07 誕生
戦場の雰囲気が激変した。
それは戦場に響く『歌声』のせいだ。
蟲の報せに乗せて流れる不可解な音の羅列。
聴く者に不安を植えつける旋律の歌はコミュニティと呼ばれる能力が乗せられた歌だ。
その歌が聞え出すと動きを止めていた『蟻』の身体が痙攣を起こし、蠢き姿を変貌させる。
あの武神とそっくりの蟲者、『蜂』の姿がそこにあった。
「これは一体何なのだ!?」
『これはまずいぞ…!』
アルフォンツォの驚愕し、シュケイが震える。
味方であったはずの『蟻』は一部の鈍色を残して『蜂』へと姿を変えた。
かの武神が纏っていた闘気に比肩するほどではないが、それでも先ほどまでとは比べ物にならないほどの重圧が放たれている。
アルフォンツォはこの『擬蟲者』が『蟻』と『蟻』の女王を利用した、軍師ヴァローネの生み出した兵器であることを知っていた。
コミュニティと呼ばれる能力を使い、奴隷と『蟻』を素材に使って生み出した人蟲の契儀を結ばずとも『蟲者』を操作するというものだ。
しかし、今はその操作を『蜂』に奪われている。
更に、『蟻』が『蜂』に姿を変えているということは『蜂』の子が植えつけられているはずだ。何時の間に植えつけられていたのかは分からない。
分かっているのは『蟻』は敵に、ヴァローネと王は既に死んでいる、ということだ。
「武神、許すまじ…!!」
『アルフォンツォ!こやつらはまずい!死ぬぞ…!!』
シュケイの叫び通り、『蜂』の『擬蟲者』は先ほどまでとは違う精彩のある動きでエトグラーセの兵士も、スルフニエツの兵士も関係なく蹂躙し始めた。
「ここで奴を倒さねばならぬ!」
『ダメだ、アルフォンツォ!!』
「止めるな、シュケイ!!」
シュケイの制止を振り切りアルフォンツォは『蜂』の群れへと飛び込んだ。
「クラネリオス流槍術蟲技「鏃貫抜」、――我流崩し「双破鏃」
一度大きく背を逸らし、突進と共に突き出す。それは二つの槍を突き出すための動作だ。
本来であれば腰の捻りで突進の勢いに更なる勢いを加え敵の甲殻を貫く。
しかし、それでは多数の敵を貫くことはできない。
「「双破鏃、重ね技!「槍雨」!!」
だからこそ、その後に本来の捻りを使う。
敵の眼前でのその行為は隙となる。しかし、二本の槍のうち、前に突き出されたままの槍でそれを阻むことができる。
双槍術ならではの武技だ。
連続で繰り出される強烈な一撃。それは達人であろうと撃ち貫く槍の雨となって敵を襲うはずだった。
しかし。
「ギギ…」
『蜂』達にその雨は当たらない。
槍を逸らされ、躱され、弄ばれる。
これこそがコミュニティの真骨頂である。
コミュニティは情報伝達能力だ。
子が親に、親が子にと言った具合に一度親に集められた情報が処理され、子へと届けられる。
ヴァローネはそれを利用し、人形と化した『擬蟲者』を操作していた。
武神もまたそうなのであろう。しかし、その精度が違う。強度が違う。速さが違う。
ヴァローネは無理矢理に使っていたのに対し、武神はこれを本来の能力として使っている。
更に、武神の戦闘技術の情報も送り込まれているのだろう。
ヴァローネは所詮、武に関しては素人。数を用いた戦いでの運用こそ巧いものの、武人同士の戦い、それも達人が相手となるとヴァローネでは役不足だったのであろう。だからこそ三対一の状況を生みだしていたのだ。
だというのに、目の前の『蜂』の『擬蟲者』は一体一体が達人に匹敵する。
そして、数の利も理解している。
カトマンズ王は言った。
『武神と言えどただの人よ。数の暴力に勝てんのは実証済みだ』
『蟲者になったところでたかが知れている』
その前提は崩れた。
武神は最早ただの人ではない。
数の暴力にも屈しない。
数の暴力に加え、圧倒的な術技も持っている。
それをたかが知れている?
アルフォンツォは見誤っていたのだ。
王も、ヴァローネも同様だ。
今さらになって、アルフォンツォは諜報員達の与太話だと笑った話を思い出した。
曰く、たった一人で両国を滅ぼした。
曰く、悪鬼の如き強さを持っていた。
曰く、それは死んだはずの武神であった。
曰く、武神はロレンシア大陸全土を滅ぼすつもりだ。
確かに武神だった。
スルフニエツとの戦いの最中とはいえ、たった一人でエトグラーセを喰らい破った。
そして、『蜂』は今スルフニエツにも牙を向けている。
まるで全てが敵だと言わんばかりに。
まさしく、ロレンシア大陸の全てを滅ぼそうとするかのように。
アルフォンツォは震えた。
その恐ろしさに、それを実現してしまう未来を幻視した。
『アルフォンツォ!!』
「―――ッ!!」
シュケイの叫びにアルフォンツォはようやく冷静さを取り戻す。
『蜂』の群れから離れ、一息吐く。
頭の中から、ここで倒さねばならぬという考えは吹き飛んでいた。
今、頭の中に浮かんでいるものは既に違う。
「伝えなければならぬ。世界各国の王に、世界中の人々に。魔王の誕生を、その脅威を」
ズィーレンの大蛇落としに加え、『蜂』との何合かの打ち合いで既に満身創痍の身体に鞭打ち、アルフォンツォは此処から逃げることを選択する。
「何時の日か必ず…!」
そうしてアルフォンツォは敵であったはずのスルフニエツの本陣、アードラ王の元へと向かった。
# # # # #
「こいつら…!」
『私達の毒が効かない!』
上空でも『蜂』の脅威が襲っていた。
ズィーレンとヨウウ以外は既に『蜂』の群れに叩き落されている。
残るズィーレンも既に虫の息だ。
巧者と言えど、達人級の強さを持つ者を複数相手取るのは不可能だ。
鞭は当たらず、敵の攻撃は雨の様に降り注ぐ。
全ての攻撃が達人の洗練された一撃であり、直撃すればそのまま地面へと墜落する未来が待っている。
歌声が聞えはじめてから起きた出来事。
最早、スルフニエツとエトグラーセの戦争ではない。
『蜂』とそれ以外の戦いとなっている。
まるで、武神が世界に戦争を仕掛けている様な、そんな考えが頭を過る。
「まさかな…」
それを否定するようにして頭を振る。
しかし、その考えを振り払うことが出来ない。
馬鹿げている、それでいて実現性の高い想像に震えが来る。
『ズィーレン、来てるわ!!』
致命的な隙を、『蜂』たちは見逃さない。
冴え渡る武技がズィーレンを襲う。
避けることが出来ずに一撃を貰ってしまう。
その一撃が致命傷となる。
甲殻など紙同然と言わんばかりに引き裂かれ、翅は千切れ飛び、大地へと高速で叩きつけられる。
肺の中の空気が全て吐き出され、その事でまだ自分が命を繋いでいるとズィーレンは認識できた。
ボロボロと崩れいく甲殻。
自身の本来の身体が露出する。
それは蟲者の姿を維持できなくなったからだ。
生命力の不足で蟲者の姿を維持できなくなる。
しかし、ズィーレンは自分の中から何かがぽっかりと抜け落ちてしまった様な、そんな感覚があった。
目の前に落ちている一匹の鎧蟲。それが何なのかを理解すると同時に蟲者の姿が解けた理由も理解できた。
「ヨウウ?」
返事はない。
無残な姿になった鎧蟲。それは傷を肩代わりしたのだろう。
過剰なダメージが限界を越し、死に至った。それだけの話だ。
半身を失った痛みがズィーレンを襲う。
それと一緒に燃え上がる炎も感じ取った。
「許さん…」
武神に対する怒りだ。
悠々と空を浮かぶ『蜂』達を睨みつけ、その姿の向こうに武神の姿を幻視する。
拳を握りしめ、未だ血の流れる身体を無理矢理に動かし、天を仰ぎ叫ぶ。
「許さん…!」
「待て、ズィーレン卿」
今にも近くの敵に飛びかからんとするズィーレン。
それを制止する声があった。
「止めてくれるな、アルフォンツォ卿」
「いや、止める。お主には死なれては困るからだ」
「蟲者としての半身を失った私の想いが分からぬはずがないだろう!」
「分かっている。それでもだ」
アルフォンツォは静かな声で、それでいて確かな決意の意思を持って答えた。
その様子に、ズィーレンも少しだけ冷静になる。
「エトグラーセは武神の手によって落ちた。だがそれはいい」
「国が落ちたと言うのにそれはいいだと?」
「最早、エトグラーセだけの話ではない。武神を、否。奴は最早魔王と呼ぶべきだ。魔王の脅威を伝えねばならぬ。そして備えなければならぬ」
「アルフォンツォ卿、何を言っている?」
ズィーレンの困惑がアルフォンツォに伝わってくる。
ズィーレンに対し、アルフォンツォは告げた。
「このままではロレンシア大陸が滅びる」
「馬鹿な…」
「そう言ってエトグラーセは滅びた。スルフニエツの被害も相当なものになる。対する相手は魔王ただ一人。この時点で既にばかばかしい与太話だ」
そんな風にいってのけるアルフォンツォにズィーレンは言葉を詰まらせる。
更に続けられた言葉によってズィーレンはアルフォンツォの本気を見た。
「私はスルフニエツに下る」
ズィーレンはアルフォンツォの事を生粋の武人だと評価していた。
搦め手を使わず、己の技巧だけで道を切り開く武人。敵に手を貸すなら死を選ぶとさえ思わせるそんな男がそう言った。
だからこそ、ズィーレンは信用する。敵だったからこそ信用出来た。
「アードラ王にお伝えしよう。私を王の元へ連れて行ってくれ」
「承知した」
# # # # #
エトグラーセ法国は滅亡した。
スルフニエツ国もまた壊滅的な被害を受けた。
その相手は武神ただ一人の手によって行われたと、スルフニエツの王、アードラが世界各国の王へと使者を送り知らせた。
その事に、諜報員が得た武神の情報が事実だったと世界の王達は認識した。
だが、世界が一丸となるには戦乱の時代が長すぎた。
スルフニエツの策略だと考える国も少なからずあったのだ。
愚かにも、人はまだ敵を前にして同士打ちを繰り返すことになる。
歴史がその愚かさを証明するのだが、この時代の人間はそのことを知る由もない
# # # # #
瓦礫が埋める法都。
かつての華やかさは微塵も無く、物言わぬ骸から流れ出た血と夕日が街を真っ赤に染めている。
まるで燃えているように感じるのは、自分の身体が痛みを訴えているからだろう。
それが自分がまだ生きていると証明しているのは皮肉と言えるだろうが。
『生きたいか?』
そんな折に、声を掛けられた。
そちらに目を向ければ一匹の黒い蟲がいた。
その姿は醜悪。
見るものに嫌悪感を与えるその姿は満身創痍の身であっても感じた。
しかし、その言葉には素直に応えられた。
「生きたい」
『泥を啜る覚悟はあるか?糞尿に塗れる覚悟は?石礫を投げられる覚悟は?そんな未来が待ち受けていると分かっても生きたいか?』
「生きたい」
『よかろう。その覚悟、その目が本気と告げている。ならば言葉は無粋であろう』
黒い蟲が這い寄ってくる。
嫌悪感の中に、どこか通じ合った様な感覚がある。
『我が名はユチュウ。妖蟲と呼ばれ滅ぼされた『蜚蠊』の鎧蟲の最後の生き残りなり』
その感覚が人蟲の契儀であると悟る。
身体に溢れてくる全能感。死に瀕していた身体が生を掴んだ。
「僕は泥を啜っても、糞尿に塗れても、石礫を投げられても、四肢を砕かれようと這いあがる。僕は仇を討ちたいから。死ぬわけにはいかない。生きなきゃいけない。だから力を貸してほしい」
『よかろう』
それは魔王が誕生した日のことだった。
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誕生編 了
二章、破壊編を頑張って捻出します。