第3章 やって来たパパ(その29)
哲司の、この奈菜の父親に対するイメージは、その大部分をあの店長やマスターからの話に基づいて作られている。
奈菜の口からも、その父親については殆ど語られてはいないのだから、止むを得ない一面はある。
だが、奈菜の母親との出会いの話が余りにもインパクトが強かったことから、どうしても「自分勝手、頭の固い、物分りの悪い」という印象があった。
しかも、哲司が苦手な銀行マンである。
人種的に、数字だけでものを言う人間は嫌いだった。
今日、こうして会うということは、哲司はまったく予想していなかった。
だから、突如として目の前に現れた奈菜の父親に対しては、第三者から聞いた話でのイメージだけで対処することになった。
それは、それで致し方のないことだと思う。
防衛本能が自然と働いた。
「父親は、“てっちゃん”と呼ばれる男が、奈菜の相手だ、と思いこんでいる。」
そのような情報があったのだから、身構えるのは当然でもあった。
そうした責任を言われても、到底対処できるものではないからだ。
アパートの前から、つい先ほどまでは、やはりそうした感覚から抜け切れてはいなかった。
「攻められている」と思うから、「防戦」に躍起になった。
誤解をされていると分っていても、それを覆すだけの理論武装が出来ていない。
感情論が前に来る。
事前にアパートや哲司の顔を確認し、この店もちゃんと予約をしていたにもかかわらず、あくまでも、「それとなく」を匂わせる計算が嫌味だった。
哲司が到底出入りできない世界に引きずり込んでから、半ば強制的な交渉を進めようとした意図も自然と分って来ていた。
無性に腹が立って、抵抗したくなっていた。
ところがである。
そうした印象しかなかったのに、その父親は「若い頃は、シェフになりたかった」という夢があったことを語り、さらには、詳細の理由は分らないのだが、銀行への就職も「とりあえず」というスタンスだったと言う。
ましてや、今こうしている間も、鉄板の傍にいるのが楽しくて仕方が無いという雰囲気なのだ。
これが驚きに繋がらない筈はない。
「こりゃあ、少し、思い込みが激しかったかな?」
哲司は、ふと、そんな気がしてきた。
次第に料理が出あがっていく。
うまそうな匂いが、部屋中を支配していく。
(つづく)