7.そりゃ人なんて来ないわ
森に行くの準備ができるまで3日かかった。
すぐに出かけようとしても、こちらは足の遅い推定3歳児連れ。
万が一のことを考えて、デビリンの狩りを待たなければいけなかったから、しっかり準備できた分、安全性は増してよかったと思う。
私の心配は、もちろんリリの方だが、コアちゃんの心配は相変わらず私に向けられていて、出発を待っている間に、リリにダンマスをどうやって守るかという講義を行っていたようだ。
「わたちは言われなくてもわかっているのに、おかあしゃんはおなじことばっかり言うの」ってリリが教えてくれたから、念話でこっそりやっていたのがモロバレである。
注意したら私を巻き込んでの講義になったよ。
リリは、DP不足のために肉体こそ3歳児並みになってしまったが、コアちゃんが言ったように、想定した成体と変わらない能力を持っていた。
距離の限界はあるものの、ダンジョン外での視覚・聴覚のコア本体との共有と念話、触れているものへの隠蔽魔法の付与、ダンジョン外からコア部屋への転移、その際、触れているものも一緒に転移させたれる運搬能力。
つまり、いざとなったら、リリはどこからでも私を連れて戻れるのである。
もちろんコアちゃんが引き寄せることもできる。2重のセーフティーネットだ。
この能力がちゃんと使えることがわかったため、私の同行がOKになったというわけだ。
そしてその「触れているものを」という条件が、私たちのお出かけスタイルに大きな影響を及ぼした。
『本当に気をつけてください。遠くへ行っちゃダメですよ?
それから、デビリンちゃんに会っても邪魔をしないように』
「はいはい。てか、コアちゃん、それは私じゃなくリリに言って?」
『わかっています。
リリは危険を感じたらすぐに戻って来るんですよ?
私が視覚を共有しているといっても、範囲は限られているんですから、自分でしっかり判断するんですよ?
それから、デビリンちゃんの邪魔をしないように』
「はい、おかあしゃん!」
オカンモードとデビリン愛の混ざったコアちゃんの台詞に、おんぶ紐の中からリリが元気に返事をした。
おんぶ紐だよ!
前世知識をしつこく尋ねられ、3回の試作を経てコアちゃんが完成させたよ!
小型マジックバッグでも30DPだったのに、70DPも使いやがった!
確かにね、こうすれば常に「触れている」状態だし、両手は使えるし、足元も見られるし、リリが転ぶ心配もないよ?
3歳児って意外に重いけど、前世のアラサーから若返ったこのダンマスボディーならちゃんと動けはするよ?
でも、それって、リリの安全のためじゃなく、私の安全のためなんだよね。
リリも「おとうしゃんはりりがまもりましゅ!」とかフンスフンスしてるし、父ちゃんの威厳とかなんもないの。「ミリねえ」呼びさせておいて何だけど。
いや、別に父性に目覚めたわけじゃないんだよ?でも、なんかこう、モヤモヤするのよね。
まあ、結果的にリリを守ることになるから、ありがたく使わせていただきますけど。
「じゃあ、行って来ます」
まだ何か言いたそうなコアちゃんを抑え、私は洞窟の出口にサクッと転移した。
洞窟から1歩踏み出すと、コアちゃんとの念話リンクがフッと消えるのがわかった。
ただ、前回は消えた隠蔽魔法の感覚はなくならない。
背中のリリが維持してくれているからだ。
改めてあたりを見回す。
洞窟から見えるのは開口部の先だけだから、こうやって広い視界で眺めるのは初めてのことになる。
前回はそんな余裕なかったし。
洞窟の前は、森の地面から一段高いテラスのような岩の広場になっている。
その前まで迫る森の木は大きく、目に映るのは奥まで続く木の幹ばかりで、森の全体像はわからない。
言ってしまえば、洞窟から見える風景が横に広がっただけである。
新たにわかったのは、幹の間から見える森の地面には下草は少なく、意外と歩きやすそうなことくらいだ。
一方、背後は山だ。
細い木がまばらに生えているだけの赤茶けた岩山で、乾いた地面がむき出しになっている。
両側の先の方は麓まで木が茂っているので、このあたりだけ地質が違っているようだ。
――まずはこっちからかな。
外出の目的は、DP補充のための魔石探しだけど、やみくもに森に突撃して見つかるとも思えない。
探索の方向性を決めるだけにも、せめて周囲の地形くらい把握したいところだ。
少し探すと、洞窟の右手の少し先に、登っていけそうな場所も見える。
うん。あそこからなら行けそうだ。
ごつごつした足元に注意しながら足場の良さそうなところから山に登る。
落石の跡も見当たらず、かなり登りやすい。
10分ほど登って、岩山と山森の境界の小さな踊り場のような場所にたどり着き、私は後ろを振り返った。
「「わぁ……」」
私とリリの声が重なる。
絶景である。
一面の森だ。
森は予想よりずっと大きかった。
ところどころに浅い若葉の色が残っていることからみると、季節は春の終わりくらいだろうか。
前方と左側は特に樹影が濃い。私が立っている山並みを抱き込んで遠くまで続き、端は霞んでいて見えない。
森の中の少し開けたところには小さな湖も見え、そこから細い川が流れ出している。
一方右側は、左側ほど深くはない。
山脈は先まで続いているが、森には終わりが見え、その先の草原との境には村らしきものも確認できる。
草原の中を通る道はその村が終点だ。
道の先には小さな森が点在する草原しか見えない。隣村とはかなり離れているようだ。
ものすごい限界集落だね。
住民は多分、木こりと狩人って簡単に想像がつく。
でも、森に開拓の手が入っているようには見えないから、村からこの洞窟がある森の奥まで来るような人間はいないんだろう。
手前の森で、恵みは十分に手に入れられそうだもんね。
ざっくりだけど、ここから村までは10キロ以上はありそうな気がする。
そう考えれば、この体がダンジョンまで運ばれてきたのって、結構奇跡的なことかもしれない。
この子が村の住人なのはほぼ確定で、貴重な薬草でも探していたのか、それとも単に迷ったかで森の奥に入り込んでしまい、そこでデビリンに捕まってお持ち帰りされたって感じだろうか。
彼女はその時に亡くなって、その体に私の魂が入り込んだってとこだろうな。
テキトーだったけど、担当官の白いおっさんが嘘をつく理由はないから、多分転生直後には、私は健康体だったんだろう。
すぐ後には噛まれたり引きずられたりでボロボロになったけど。
生き残ったのはラッキーだったけど、そもそものアンラッキーがでかすぎて、トータルで見れば幸運度は2割くらいな気がする。
平民スローライフ希望だったはずが、転生して10日でダンマスとして娘と超辺境の森を見ているとは、白いおっさんも思うまい。まあざまぁっちゃざまぁだな。
そう思うとちょっとすっきりした。
「みりねえ、だいじょうぶ?」
「大丈夫だよ。
景色がすごくてびっくりしちゃった」
小さな手が後頭部をさわさわと撫でる。
「こわくないからね。りりがちゅいてるからね」
「ありがとう。それなら安心だよー」
お返しに、後ろに手を回して、頭をわしゃわしゃする。
――うん。悪くない。
楽し気な娘の声を聞きながら、私は幸運度を5割に上方修正した。