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カラフル

作者: 水瀬黎

世界は色彩(いろ)で満ちている。


しゅわしゅわと喜びが弾けるシャンパン色。

ぽつりぽつりと降り注ぐ、涙色。

めらめらと心燃えるような、赤色。


技術の革命を経て、色とりどりの世界はさらに眩しくなった。

それにもかかわらず、

人々の目は寒空の下の窓ガラスのように曇り、色彩をとらえにくくなっていってしまった。

世界はこんなにも美しく色づいているのに。

そのことを人々に伝えるのが絵描きの使命である。

そう、師匠は言っていた。

師匠の言っていることは正しいと思う。けど。


「やっぱりお金がないとなんともなあ……」

小さな皮袋のなかの金属を数える。

一枚、二枚、三枚、四枚……足りない。

今夜の宿代が。

昨日、ラピスラズリを使った青い顔料というか絵具を買ったのが原因だろう

というか、原因に違いない。

けど、あの青にはそうそう巡り合えるものではない。

真夏の海のように美しい青だった。

だから、反省も後悔もしてない。

とでも言い切れたらどんなに楽か。


ため息が灰色の雨雲に溶けていく。

師匠が亡くなり、三ヶ月。

辺境の工房を引き払ってなんとか芸術の都ジュエルザードへ来たのはいいものの

仕事にありつけないでいた。

なかなかいい工房が見つからないのだ。

芸術の都と名高いが絵画の出来はピンキリだった。

有名な工房は師匠の名を聞いた途端に破談してくるし

やや格下の工房は描いた絵に口うるさく注文をつけて絵をゴテゴテの紙屑に変えてしまう。

まったく、芸術の都と聞いてあきれる。


……雨が止んだら、お屋敷巡りでもしようかな。

貴族や大富豪なんて贅沢は言わない。

商人。

彼らの目にとまれば、絵を売るのに、いくらか有利になる。

目にとまれば、の話だが。


あ~……なんかネタ無いかな。

雨宿りしている木の下でぐるぐると辺りを見回すが、目に入るのは、木。木。木。

灰色の空。

くたびれた皮のマント。

絵のモチーフになりそうなもの、皆無。

雨に撃たれて湿った衣のように、瞼が下がってくる。

雨の音とは不思議なもので、あらゆる感情を洗い流して心に静の波紋を広げ、穏へと変える。

止むまで、ちょっと休もうか。

意識の深海(うみ)に沈んでいきかけた、その時。


ごすん。


人間の身体と身体がぶつかり合う鈍く重い衝撃が、いっきに意識を水底から引き揚げた。

痛っ。誰だよ、せっかく夢の世界に片足つっこんでいたっていうのに。

急につっこんでくるなんてひどいじゃないか。

「ごめん」

水晶を優しく叩いたように澄んだ声と

心の内を読んだかのような的確な言葉に、言いかけた非難の言葉が拡散していく。

なんだ、こいつは。


真っ白い陶器のような肌。

水を吸って艶っぽくなった、限りなく銀に近い白と見紛うような淡い水色の髪。

薄っぺらい純白の上衣に包まれた華奢な手足。

整った顔に影を落とす長く細い、銀縁のような睫。

まるで雨に流されたようなほどの白だった。

ここまで色素が欠落した人間は、見た事がない。

いや、一か所だけ色素が欠落していないところがある。

蒼海(うみ)の輝きをそのまま閉じ込めた、サファイアの瞳。

昨日のラピスラズリが霞んでしまうような青だ。


ちゃりん、という冷たい金属音で、はっと我に返る。

首には黒く鈍い光を放つ、いかつい輪と鎖が巻きついていた。

――――――奴隷。

鎖の禍々しい黒に負けない、闇色の言葉が脳内をちらつく。

金髪・紫目が主流のジュエルザードでは滅多に見られない容貌のうえにこの美貌。

大量の金塊を積んで欲しがる悪徳貴族は、ごまんといるだろう。

「おま……」

何者、と言いかけた口を細長い指が遮る。

「何か羽織る物はありませんか」

羽織る物。やっぱり追われているのか。

たしか予備のマントがあったはず。そう思ってこげ茶色の鞄を(あさ)る。お、あったあった。

かわいらしい、白地にピンク色の花の刺繍をした布きれをさしだす。

そいつは少しけげんそうな顔をしたが、

おとなしくそれを頭からすっぽり被り、長い長い髪をつっこんだ。

「失礼します」

は?ありがとうございます、とか、感謝します、とかじゃないのか。

とか思った矢先。

「?!」

いきなり顔を胸にうずめてきた。

「な、な、な…………!!」

何だよこいつ!痴女か?それとも娼婦か?

いや、それにしては身体が固いし男みたいだな、じゃねえ。

うるさいぞ、心臓!相手は見ず知らずの奴じゃないかっ!

ぺちゃっぺちゃっぺちゃっと土の上を歩く音が近づいてくる。

追手だろう。……ああ、そういうことか!

こいつが抱きついてきた意図を把握し、背に腕をまわして白布に顔をうずめる。

足音は此方へ向かってくることはなく、遠くへ離れていった。

ほっと息をつく。

「おい、行ったぞ。離れろ」

「…………」

「おい」

女を引きはがそうと肩に手をかけるが被っていた白布がぱさりと落ちただけだった。

「……もう少し」

背にまわした腕に力をこめられ、戸惑う。

「もう少し、このままで」

何を言ってるんだよ、居心地悪いわ!と叫びかけた口が、突き飛ばしかけた手が

雷に打たれたように動かなくなる。


(ほど)けた手首の細布の下から覗いている

水晶片のような淡い蒼に雨告げの花のような薄紫色、それに永久に積もる雪のような白銀の欠片。

本来人間(ひと)ではなく魚に張りついていて

人間に張り付いていたら相当不気味であろうはずである断片は

絶え間なく降り注ぐ水滴が生み出す澄んだ輝きを

鈍色の空の狭間から気まぐれに差し込む光の乱反射を受けて

神々しく輝いている。


頑丈な首輪。足首の(あか)い跡。背に影を落とす大きな(あざ)。鱗。全て繋がった。



音も無く滲んでいく世界。

色彩が欠けていて満ちている、人ならざらぬものに絵描きは微笑んだ。

世界は色彩で満ちている。君の色を探しにいこう、と。

人ならざらぬものの頬を、透明な雫がつたった。

虹の架かる空の下、どの草木の露よりも輝く雫だった。


End.



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