4.春の転生者
盆地の雪が解け、私はリリといっしょにジジイの塩山に行った。
ジジイは絶対に許さないが、リリの意思は尊重する。
そう決めて、静かに送り出すことにしたのだ。
ジジイは、私にお礼を言うほどに舞い上がっていた。
『おおリリ、待っておったぞ。
ミリもご苦労だったな。
これからは、ワシがリリを一人前のコアに育てるから、安心するといい』
「……」
『で、リリ。
これからいっしょに住むんじゃから、リリの部屋を作らにゃならんな。
じいちゃんはもう部屋を作れないから、誰かに頼むことになるが、それで構わんか?』
「ん?」
リリはキョトンとした顔で首をかしげ、いつもの朗らかな声で言った。
「おじいちゃん、リリはいっしょに住まないよ?
だって、リリはミリねえを助けるために生まれたんだから、ミリねえを助けるために温泉のお仕事をするんだよ?
おじいちゃんは大好きだけど、いっしょに住んだら、お仕事ができなくなっちゃうでしょ?」
ダンマスになろうがなるまいが、リリはコアちゃんの分体。
その「役割」はリリの本能として、揺らぐものではなかった。
ジジイの頼みを聞いてダンマスになることには、近所に住むおじいちゃんを助ける以上の意味はなかったのだ。
『……おい、バカダンマス』
しばらく経って、気の抜けたようなジジイの声が頭に響いた。
「なに?」
『阿呆じゃのう、ワシもお前も……』
「……確かにね」
勝手な思い込みで喜んだり悲しんだりしていた阿呆ふたりは、苦笑を漏らすことしかできなかった。
無邪気な善意はけっこう残酷だ。
「――じゃあ、おじいちゃん、また来るね!」
『おお!待っとるぞ!』
ジジイの立ち直りは意外に早く、夢から覚めたように、いつもの調子でリリにホラ話を聞かせ、いつもの調子でリリを見送った。
内心はでは、色々思っているかもしれないが、最後に「温泉が熱すぎる」とかクレームつけてきたし、ショックのあまり砕け散ることはないだろう。
クレームは当然無視。
夜になって、ようやくじわじわと喜びが込みあげてきた。
ただの勘違いだったとはいえ、悩みがすっかり晴れたのだから、嬉しくないはずはない。
ちょっと同情はするけど、卑怯な手を使ったジジイがどんでん返しを喰らい、スッキリしたのも事実だ。
ヴァネは予告通り、サロン階層を閉じた。
もう離れてだいぶ経つとはいえ、私が初めて本格的に作った階層が消えるんだから、寂しい気持ちも少しはある。
ヴァネが最後の訪問に誘ってくれたけど、遠慮させてもらった。
こういうのは、遠くから「終わったなあ」って思うくらいがちょうどいいんだよ。
色々な問題が解決して、心が軽くなった。
良い春だ。
あったかいお日様の光が、サロンの閉鎖のちっぽけな感傷も、私のつまらない思い込みも、すっかり溶かしてくれた。
ダンジョン経営も調子がいい。
デビリンはもふもふだし、リリはかわいいし、コアちゃんはクールだし、冒険者もどんどん戻って来ている。
そんなある日の夕方、ヴァネが遊びに来た。
そう言えば、ヴァネが私のダンジョンに来るのは1年半ぶりくらいになる。
ユードラさんが王都から戻り、サロンダンジョンも閉じ、リアルのサロンはやっと工事が始まったばかり。
要するに暇になったわけだ。
おまけに、この時間に来たっていうことは、風呂入って泊まるつもりだろうな。
ま、久しぶりだからいいか。
もうお互いダンマスだから、昔みたいに草原階層を隠す必要もないし、眠くなるまで家でダラダラ喋るとしよう。
私の仕事終わりに合わせて、ヴァネがお風呂から上がってきたので、そのまま草原階層の自宅に向かう。
ディオさんの家は明りが消えているので、今日はリムズデイルのお家に泊まるのだろう。
晩ごはんは魔魚の香草焼きだった。
この頃、デビリンがたまに獲ってきてくれるのだが、恐ろしい見た目に反して食べてみると意外と美味しい。
釣り道具も網もないので自分たちで獲ることはできない魔魚は、我が家では魔鹿と並ぶ人気食材である。
香草焼きは、皮目がパリパリで身はふっくら。最高の焼き加減だ。魔力も油も乗っている。
母さん、ほんと腕上げたよなあ。
ごはんのあとは2回目の温泉。
家の前のベンチで涼んでいたら、ヴァネが夜の草原を眺めながらつぶやいた。
「……ダンマスは楽しいですねー……」
「前は楽しくなかったの?」
「まあ、楽しくはあったんですけど、次期領主が決まっていて、母様の補佐をしていたので旅に出ることもできなくて、ああ、一生このままなんだろうなあ、ってどこかで諦めていたんですよー」
「そっか。まあ、平民から見たら、贅沢な悩みだね」
「ですねー。でも、それいいって思ってましたー。
時々、すごく楽しいこともありましたしー」
「へえ、何が楽しかった?」
「ダンマス前に一番楽しかったのは『決別の剣』の儀式ですー」
「げ」
地獄の儀式をここで出すか。
あの時もちらっと思ったけど、やっぱ、こいつケツバットのこと知ってたよね?
「あのさ、ヴァネってもしかして転生者だったりする?」
「えー? どうしてですかー?」
「いや、あの儀式、ものすごく変な感じに誘導したじゃない?
あれ、元から知ってたんじゃないかなあって思ってさ」
「そんなのないですよー。私の初めての記憶は2歳ですー。
あれは前世の記憶じゃなくて、その場で思いついたんですー。
お尻を叩かれるミリちゃん先輩が見たかっただけですー」
「あ、そうなんだ。それも大概ひどいけどね」
「あれ? でも、その質問をするということは、ミリちゃん先輩は前世の記憶あるんですねー」
「え?」
「だって、ミリちゃん先輩はあれが転生者の知識だって思ったわけですよねー。だったら、どうしてミリちゃん先輩はそれを知ってたんだってことになりませんかー?」
「……なるね……」
やぶへびだった!
でも、いっか。長い付き合い確定のこいつにはどっちみちどこかで話すだろうし。
「誰にも言わないでよ? 家族とディオさんしか知らないんだから」
「はいー。
もちろん、母様にも言いませんよー。
ミリちゃん先輩とは、これからきっと千年以上のお付き合いになるのに、秘密を漏らすようなことして嫌われたくはないですー」
「うん。ならよし」
話してみて、胸のつかえがひとつ取れたことにことに気づいた。
そっか。自分じゃわからなかったけど、ヴァネに秘密にしてるの、気になってたんだな。
「そうですかあ、ミリちゃん先輩、転生者でしたかー。
じゃあ、私が知ってる4人目の転生者ですねー」
「え? そんなにいるの? 会いたい!」
「違いますよー。本で読んだだけですよー。
残りの3人は、もうとっくに亡くなっていますー。
ダンマスになった人がいたら会えたかもしれないですねー」
「ああ、そういうことね」
「はいー。ミリちゃん先輩もいつか本を書いてくださいねー。
読むのが楽しみですー」
「いや、書かないよ?
てか、ここにいるんだから直接聞けばいいじゃん」
「あ、それもそうですねー」
文才があったらいつか書いたかもしれないけど、ほんと無理なの。
プログラム言語ならわりと書ける方なんだけど、それ以外はなあ……。
「じゃあ、早速聞いていいですかー?」
「今?」
「はいー」
まあ、そうなるか。
「ちょっとだけね? まだ先は長いんだし」
「わかりましたー。
えっとー、じゃあ最初の質問ですー。
ボロンゴボンゴの煮込みってどんな味ですかあ?」
「え? 何の煮込みだって?」
「ボロンゴボンゴですー。本には、嫌いな人がいないって書いてありましたー」
「煮込みも何も、その食材自体知らない」
少なくとも日本じゃない。語感からしてアフリカとか?
「えー? じゃあ、カンバっていう動物知ってますかー? こっちのSランクの魔物より怖いって書いてありましたー」
「アフリカだとしたらカバのことかな? 確かにカバ最強説はあったけど、Sランクはないんじゃない?」
「え? でも10本の触手で拘束されて体液吸われるんですよねー?」
「何それ怖い。全然知らない」
そんなのアフリカにもいないと思う。ジャングルの奥とかだったらわかんないけど。
「そうなんですかあ? 3人の記録には全部出てくるんですけどー。
でも、転生者なら、ミリちゃん先輩も前世は腕が4本あったんですよねー?」
「ねーよ。間違いなく別のとこだわ」
先輩転生者、日本人じゃないどころか、地球人でもなかった!
そのあと、私は地球と日本について大まかに説明した。
魔法がなくて科学技術が発達していることに驚いたのはお約束。
腕4本先輩の世界にも魔法はあったらしい。
地球の方がレアケースなのかもって思った。
「なるほどー。私が読んだ異世界と全然違うんですねー。
触手の話は聞きたかったですけど、それよりミリちゃん先輩の元の世界の方が新鮮で良いですー。
これから時間はたっぷりあるので、色々教えてくださいねー」
「まあ、おいおいね」
ついでなので、ネーさんと盆地のことも話した。
これでヴァネに隠していることは何もなくなった。
「ミリちゃん先輩の前世知識とネーさん様のお宝ー。
私が領主になったら、新事業立ち上げですねー。
ワクワクしてきましたー」
ヴァネは大きく伸びをして立ち上がった。
「母様に早く引退してもらうように動きたくなりますねー」
やめなさい。




