第3章 やって来たパパ(その55)
「そうなんです。
それでね、その日から1週間後には、パリに行っていました。」
「それは素早い。で、どうでした?」
「いゃあ、散々でしたね。」
「駄目だったってことですか?」
「いゃあ、良いも悪いも、言葉が通じない。」
2人は、そこで互いの顔を見て笑った。
「だから、今のイチローや松井などは、やはり野茂というお手本をよく見ていたんだと感心しますよ。
今、テレビなんかで見ていると、言葉の不自由さなんてないのではないかと思ったりします。
野球の技術を磨くことも大切なんですが、やはり本場のアメリカで通用する選手になろうとすれば、やはり言葉を含めたコミュニケーションの術も身に付けておく必要があるんですね。
その点、私は、まったく駄目でした。
ですから、門前払いを食ったようなものでした。」
「それは残念でしたね。」
「いえ、残念だと思う前に、この料理の世界で勝負するのなら、もう10年は早く自分の気持に気がついていなければ駄目だったことを思い知ったのです。」
「そんなに、10年も前に気が付かないと駄目ですか?」
「はい、そう思いますね。
ですから、銀行も、取り合えずだと言ったんです。」
「・・・?
と、言うことは、まだシェフになる夢はお持ちだと?」
「もちろんですよ。
人生は長いんです。
平均寿命が80歳を超えようとしているんです。
それから考えれば、私もまだ半分をちょっと過ぎたところです。
まだまだ、チャンスはあると思っているんです。」
「凄いですねぇ。」
「凄いことなんかじゃありませんよ。
それこそ、誰のためでもなく、自分のためなんですから。」
「自分のため、ねぇ・・・・。」
哲司は、先ほど自分が口にした言葉に、どうしてか戻ってきてしまったことに、少なからず驚いた。
「働くのは、誰のためでもなく、やはり自分のためでしょう?」
と奈菜の父親に向かって言っていたのだった。
(つづく)