第四話 悲しい焚火
またまた遅れてしまった。
紅が家に着いたのは午後六時頃で、心配していたコウの安否も確認された。
紅が唖然としたのは、彼の家の食卓である。そこには何千、いや一万枚を超えるほどの量の一万円札が散らばっていた。紅も、一万円札に印刷された福沢諭吉をこんなにも見たのは初めてである。その札束の山の中央にコウはいた。その横には一万円札を正確に模写した絵がある。幽閉されていた頃、学んだスキルなのかは定かではないが。
コウは少し得意げな顔をしていた。まるで自分のした行為が、正しいとでも思っているように、いや、実際に正しいと思っているのだろう。
きっとコウは理解していない。自分のした行動の悍ましさを。
「おかえり、お兄ちゃん。」
コウは笑顔で紅の帰りを喜んだ。勿論紅はコウに対して、笑顔で返事するなどできない状態であった。哀れみではない。怒りだ。
紅は持っていた鞄を床に投げ捨て、コウのすぐ前まで行った。
「お兄ちゃん、お金の事なら心配要らないよ。私には神様からもらった力があるんだ。絵を描いたら、その絵が本物になるんだ。すごいでしょ。これでお兄ちゃんは苦労しなくて済むね。」
コウは私利私欲の故、一万円札を描いたのではない。全ては紅の為である。紅への精一杯の感謝と顧慮した結果である。
「絵は描くな。といっただろう、コウちゃん。」
「でも、」
「俺は確かに描くなと言った!」
紅はコウを怒鳴った。コウは驚きと恐怖で凍り付いている。
紅は怒鳴った後すぐに、自分のした行為を悔やんだ。
コウはただ一途で、一生懸命なだけだ。たとえ間違った道を進んでいたとしても、その全てを否定することは出来ない。少なくとも紅には出来なかった。
コウは何もかもを失った身。一人きりで寂しい思いをしていたに違いない。温もりを求めていたに違いない。それを否定してしまったことに、紅は悔いているのだ。
紅はそっとコウを抱き締めた。
「心配しなくていい、コウちゃん。俺は大丈夫だから。」
紅の眼から滴り落ちる滴の一粒一粒が、一万円札を濡らしていく。
「両親の絵を描くんだろ?それまでは楽しみに取っておこうぜ。」
「お兄ちゃん、泣いてるの?私がお兄ちゃんを悲しませちゃったの!?」
「違う違う。違う違う。」
紅は何度も同じ言葉を繰り返した。
コウは紅の温もりを受けながら、自分のした過ちを真摯に受け止めた。
紅が困ったのは、札束の処理だ。元より紅はこの札束を使う気など毛頭ない。偽札を作って、平然と使っているようなものであるからだった。だからと言ってこの札束を家に保管しておいて、泥棒にでも盗まれたら大変である。(荒廃した語山村に泥棒なんて存在はいるのかという疑問点はあるが。)
そんな中紅に一つアイデアが浮かんだ。
「コウちゃん。明日坂田さんの教会に行くぞ。」
「え、うん。」
コウは少し疑問を感じていたが、紅の笑顔を見て、何となく理解した。
その日の夕食はレトルトカレーだった。語山村唯一のスーパーで買ったものだった。コウとはまだ知り合っていない頃に買ったものなので、紅の食べる一人分しかなかった。
唯でさえ少ないルーをに分割したため、実質ほとんど白いご飯で皿は埋め尽くされていた。
水曜日午後三時半。流石に昨日のカレーと朝に食べたイチジクトーストだけでは、午後まで体力が持たなかった紅。幸いなことに今日は職員会議なので短縮授業であった。
放課後、皆が帰ろうとしているときに紅は声をかけた。
「今日、語山のキリスト教会で焚火をするんだけど、来れる人いる?」
「行くぜ紅!」
真っ先に手を挙げたのは、クラスメートで紅の親友、白岩勝美。どうやら彼は暇人らしい。
「あたしも行こうかな。久々に教会の子ども達にも会いたいし。」
次に手を挙げたのはクラスメートの宇治原抹茶。彼女は大の子ども好きで、夏休みが終わるまではちょくちょくキリスト教会を訪れていた。
結局手を挙げたのはこの二人だけで、他は勉強の為に参加しなかった。
「蒔良は来るか?」
紅は蒔良に問いかけた。
「勿論行くよ。紅と一緒ならどこでだって楽しいからね。」
蒔良は紅に微笑みかけた。紅はそんな蒔良を見て、少し赤面した。
「うわ、ラブラブだな。やだやだ、あー恥ずかし。」
抹茶は呆れた顔で紅と蒔良を見た。白岩もどうやらそんな感じである。紅は赤面を隠せなかったので、無理やり話題を変えようとしたが失敗。恥ずかしさゆえに、急いで教室を出て行った。
紅とコウが教会に着いたとき、その他のメンバーはすでに到着していた。坂田と子ども達もいる。
「坂田さん。芋はあるか?」
「無論準備済みだ。お前こそ燃やす為用いる新聞紙とかそういう紙は用意しているのか?
僕は用意していないぞ。」
「あぁ。あるぜ。」
紅は膨れ上がった旅行鞄を坂田に渡した。坂田はそっと、鞄のファスナーを下ろし、中を覗いた。
坂田は驚愕した。中には無数の一万円札が入っている。坂田はすぐに目を鞄から紅の方へと移動させた。紅は笑顔を浮かべていた。だがその目は真剣だった。
坂田は紅を見た瞬間、事の成り行きを想像し理解した。
坂田と紅には、目と目で通じ合える程の信頼関係があった。そう、まさに絆と呼ぶにふさわしい関係が。それ故に坂田は紅を理解してあげることが出来るのだった。
坂田は口を開いた。
「じゃあ始めようか。暗くなる前に。」
キリスト教会の目と鼻の先にある、ちょっとした広場に全員は集合した。坂田は鞄から大量の一万円札を掻き出した。勿論この光景を驚かない者はない。(例外に、紅、コウ、坂田がいるが。)
「えっ、何これ!」
まず声を上げたのは抹茶。
「一万円!?本物か!?」
次の声は白岩。
「すっげぇ!!」
最後は子ども達。
子ども達はどうやら、今からこの一万円の札束を焼き尽くすとは知らないらしい。
これが普通の反応である。しかし例外はもう一人いた。蒔良はこの光景を静かに見つめていた。まるで全てを理解しているように。
「大丈夫だ。このお金は燃やしてもいいお金なんだ。」
燃やしてもいいお金って何なんだ。と紅は心底落ち込んだ。
勿論紅の意見に耳を貸す空気は無いようだ。
「紅の言う通り、これは偽札だ。燃やしても一向に構わない。」
紅の声に同調しなかった者も、坂田の声には同調した。流石のカリスマ性だな。と紅は心の中で呟いた。
午後五時五分 焚火開始。
アルミホイルで包んだサツマイモを燃え上がる札束の中に入れる。
普通は落ち葉などで行うものである為、どうも光景がシュールである。子ども達の中には
半分だけ墨になった福沢諭吉の顔を見て、恐怖する者もいた。
「なんか、シュールだわ。」
抹茶は声を上げた。
「まぁ、確かにな。」
紅は抹茶に激しく同意した。
「ねぇ寿。この偽札は一体何なの?あたしには本物にしか見えないんだけど。あとあんたが連れてきたあの可愛い群青色の髪をした女の子は誰?」
抹茶の質問は紅の痛い所を突いていた。
「あの一万円札は子どものおままごとで使うようなものであって、だな。えっと、」
大分と苦し紛れである。
「そしてあの娘は俺の妹だ。」
抹茶は苦し紛れの与太話よりも、紅に妹がいたことに驚きを示した。
「紅、あんた妹いたの!?しかもめちゃくちゃ可愛いし。」
「俺も先日知り合ったばかりなんだが。」
「えっ?」
「いや、何でもない。」
紅は言葉を濁した。抹茶はそのことに関して深く追及することはなかった。
焚火がクライマックスを迎えたとき、一人の男が広場に現れた。その男は紅の見知った人間であった。
「大橋先生!?」
紅は声を上げた。
その男は紅のクラスの担任、大橋韻次であった。
スーツ姿、黒縁眼鏡、無造作に生えた濃い顎鬚。大橋のチャームポイントだ。
「何故大橋先生が?」
紅の質問に対し、抹茶が間髪を入れずに答えた。
「大橋先生を呼んだのはあたし。ほら、先生って甘い物に目がないじゃん。」
実際そうである。この中年の男は甘い物が大好物なのだ。なんと授業中にコーヒーシュガーを一気飲みするぐらいである。(それは教師としてのモラルに反するのではないか。という疑問はとりあえず置いておこう。)
大橋はずっと閉じていた口を開いた。
「毎日勉強ばかりしていたら、頭が狂ってしまうからな。こういう気分転換は良い。」
大橋は大きく背筋を伸ばし、一つ欠伸をした。
ほとんどの札束は燃え尽きていたので、大橋につっ込まれることはなかった。
抹茶、白岩、大橋が三人で世間話をし始めた。
紅はふと蒔良の方を見た。蒔良の様子はいつもとは違うものであった。
ただ一人ベンチに腰を掛け、何か考えに耽っている。紅は蒔良の横に座った。
「どうした蒔良?何かいつもと違うぞ?」
「ねぇ、紅。」
蒔良はしばらく黙り込んだ。紅は蒔良の二言目を待った。
そして蒔良は口を開いた。
「紅が聞いておくべき昔話があるんだけど、それを今から話すね。」
「え!?」
「大丈夫。聞いておいて損は無いわ。」
「あぁ、まあ別にいいけど。」
そして蒔良の口からとある伝記が語られた。
「昔々ある所に神様が居ました。その神様の力は人に幸福をもたらすもので、神様はたくさんの人間をその力で救っていきました。そんな神様を人々は信仰するようになり、神様の周りにはたくさんの人間が集まるようになりました。ある日神様の前に現れたのが、神様と同等の力を持つ、<闇>。<闇>は神様を倒し、死に至らしめたのです。
神様は死ぬ直前、最も信仰心の強かった十人の人間たちに、自らの十の神器を渡しました。その力を得た人間たちは<闇>を圧倒し、神が死んで尚信仰し続けたのでした。」
蒔良は一時的に話を止めた。
「んで、続きは?」
「それから一年後、神は再び彼らの前に姿を現しました。生まれ変わった人間の姿で。
勿論、神器を持つ九人は神の生まれ変わりを信仰しました。しかし一人、神器の力を過信して、神に抗ったのです。彼は自分の持つ神器でほかの九人を全員倒し、神様をもその手中に収めたのでした。彼はそう、死んだはずの<闇>に取り付かれていたのです。」
「それで?」
紅はすっかり蒔良の話に聞き入っていた。
「おしまい。」
「えっ!?」
「これでおしまい。」
紅は蒔良の思いがけない言葉に、驚き呆れた。
「これで終わりはないだろう。これじゃあバッドエンドじゃないか。」
「続きがあったとしても、私は知らないわ。」
紅は途方もなく落胆した。
紅が落胆しているとき、紅と蒔良のいるベンチに向かって、コウが走ってきた。
「コウちゃん?」
コウは両手を後ろに回して、何か隠している様子だった。
「はい。これ、お兄ちゃんの分!」
コウは隠していた絵を前に突き出した。その手にはアルミホイルで包められた温かい焼き芋があった。
「あぁ、ありがとう。コウちゃん。」
紅は素直に喜んだ。
まだ熱い焼き芋を手の中で転がしながら、紅は抹茶や子ども達のいる方へ歩き出していった。
ベンチで一人、蒔良は呟いた。
「物語は終わっていない。物語を創り出すのは貴方。紅、貴方なの。
くれぐれもバットエンドにならないように、私が見張っていなくちゃ。まぁでも、」
紅は大きく手を挙げて、蒔良を呼んだ。
「蒔良!お前も早く来いよ!」
「うん。今行く!」
蒔良は立ち上がり、再び呟いた。
次は頑張る!!