第3章 やって来たパパ(その37)
食後の珈琲なのだ。食事が終っていないのに出してどうする?
確かに、言われるとおりである。
哲司には言葉はない。
「すみません。余計なことを言いまして。」
哲司は素直に謝ることにする。
如何にこちらは客だと言っても、相手の女性もこれまたプロなのである。
そのプロの気配りに気がつきもせず、勝手な思い違いをしたのだから、謝って当然だと思う。
彼女は、哲司のその言葉には直接触れないで、にこやかな笑顔を返すだけである。
客に不愉快な思いをさせないための配慮だろう。
珈琲が入ったようで、部屋一杯に珈琲のいい香りが満ちてくる。
つい先ほどまでは、濃厚なステーキの香りがしていたのだが、食べ終わってしばらくすると、いささか鼻に付く。
そこに、今度は切れ味鋭いと感じる珈琲のシャープな香りが立ち昇ってくる。
「お好みで、よろしければミルクをどうぞ。」
テーブルの上には、シュガーケースとともにミルクが入った容器が並べて置いてあった。
「いえ、ミルクは結構です。」
哲司はいつもと同じ飲み方をするつもりだった。
砂糖だけで飲む。
「ああ・・・。お節介だと思うんだけれど、ここのミルクは入れる価値があるよ。
騙されたと思って、少しでいいですから、入れて飲んでみてください。」
向いに座って食事を続けていた奈菜の父親が、その口を止めてそう言った。
「ええっ?・・・そうなんですか?」
普段なら、誰に言われようと自分の主義を貫き通す哲司である。
ミルクは入れないと言えば、徹底して入れなかった。
例え、後で後悔する事になったとしてもだ。
だが、不思議なことに、その父親の言葉に素直に従ってみようと思う気持があった。
「じゃあ、少しだけ。」
哲司はそう言って、本当に少量だけミルクをカップに注ぎいれた。
そして、スプーンでかき混ぜてみる。
あれだけ濃い色をしていた液体が、ほんの僅かなミルクを入れただけなのに、直ぐに柔らかな色合に変化していく。
カップを少し持ち上げるようにして、香りを再度確認する。
肉料理の後に感じる珈琲の香りにある、あのシャープさが消えていないか心配になったのだ。
だが、そんな心配は無用だった。
ミルクの白さが入っただけで、その影には切れ味鋭いあのシャープさがしっかりと隠れている。
まるで、これから居合い抜きでもしそうな気配だ。
(つづく)