第4章 奈菜と言う名のマドンナ(その39)
「奈菜のお腹にいる子供の父親は俺ではない。」
このことは哲司は断言できるし、奈菜だって断言できる筈なのだ。
そうした結果に繋がる行為ひとつなかったのだから。
だが、父親の立場は、この部分から疑いを持っている。
今日の一連の話で、何とか「違うのかもしれない」と思ってくれたかもしれないが、かと言って、完全に信用したとも思えない。
何しろ、こうしたことは当人同士でしか分らない事だからだ。
口先だけなら、何とでも言える。
その一方で、あの叔父や祖父は、そうした疑念を口にはしていない。
つまりは、「無関係」を認識してくれている。
そんな気がする。
その違いは、奈菜がそのように説明をしているかどうかの違いなのだと思う。
と、言うことは、奈菜は、父親にはそうした点を曖昧のままにしていて、一歩距離がある筈の母方の叔父と祖父には、それなりの話をしているという事になる。
どうしてなのだろう?
普通の場合、叔父や祖父よりも父親のほうにより真実を伝えるものではないのか?
常識的には、それが本当だろう、と思う。
それが、奈菜の場合、逆転をしている。
今回の子供の件だけがそうなのか、あるいは他の事も含めて、全般的な信頼関係がそうなっているのかは哲司には分らない。
だが、今回のことに限って言えば、奈菜は父親に対して距離を取っている。
「火事で母親が死んでから、どうも親子関係がギクシャクしているようで・・・」
コンビニの店長が言った言葉が蘇ってくる。
「う〜ん、そこに何らかの原因があるとしてもだ、自分の一生を左右しかねない妊娠に至った経緯を実の父親にきちんと説明できない、あるいはしない、というのはどういうことなのだろう?」
そこに、今回の一件の話がややこしくなっている根本的な原因があるような気がしてくる。
母親が生きていれば、今回のような事には至らなかった?
いや、決して、そうとは言いきれない。
だが、もし、仮に母親が生きていたとすれば、奈菜の気持や対応の仕方にも大きな違いがあったのではないか。
そんな気がする哲司である。
(つづく)