第3章 やって来たパパ(その32)
「そうですか、それは良かった。
料理をする人間にとって、シンプルな言葉ですけれど、“美味しい”と言っていただけるのが一番の褒め言葉に聞こえますから。
私も、嬉しいです。」
父親は、旨そうにパクつく哲司の姿を見て、満足そうにそう言った。
「いゃあ、ホント、マジに旨いっす。」
とうとう哲司の口からタメ口が出た。
とは言うものの、それをじっくりと味わっている風にはとても見えない。
ただ、次から次へと口に放り込んでいる、といった感じだ。
手も、そして噛んで飲み込む口も、一時も休まない。
まさに、行儀の悪い食べ方ではある。
何日か振りに食事を与えられた子供のようだ。
がっついて食べている。
「君は、本当に、美味しそうに食べますねぇ。」
真正面の席で、哲司が食事をするのを眺めていた奈菜の父親は、感嘆するようにそう言った。
確かに、こうした店での食事のマナーからは大きく逸脱をしている。
作法とか礼儀とかは、完全に無視している。
まるで、自分の家か、親しい友達の家で食事をしているような錯覚に陥る。
だが、見ていて、気分がスカッとするほどの食べっぷりなのだ。
豪快だとか、健啖だとか、という表現ではピッタリと来ない。
何というのか、野生の若い猛獣が初めて狩に成功して、喜び勇んでその獲物にかぶりついている。
そんな表現がもっとも相応しいような感じだ。
奈菜の父親は、自分の皿に手をつけることを忘れたかのように、哲司の食べるのをじっと眺めていた。
しばらくは、互いに話すことをしないでいた。
それから、10分もたっただろうか。
哲司の前の皿は、完全に食べつくされた状態となった。
つまり、「完食」に至ったのだ。
そこまで来て、ようやく哲司は顔を上げて、視線を奈菜の父親に向けた。
「いゃあ、マジに旨かったです。こんなにステーキが旨いものだとは知りませんでした。
今まで食っていたステーキと名が付くものは、一体なんだったんですかね。」
哲司は、笑うしかない。
褒めるのと、自嘲するのが入り混じった言葉になった。
父親は、哲司の視線を受けて、改めて微笑んだ。
「いやいや、凄い!
私も、いろいろな人に同じように料理をお作りしたことがありますが、君のように真正直な食べ方をしていただいたのは初めてですよ。」
「ん?・・・・真正直?」
哲司は、何を言われたのか、とんと分らない。
だが、次の父親の言葉を聞いて、飛び上がった。
「良かったら、私の分、食べませんか?
まったく手を付けちゃあいませんから。」
奈菜の父親は真面目な顔で言っている。
(つづく)