第3章 やって来たパパ(その44)
「どんな仕事でもいい。今日の糧が得られることが大切なんだ。
それが、明日に繋がる。」
何度となく聞かされた言葉である。
そういう両親だったから、曲りなりにでも工業高校を卒業して、地元の家電販売店に就職したときは、それまで見せたことがないほどの喜びようだった。
哲司自身は、卒業できたことで、苦手な授業や勉強から逃れられる悦びはあったものの、学校が渡りを付けてくれた家電販売店の仕事には、あまり関心はなかった。
工業高校へ進学したときと同じ感覚だった。
中学3年になったとき、高校へは行くつもりなどなかった。
だが、それは、自分なりの信念があったからではない。
それを方向転換させたりは、両親でも学校でも教師でもなかった。
周囲の遊び友達の存在だった。
友達は皆、取りあえずにでも、どこかの高校へ進学をする。
だから、自分ひとりが進学しないとなると、連れがいなくなる。
それで、ようやく高校と言うものを少しは意識した。
だが、哲司の学力ではまともに勝負しても届かないであろうことは、学校も両親も、そして誰より哲司本人が分っていた。
だから、哲司自身は、もうどこへも行きたくはなかったのだ。
負けると分っている喧嘩はしないタイプだった。
だが、そうした現実を覆したのは他ならぬ両親だった。
哲司自身は詳しいことは知らされていないが、どうやら両親が学校側に頼み込んで、推薦と面接だけで何とかできる学校を探し出したのだ。
しかも、その推薦できるレベルにも達してはいなかったのだから、それをも改ざんして書類を作ったようだ。
「汚い手を使うもんだ」と思ったこともあった。
具体的なことは聞かされてもいないし、敢えて自分から聞こうともしなかったが、裏の手を使ったことだけは当事者本人として頭の片隅にいつまでも残っている。
そう、今でもである。
そして、4年の工業高校生活も何とか誤魔化してでも卒業にこぎつけた。
今度は、親の助けは受けなかった。
その代わり、自分でいろいろいと「奥の手」を使っていた。
試験のときには、カンニングの名手だった。
当然に、事前に周囲への根回しもやっていた。
それでも足りない単位は、再試験を繰り返した。
だが、頭のどこかに「学校は俺を卒業させたいんだ」という確信はあったのだ。
先輩達の話を聞いていても、警察沙汰を起こしさえしなければ、卒業が出来なかった生徒は誰一人としていない、との話だった。
学校の面子である。
(つづく)