中卒学校に行く
「あんた学校に行きなさい」
突然の母の言葉に、俺は思わず聞き返した。
「学校に行けって……え? そんな、俺いま店あるし」
いきなり学校に行けと言われても、二つ返事で引き受けられるわけがない。
「店あるって、あんたまだ十六歳よ。こんなお昼に学校にいない方がおかしいの」
「けど、俺がいないとこの店回んないじゃないか。そうなれば、母さんたちが大変になるよ」
「がきがえらそうなこと言ってんじゃねぇ。家の心配なんざお前にはまだ早い」
後ろから父の声がした。
いつの間に戻ってきていたんだ。
「父さん、体の調子良くなってないだろ。俺だけ呑気に学校に行くのは嫌なんだ」
父は首を振りながら、たばこに火をつけた。
「心配するのは親の特権だ。こどもは呑気に楽しむのが仕事だ。本来お前がこっち側に来るのは、まだ先なんだよ」
煙を吐きながら、父はそう言った。
「そうよ。ひろふみはもっと自分のやりたいことを言っていいのよ」
母は父をちらりと見た。
「お父さんはこんな言い方してるけど、ひろふみに仕事任せてることに罪悪感感じてるのよ」
「余計なこと言うな」
父は照れくさそうに言った。
俺は小さく息を吐いた。
「父さんと母さんの気持ちは、すげぇ嬉しいよ。だけどさ……俺、学校でやりたいこともないんだ」
中学までは義務だから通っていた。
けど、その先は違う。
「自分で道を選べるなら、俺は家のために頑張りたいんだ」
小学校も中学校も、特に何かに夢中になった覚えはない。
友達はゼロじゃなかった。でも、自分から関わろうともしなかった。
目的もなく学生生活を続けるくらいなら、少しでも親の役に立ちたい。
それが、俺の本音だった。
「それが私たちは辛いのよ」
母が静かに言った。
「中学卒業してから一年経つけど、同い年の子たちがこの店に食べに来てるのに、あんたは毎日料理を作ってる」
母は俺をまっすぐ見ていた。
「父さんが怪我してから、ひろふみのお陰で店は回ってる。でもね」
言葉が一瞬止まる。
「店のために、ひろふみの人生が止まってるみたいで……それが嫌なの」
「なら、いいじゃないか」
思ったより大きな声が出た。
自分でも驚く。
「店が回ってるなら、それでいいだろ」
沈黙が落ちた。
「店の安定のために、ゆうくんの人生が犠牲になってるんだよ」
その沈黙を破ったのは、美樹さんだった。
「私もね、ゆうくんのこと心配してたんだ」
彼女はいつもの軽い調子ではなく、真面目な顔をしていた。
「私がゆうくんくらいの年のときはさ、部活して、放課後友達と難波行って、くだらないことで笑ってさ」
少し笑う。
「そういう時間って、あとから振り返るとすごく大事なんだよ」
「俺は美樹さんとは違う」
俺は小さく首を振った。
「明るくもないし、夢があるわけでもない」
「高校生なんて、みんなそんなもんだよ」
美樹さんは笑った。
「それにさ、ゆうくん」
少し身を乗り出す。
「営業中ずっと学生のお客さん見てたじゃん」
その言葉に、俺はドキッとした。
見ていたつもりはなかった。
でも、否定できない。
学生服。
部活のバッグ。
くだらない笑い声。
気づけば、俺はいつも目で追っていた。
「俺、そんなに見てた?」
「そりゃわかりやすいくらいに」
美樹さんは母と目を合わせて笑った。
「ひろふみは、本心に気づかないようにしてただけなのよ」
母が言った。
「いいのよ、正直になって」
胸を張る。
「ひろふみが心配するほど、私たちは生活に困ってないから」
父がたばこを灰皿に押し付けた。
「ひろふみ」
低い声だった。
「学校に行きたくないって、一回でも言ったか?」
俺は答えられなかった。
「中学卒業したあとも、今も、お前が言うのは家の心配ばっかりだ」
父はゆっくり言った。
「学校に行け、ひろふみ。それが俺たち親の思いだ」
少しだけ口元が緩む。
「もっと笑顔を増やしてこい」
そう言うと父は、夜の営業の準備があるからと、家へ戻っていった。
「父さん……」
否定できなかった。
学校に行きたくないと言えば、両親は無理に勧めなかったかもしれない。
でも、言えなかった。
俺は家のことを言い訳にして、学生生活を諦めたつもりでいただけだった。
心のどこかで、羨ましかった。
映画やアニメで見るような青春が。
もしかしたら、待っていたのかもしれない。
チャンスが来るのを。
「どうするの?」
母が聞く。
「私、すぐ学校に返事しないといけないの」
「学校に返事って……今日の用事って学校に行ってたの?」
「そうよ」
母は嬉しそうに頷いた。
「ひろふみに合いそうな学校探してて、やっと見つけたの」
そしてパンフレットを取り出す。
「新年度から制度が変わって、編入生募集してる学校があったのよ!」
「なんて学校ですかー?」
美樹さんが興味津々で聞く。
「私立青陽学園よ!」
母はパンフレットを突き出した。
「青春を送るにはピッタリの学校よ!」
「へぇー、聞いたことないですね」
「泉ヶ丘駅の近くよ」
泉ヶ丘。
堺東から電車一本で行ける場所だ。
「それで!」
母は身を乗り出す。
「ひろふみ!行く?行かない?」
パンフレットが顔に迫る。
「近い近い!」
俺は思わず笑った。
美樹さんが手を差し出す。
「さあ、ゆうくん答えをどうぞ!」
俺は一度、深く息を吸った。
「……みんなが言ったみたいに、俺も学校に憧れてたんだ」
言葉が少し震える。
「でも俺、自分はどうせ何もできないって決めつけてた」
逃げていた。
「だけど」
二人を見る。
「こんなに心配してくれて、チャンスまで用意してくれたのに、逃げ続けるのは……一番迷惑かけると思う」
息を吐く。
「だから――」
言葉にした。
「俺、学校に行きたい」
胸の奥が少し軽くなる。
「俺も……青春がしたい」
母が笑った。
「やっとわがまま言ったじゃない」
美樹さんも笑う。
「いいじゃん。子どもらしくなってるよ」
「ありがとう」
そのとき、店の扉が開いた。
父が戻ってきた。
「まだやってたのか」
「父さん!」
俺は立ち上がる。
「俺、学校に行きたい!行かせてください!」
少し間を置いて続けた。
「もちろん店も手伝う!」
父は少しだけ目を細めた。
「あぁ、そうか」
それだけ言う。
「答えが出たなら、夜営業の準備するぞ。時間ねぇからな」
ぶっきらぼうだった。
でも、どこか嬉しそうだった。
「ほんと素直じゃないんだから」
母が笑う。
「一番嬉しいくせに」
「ほんと親子そっくりですね」
美樹さんも笑った。
二人はそのまま、夜の営業準備を始めた。
父さんと母さんがここまで動いてくれた。
受け身のままではいられない。
変えるんだ。
これまでの人生を。
そして――
自分自身を。




