第4章 奈菜と言う名のマドンナ(その20)
「ん?・・・・・」
哲司の記憶の端に、何か引っかかるものがあった。
「この電話が切れた後の余韻のような感じ・・・・。」
どこかで同じ感覚に出会ったような気がする。
「冬のときにも、あんたは同じことを言ってたんだよ。」
母親はそう言った。
そうなのだ。
数ヶ月前、今と同じように母親から「帰って来い」との電話を受けていた。
てっきり忘れていたが、そう言えば、その電話に対しても今と同じように「返事する」と言ったような気がする。
だが、その返事はしていない。
つまり、帰るとも帰らないとも言ってなかったってことだ。
「そ、そうだ!」
哲司は驚くような声を上げた。
「あの釣銭事件の時、直前に、今と同じような電話があったんだ。
だから、どうしようかと、考えながら店に行ったんだ。」
新たな発見である。
何度考えても、日頃の哲司ではない行動を取っていた。
釣銭を受け取ったのに、その金を確認しなかったのだ。
あれほど、金には細かいくせに。
それがどうしてああなったのか、それがどうしても自分でも理解できなかった。
ぼや〜っとしていた。
何か考え事をしていた。
幾つかの前提を想像してみたが、どうしてもその時の状況に辿りつかなかった。
だが、答えは、意外なところに転がっていた。
逃げたいと思っていたからかも知れない。
実家に戻れば、一言二言、聞きたくはないことを言われるのは覚悟しなければならない。
それは分りきっている。
その実家から、一度帰って来いと言われたのだ。
本音は、何らかの理由をつけて、「帰れない」との答えなのだが、その肝心な「帰れない理由」が思いつかない。
女の涙に弱い自分を意識している哲司は、母親が泣き落としが出来ないような「帰れない理由」を考える必要があったのだ。
バイトがあるでは線が弱い。
かと言って、行ってもいない専門学校のことを理由にはしづらかった。
哲司は無い頭を絞ることになっていた。
それが、あの「釣銭事件」の日である。
(つづく)