1.こんなお持ち帰りは嫌だ
転生して最初の感覚は激痛だった。
獣に足を咥えられて、森の中を引きずられていた。
痛みと恐怖が押し寄せる。
木の根に頭を打ち、あっけなく意識を手放したのは、むしろ幸いだったもしれない。
次に気付いたのは、洞窟の中だった。
草を集めた巨大な寝床があるから、きっとあの獣の巣なんだろう。
寝床の周りに散らばる噛み砕かれた骨を見れば、私の未来は簡単に想像できた。
とりあえず逃げなきゃ。
出口の方を窺うが、幸い獣の姿はなかった。
今のうちに、と立ち上がろうとしたら、足の激痛で倒れこんだ。
差し込む光で確認すると、右のふくらはぎに噛み傷があり、菌でも入ったのかパンパンに腫れている。
一番痛いのはそれだけど、体中全部痛い。
引きずられてくる途中で負った打撲やら擦り傷やらが満載だからだ。
何この理不尽?
健康体で転生って言ったのに、嘘じゃん。
遠くで木が折れる音が聞こえた。こちらに近づいてくる。
どうやらあの獣が戻ってきたらしい。
私は壁につかまってなんとか立ち上がり、諦め悪く洞窟の奥に向かう。
洞窟は浅く、数メートル進んだところで右に折れ、そこから2メートルくらい先で行き止まりになっていた。
洞窟の中に吠え声が反響する。
家主のお帰りだ。
詰んだな、これは。
あの白いおっさんを恨みながら死んでやる。
こんなことならセミに転生しとけばよかった。
私は奥の壁に背を預けて座り込んだ。
腰のところに風が当たる。
風?
ハッとして、私は腹ばいになり、風の出てくるあたり覗き込んだ。
ギリギリもぐりこめそうな穴が、奥に続いている。
うなり声と歩き回る足音が聞こえる。
私は慌ててその穴に体をねじ込んだ。
穴の先がどうなっているかなど考えることもなく、私は必死で奥へと這い進む。
動くたびに、ふくらはぎやらその他の傷やらが悲鳴を上げるけど、食われるよりマシだ。
体力が尽きる寸前、前に小さな光が見えた。
幸運なことに、行き止まりではなかったらしい。
最期の力を振り絞って進んだ先には小さな空間があった。
一瞬、そこも獣の巣かもしれないという考えが頭に浮かんだが、もう限界だった。
あたりを確認することもなく、私は再び意識を失った。
次に気付いた時、私は穴から這い出た体勢のまま、ごつごつした地面に倒れていた。
体調はさらに悪化していて、立ち上がることすらできない。
脈を打つような足の痛みに加え、熱も出ているらしく、ひどい悪寒と激しい喉の渇きを感じた。
このままじゃ多分死ぬ。
私は根性で上体を起こした。
周りを岩で囲まれた、6畳間くらいの空間だ。
中央にバスケットボールほどの大きさのクリスタルが置かれていて、それが青白い光を放っている。
冷たそうだ。氷枕の代わりになるかもしれない。
死ぬにしても頭くらい冷やしたい。
私は重い体でズルズルとクリスタルに這い寄り、頭を押し付けた。
……ああ。冷たくて気持ちがいいな……。
と思った瞬間、クリスタルが大きく光を放った。
「わっ!」
私は驚いて後ずさった。
しばらく身構えていたが、特に何も起こることはなく、光はゆっくりと元の明るさに戻っていった。
「何だよ、もう……」
私はふうっと息をつき、服の埃を払い立ち上がった。
あれ?
立ててる……?
体を確認する。
どこも痛くない。傷は見当たらない。頭痛もなくなっている。
服には、破れもこびりついた血もない。実に動きやすそうな村娘ルックだ。
どゆこと?
さっきまで死にそうだったのに。
心当たりはあのクリスタルの光しかない。
いや、喜ぶべきなんだろうけどさ。
なんか、早速の異世界ファンタジーっぽい現象に、若干引いてしまった。
まあ、命が助かったわけだから、お礼は言っとくか。
「えーっと、ありがとうございました。助けていただいたみたいで」
私は、クリスタルに向かって頭を下げる。
……まあ、返事はないよね。石だし。
私は洞窟の地べたに座り、壁に背中を預ける。
命が助かったとはいえ、詰んでいる状況は変わらない。
外には捕食者。ファンタジー世界だから魔物かもしれない。
引きこもるにしても、ここはクリスタル以外何もない八畳間ほどの洞窟。
「とりあえず、水だよなあ……」
水も食べ物もないから、このままじゃ飢え死にまっしぐらだ。
謎ヒールのおかげか今は特に渇きを感じないが、だからこそ、今のうちに対策を考えておかなければ。
『……あの、お水、いりますか?……』
小さな声が聞こえた。
いや、音は聞こえなかった。頭の中で誰かが呟いた感じだ。
気のせいかと思って一旦は無視したが、やっぱりそうじゃないような気がして、聞き返す。
「……え?」
この間、たっぷり1分は間が開いていたと思う。
反応が鈍いにもほどがある。
『……お水、いりますか?……』
気のせいじゃなかった。
なかったけど、これ幽霊とかそういうのじゃない?
ゾワっとした。
「い、いりますけど……、誰ですか?」
『ダ、ダンジョンコアです……』
ビビった声で尋ねると、ビビった声で返事があった。
悪意はなさそう。
私はちょっと落ち着きを取り戻す。
「ダンジョンコア?」
『はい……』
……そんだけ?
もうちょっと自己紹介とかなんかないの?
『……お、お水、出しますね』
沈黙に堪えかねたようにクリスタルが明滅し、私の前に木のカップに入った水が出現した。
「ありがとうございます。いただきます」
転生してはじめて口にした水は、冷えてはいなかったがとてつもなく美味しかった。
『す、すみません。美味しくなかったですよね……』
余韻に浸っていると、泣きそうな声が届いた。
前世でもそうだったけど、黙っていると機嫌悪いって思われるのなんでだろう。
てか、それって転生しても変わんないわけ?
あの白いクソおやじ、いい加減な仕事しやがって。
『ヒィ……』
「あ、ごめんなさい!
怒ってません。怒ってませんから!」
転生担当官とやらに向けた怒りで、さらに怯えさせてしまったようなので、慌ててフォローする。
コミュ障感全開だけど、恩人の自称ダンジョンコアさんを泣かせる趣味はない。
「改めまして、命を救っていただいてありがとうございました。
お水すごく美味しかったです。
それから、怖がらせてしまってごめんなさい」
私は元日本人らしく正座し、心を込めてお礼とお詫びを述べた。
『いえ、そんな……。頭を上げてください。
それに、謝らなければいけないのはこちらの方なんです』
「え?」
『あ、あのっ、かっ、勝手にダンジョンマスターにしてしまって申し訳ありませんでしたっ!』
クリスタルがスッと暗くなり、震えてるみたいに揺れる。
私は、いきなりの告白の理解を試みる。
「……ダンジョンマスター?」
『……はい……』
「私が……?」
『……はい……』
「……マジで?」
『……はい。申し訳ありません……』
弟よ、元気ですか?
姉はダダリアとかいう異世界に転生した初日にダンジョンマスターになったみたいです。