、今日はジャムがいいなどと言い出すことがあったからだ。
「う〜ん、・・・・あとでいいや。」
「えっ?・・・あとでって?」
母親がキョトンとした顔をする。
「この書類、今からボールペンで清書するから。」
哲司がそう言って、食卓から離れた。
封筒とその書類を重ねて手にして、そのまま自分の部屋へと入って行く。
その後姿を見て、母親が言葉を投げる。
「じゃあ、それ、書き終わった頃に、改めてパン焼いてあげるから。」
母親は今焼いた食パンを、自分の口に咥えた。
(つづく)