第3話 魚群、回遊する(※食材です)
アルデバラン号の厨房では、よく”回遊”が見られる。そして、今日、最も回遊らしい回遊が見れる事となる。
宇宙船《アルデバラン号》の厨房は、今日だけ妙に静かだった。
理由は簡単。献立が魚だからだ。
この日の料理が、後に船内広報で『もっとも哲学的な事故』と定義されるとは、
この時はまだ誰も知らない。
「魚は丁寧に扱え」と料理長マキ。
「衛生的にも神経質に」とユイ(衛生担当)。
「割引でした」とゴロウ(補給係)。
リョウ(若手)は聞かなかったことにした。魚で割引は怖い。
魚屋がある宇宙船というのもここだけだろう・・・
仕込み台には切り身が並ぶ。
サーモン、白身、名前の読めない宇宙輸入魚。
マキが包丁を構えた瞬間、例の放送が鳴った。
『重力制御システム、定期再起動。三、二、一――』
「今!?」
全員が同時に言った。もはや合唱だ。
ふわり。無重力。
だが今日は、誰も慌てなかった。
魚は少ない。粉もない。米もない。シチューもない。
ホワイトボードの教訓が効いている。
――はずだった。
一人を除いて。
リョウが切り身のタッパーを全て開けた途端の放送だったのだ。
魚や切り身が“するり”と浮いた。
一切れ、二切れ、三切れ。
空気の流れに身を任せ、ゆっくりと弧を描いて漂い始める。
「……魚が泳いでる……」
リョウが呟くと、ユイが即座に訂正する。
「泳いでません。漂流です。食材です」
しかし、漂流にしては美しすぎた。
切り身たちは照明にうっすら反射し、淡い銀色の群れになって厨房を周回する。
まるで水槽だ。
いや、ここは厨房だ。
でも、完全に水槽の気分になる。
ゴロウが感動して言った。
「見てください、魚群形成……!」
ユイが低い声で返す。
「形成するな。回収しろ」
マキは一瞬だけ目を細めた。
「……きれいだな」
ユイが即座に叩く。
「料理長まで見とれないでください」
魚は換気の名残風に乗り、ゆっくり回遊していく。
右回りで三周したところで、リョウが真顔で言った。
「これ、ずっと見てられますね……」
「見てる場合じゃない」とユイ。
「でも、癒やし……」
「癒やしは食堂でやってください」
さらに悪いことに、魚群が“隊列”を作り始めた。
先頭のサーモンが少し傾くと、後続の白身が同じ角度で追従する。
どこか意思があるように見える。
リョウが声を潜める。
「…もしかして、俺たち今、宇宙で初めて“魚の回遊”を再現してるのでは」
ユイが冷たく言う。
「再現しなくていいです。回収してください」
マキが指示を出す。
「空調は最低。気流を止める。
それでも漂うなら――“海”を作る」
「海?」とリョウ。
マキは大型冷蔵庫から大きな蓋付き透明容器を取り出した。
中には、調理前に用意していた塩水。
「塩水ボウルだ。魚は水に帰りたがる」
ユイが眉をひそめる。
「フィクションの発言です」
他のメンバーもそれぞれ大小の塩水ボウルを持った。
作戦は理にかなっていた。
ボウルを魚群の進路にそっと置く。
ふわふわ漂う魚が、ボウルの縁に触れ――
ぴと、と吸い込まれるように中へ落ちた。
一切れ、また一切れ。
都度々々、蓋をして逃げないように。
見事に“帰港”していく。
リョウが感動して拍手した。
「すごい……回遊が収束した……」
ユイが即座に言う。
「拍手よりフタ。フタをして」
ゴロウがフタをうっかり逆さに持っている。
ユイが無言で正しい向きに直す。
その動作が、慣れすぎていて怖い。
最後の一切れ――名前の読めない宇宙魚が、なぜかボウルの外側を一周してから落ちた。
まるで名残惜しそうに。
リョウが小声で言う。
「…別れの儀式みたい」
ユイが即答する。
「食材に儀式を与えない」
『重力制御、復旧します』
ずん、と床が戻る。
ボウルの中の魚は、きちんと“魚”として落ち着いていた。
厨房に一瞬、達成感が漂う。
リョウがガッツポーズをする。
ユイがポケットの胃薬を、そっと撫でる
マキが頷く。
「よし。焼くぞ」
リョウが名残惜しそうに言う。
「もう泳がないんですね……」
ユイが淡々と返す。
「泳がせたら事故です」
焼き上がった魚は、ふつうに美味しそうだった。
食堂に出す直前、リョウがぽつりと聞いた。
「宇宙って、きれいなものが多いですね」
マキはトレーを整えながら答えた。
「きれいに見えるのは、だいたい“手に負えない”時だ。
だから――見とれないで」
そして小さく付け足した。
「それでも、たまにだけは……悪くない」
ユイが聞こえないふりをした。
(つづく)
リョウはその後しばらく、切り身を焼くたびに「……いま、寂しそうに縮んだ気がする」と呟いては、ユイに無言で胃薬を差し出されることになったそうです。




