第4章 奈菜と言う名のマドンナ(その42)
「気が進まないんだけれど・・・・、これ、書いて来いって、担任が。」
家に帰った哲司は、母親にその書類を見せてそう言った。
精一杯の言い草である。
母親は、どうしてだか、今日、その書類を哲司が持って帰ってくることを知っていたようで、特別に驚くような態度は見せなかった。
それどころか、「ああ、そうかい」とだけ言って、封筒に入った受験申込書の中身をチラッと見ただけで、こう言葉を続けた。
「この書類、お父さんに書いてもらうから、書斎の机の上に置いてきなさい。」
中身をよく見もしないでそう言い切るのだから、きっとその書類が何であるかは知っているのだろうと哲司は思った。
もう何日も前から、母親が頻繁に学校にやってきていることは、それとなく知ってはいた。
たまたま偶然にその姿を見かけることもあったし、友達から「お前のところの母ちゃん来てるぜ」と冷やかされた事もあった。
知っていて、それでもわざとそのことには触れなかった。
父親の意向を受けて、学校と緊密に相談をしているのだろうと想像するしかなかった。
「もう、どうにでもして・・・。」
それが本音だった。
その夜、夕食が終ると、哲司はテレビを見ることも無く、直ぐに自分の部屋へ篭った。
父親は、もう20分ぐらいで戻ってくる。
毎日、定刻に家を出て、定刻に戻ってくる。
そんな父親だった。
いつもは、父親が戻って食卓についても、哲司はと言えば、父親がいるいないに関わり無く、リビングソファに横になってテレビを見ていた。
一応は「お帰り」とだけは声を掛けるが、それ以外は黙ったなりでいる。
父親を無視していると言っても決して言い過ぎではない態度だ。
だが、その日は、さすがの哲司も、その場にはおられなかった。
食卓に着けば、当然のように母親が「書類」のことを話し出すに決まっている。
「おい、だったら、その書類をもってこい」と父親は言い出すだろう。
「書斎の机の上においてある。」
そんな言い訳が通るとは思えない。
そこから先は、想像すら付かない。
だから、それから退避するために、テレビを放棄して自室に立て篭もったのだ。
(つづく)