第3章 やって来たパパ(その35)
それからは、奈菜の父親は食べるスピードを上げたようだった。
哲司は、自分の主張が一応は認められたこともあって、自分から話を切り出そうとは思わなかった。
ただ、自分の席に戻って、改めて奈菜の父親が食べるのを眺めるだけになる。
3分ぐらいたったろうか、部屋のドアがノックされた。
哲司は自分から動いた。
自分が電話をして注文した珈琲が来たのだと思ったからである。
それに、奈菜の父親はまだ食事が済んではいなかったからでもある。
哲司がドアを開けると、制服を着た女性がワゴンを押して入ってくる。
「お待たせを致しました。珈琲をお持ちいたしました。」
「ありがとう。」
哲司はそう答えた。
このように店で、そのように対応するのが正かどうかまでは考えていない。
ただ、先ほどの電話と言い、こうして部屋へ運んでくる際の姿勢と言い、哲司の気分を害するような対応がされなかったことで、自然とそう言いたくなったのだ。
確かに、奈菜の父親は、この店にとっては「いいお客」なのだろうと思う。
地方銀行の副支店長という肩書きもあるだろうし、何よりも「料理を愛する」気持がある客なのだろうと感じる。
それは、スタッフの接し方を見ていると何となく分るものだ。
対応のひとつひとつに、単純にマニュアル化された以上のものがある。
1目も2目も置いた感じがする。
それに引替え、その連れだとは言っても、哲司はたかが20代前半の青二才だ。
服装だって、その辺のコンビニの前に座り込んでいても何の不思議も無いほどのラフさである。
恐らくは、この店に来る客で、今日の自分と同じように服装でやって来た人間はいなかっただろうと思う。
入ってくるときに感じた違和感も、そう言った外見の恥ずかしさがあってのことだ。
だが、哲司が気にしていた、そうした客を差別するような感じはまったく無かった。
電話であっても、何度も来ているであろう奈菜の父親と、年齢も言葉遣いも違う哲司を混同することはありえない。
つまりは、連れの若造の声だと分っていたに違いない。
それなのに、父親とまったく同じような対応がなされた。
このことは、意識するかしないかは別にして、世の中を斜め下から眺める癖が付いていた哲司にとっては、多少ならずもカルチャーショックだった。
ワゴンを押してきた女性は、哲司の席の傍にそのワゴンを留めた。
そして、ワゴン全体を覆っていた布を取り去ってから、珈琲を入れる準備に取り掛かる。
(つづく)