第3章 やって来たパパ(その56)
「そう、自分のために、なんです。
誰のためでもなく、自分のためにです。」
奈菜の父親は、その哲司の言葉に被せるようにして、同じような言葉を繰り返した。
「そうですよねぇ・・・・・・。自分のために・・・。」
哲司は、同じ言葉なのに、自分が言った場合と、奈菜の父親が言った場合とに、かなりの温度差があることに気がついていた。
「ですからね、私は少し遠回りをしているんです。
先ほども言いましたが、若い時にももう少し早くに自分の立つべき位置を意識できていたら、人生はまた少し違ったものになっていたのかな・・・なんて。」
父親は、また珈琲を一口飲みながら、呟くようにそう言った。
「いえいえ、ちゃんとお仕事もされているんですし、副支店長さんなんでしょう?
一般的には、俗に言う“勝ち組”ですよ。」
哲司は自分の嫌いな言葉を敢えて使った。
「う〜ん、そうでしょうかねぇ?
じゃあ、君自身はどちらだと思うんですか?」
「う〜ん、・・・まだ、どちらとも・・・。」
「そうでしょうねぇ。それが当然だと。
で、君は、人生の“勝ち負け”って、どこで決まるものだと思います?」
「・・・・・・・」
哲司は、答えられない。
考えた事もない。
「でもね、これだけは覚えておいて欲しいんです。
君のご両親は、野球やサッカーのファンと同じで、君の大ファンなんですよ。」
「そうでしょうか?そうは思えないんですが・・・。」
「そうですよ。
君からすればうっとうしいと思われるのかもしれませんが、野球やサッカーのファンと同じなんです。
愛するがゆえに、失敗した選手には手厳しい非難の言葉を浴びせるんです。
そうでしょう?」
確かに、熱烈なファンというのは言われるような側面がある。
「ファンは、例え野球やサッカーが好きでも、プロの選手の代わりにプレーに参加する事は出来ないんです。
それでも、我が事のように、ひとつのプレー、ひとつのゲーム、そしてその結果に、本心から一喜一憂するものなんです。
ある意味で、親が子供のことを思うのと共通したものがあるんです。」
(つづく)