表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

中編:鎖(物理)が解けても、鎖(心)は解けない。さて、どうする?

※物語上、軽度の裸体描写が含まれますが、性的描写は一切ありません。

【首輪が外れた朝──だが、それは本当の自由ではなかった】

物理的な拘束は消えても、心にはまだ見えない鎖が残っている。

選ぶこと、欲すること、自分の意思を持つこと──それすら分からない少女リテアに、アッシュは「自由」を教えようとする。





それは、紛れもない事実だった。彼がずっと気にかけ、どう外すべきか悩み、そして昨夜、危険を承知で試みた「術」の対象が、そこにはもう無いのだ。


(...まさか...!)


その事実に気づいた瞬間、アッシュの脳裏に、昨夜術を施した際、リテアの体に触れていた部分で感じた微かな変化が蘇った。


まるで、固いものが溶け去るような、極めて短い感覚。しかし、術の激しい反応の中で、それは意識に留まらなかった。


今朝──改めて確認する必要があるが


朝の光の下で、リテアの首元を改めて確認する。毛布が落ち、そこには何も付いていない。跡形もなく。


その事実に改めて向き合った瞬間、アッシュの胸に温かいものが込み上げた。


張り詰めていた糸がぷつりと切れたような、大きな安堵感。そして、言いようのない喜び。術は、本当に成功したのだ。


(よかった...! 本当に、外れたのか...!)


アッシュは、自然と顔に笑みを浮かべていた。


(もう...もう、()()()()()()()()()()()


心の中でそっと呟く。


(自由に、生きるんだよ、リテア)


もう、誰かに所有されることも、モノとして扱われることもない。


この朝、彼女が迎えているのは、本当の意味での「自由な朝」なのだ。


アッシュは、そのことに心から安堵し、優しい眼差しをリテアに送った。リテアはまだ、自分の首輪がなくなっていることには、気づいていないようだ。


彼のアッシュに浮かぶ笑みは、ギルドの受付嬢たちが「あの好青年らしい笑顔」と評するような、真面目で爽やかなものだった。普段、ギルドで見せる顔。


リテアのネコ耳がぴくりと動き、琥珀色の瞳がゆっくりと開かれた。寝起きのぼんやりとした表情で、アッシュの、その満面の笑みを見上げる。


「...ん...? あ、おは...よう...ご、ざいます...?」


まだ少し眠たそうに、リテアが挨拶を返した。そして、体を動かした際に、自分が何も身につけていないことに気づいた。


それは、昨夜、術を受けた際に着ていた服が、おそらく術の影響で弾け飛んでしまったためだろう。


しかし、彼女の顔に、強い羞恥や慌てる様子は浮かばなかった。ただ、状況をぼんやりと認識した、というだけだ。


長らく染みついた奴隷としての習慣──自己の身なりを気にせず、指示されるままに行動する──が、彼女の羞恥心や自己防衛本能を鈍らせてしまっているのだ。裸体であることへの動揺よりも、目の前のアッシュの表情の方が、彼女にとっては重要だったのかもしれない。


アッシュは、リテアが裸体のまま毛布から出かかっていることに気づき、すぐにベッドの脇に落ちていた毛布を拾い上げ、リテアの体優しく掛けてやった。


リテアは、アッシュが毛布を掛けてくれたことで、自分が裸体だった状況を改めて認識したが、やはり大きな反応は示さなかった。長らく染みついた奴隷としての習慣が、彼女の羞恥心や自己防衛本能を鈍らせていたのかもしれない。


ただ、アッシュの、いつもと変わらない優しい笑顔を見て、少し安心したような表情になった。そして、何かを決意したように、意を決して口を開く。


「...あのっ」


小さな声だったが、そこに迷いはなかった。


「あ...うん?」


アッシュは、リテアが何かを切り出そうとしているのを感じ、少し身を乗り出した。


リテアは、アッシュの顔をじっと見つめながら、続けた。


「...あの...ゆうべのこと...ちょっと...体が...変で...」


リテアの言葉に、アッシュは一瞬、固まった。(ゆうべのこと...やはり術の副作用についてか...? 体の具合が悪いのだろうか)と内心で焦る。リテアの表情は、困惑と、何か言葉を選んでいるような様子だった。


「ああ、ゆうべのことか...」


アッシュは息を整え、努めて穏やかな声で言った。彼の脳裏には、術を施した際の、リテアの激しい反応が蘇っていた。術の代償として体が苦痛や異常な熱を帯びることは聞いていたが、まさか、あのような──。


リテアが言葉に詰まっているのは、自分が感じた体の反応をどう表現していいか分からないからなのだろうか。それは、辛さや苦痛だけではない、何か別の、彼女にとって理解しがたい、あるいは嫌悪感を抱くような感覚だったのだろうか。


「どうだい? 具合は...どこか、辛いところはないか?」


アッシュはリテアの身体の不調を気遣うように尋ねた。


彼は、リテアが「ゆうべのこと」として言及しているのが、術の副作用である「激しさ」についてであり、それが決して性的な意味合いではないことを理解していた。むしろ、リテア自身がその「激しさ」の正体を知らず、困惑していることに胸を痛めていた。


リテアは自分の身体に何かが起きたことを漠然と認識していたが、その本質──奴隷の首輪が外れたこと──はまだ理解できていないようだった。


小さな手が恐る恐る自分の首元に触れる。

そこに、ずっとあったはずの硬い感触がない。


「え?うそ...!」


震える声だった。琥珀色の瞳が、驚きで見開かれる。

その視線がアッシュへと向けられた。


「どうして...どうやって...?」


問いかける瞳は、混乱と戸惑いに満ちていた。


アッシュは、リテアがパニックに陥らないよう、できる限り平静を装って説明を始めた。


「ゆうべ...君を縛っていたその首輪を、外すための術を試みたんだ」


その言葉で、リテアの瞳がさらに大きく見開かれる。首輪...そして、外れた...?


「どうすれば、あの首輪を外せるのか...ずっと考えていたんだ」


アッシュはそこで、二日前の出来事を思い返していた。




回想:二日前、ギルドにて


ワイバーン襲撃現場からリテアを連れて街に戻ったのは、あの日の夕方だった。


ルイが無事だったかどうか、気にかかりつつも、まずはリテアを安全な場所に確保し、酷い汚れを落とすこと、そして何よりも彼女を縛る「特別なもの」(奴隷の首輪)をどうにかしなければならなかった。


その翌日、リテアを安全な宿に預け、アッシュはギルドへと向かった。


ワイバーンの討伐依頼は複数出ていたはずだ。他のアッシュたちも森に入っていた可能性がある。ルイの安否を確かめるため、そして依頼の報告をするために。


ギルドの建物に入ると、いつもの活気に満ちていた。冒険者たちが騒がしく情報交換をし、受付嬢が忙しなく対応している。


「あら、アッシュさん。お帰りなさい!無事でしたか!」


受付嬢の一人が、アッシュに気づき、安堵した表情で迎えてくれた。

ギルドの「頼れる好青年」である彼への、いつもの温かい対応だ。


「ああ、ただいま。例の依頼は完了したよ」


アッシュはギルドでの顔を見せながら、依頼達成の報告書を差し出した。書類の確認を待つ間、彼はギルドの中にいる他の冒険者たちの顔を探した。


そして、見つけた。カウンターの隅で、他の冒険者と話している見慣れた後ろ姿。長い黒髪に、小さな角。鬼人族の魔法使い、ルイだ。


(ルイ!無事だったのか!)


安堵感が胸に広がる。


あのワイバーン相手に一人で殿しんがりを務める形になってしまった。無事でいてくれたことに、心からホッとした。声をかけようと、一歩踏み出した時だった。


ルイがこちらに気づき、バッと振り返った。彼女の鬼人族特有の鋭い瞳が、アッシュを捉える。その表情は、安堵や喜びではなく


──怒り、そして非難の色に染まっていた。


現場で見た、あの首輪。アッシュがそれを承知で、あるいは気づかずに、あの少女を連れて行ったことに、ルイは強い危惧を抱いていた。


アッシュが何か言う前に、ルイは足早に近づいてきて、剣呑な口調で言った。


「アンタ...! あの時の少女は、どうした!?」


声は低く、周囲には聞こえないように抑えられているが、その剣幕は只事ではない。


アッシュは面食らった。ルイが非難するのは、てっきり「なぜあの場でワイバーンと最後まで戦わずに逃げたのか」という点だと思っていたからだ。


しかし、彼女が気にしているのは、ワイバーンの脅威から逃げ延びたことではなく、リテアを連れて行ったことだった。


「リテアなら、無事だ。街の宿に...」


アッシュが答えようとすると、ルイはさらに食ってかかった。


「なぜ連れて行った!? ああいう『商品』には、迂闊に手出しするもんじゃないって、分かってるはずだろう! 後々面倒なことになるってことを!」


「商品」...その言葉に、アッシュの顔から血の気が引く。


ルイは、リテアの境遇を知っていた。そして、それが奴隷であり、手出し無用のものであると認識していたのだ。


「面倒...だと? 見殺しにしろとでも言うのか!?」


アッシュは思わず声を荒げそうになったが、ギルドであることを思い出し、感情を抑え込んだ。


ルイはフン、と鼻を鳴らした。


「見殺しって話じゃない。あの馬車が何を運んでいたか、知らずに手を出したわけじゃないだろ? あの手の『商品』には、手出し無用って裏のルールがある。それを破れば、誰が送り込んだ『商品』だろうと関係なく、追われることになるんだ」


ルイの言葉には、裏社会の事情に対する知識が滲んでいた。


そして、「裏のルール」「追われる」という言葉は、アッシュの胸に重く響いた。


彼自身、ギルドでの顔とは裏腹に、裏社会にも人脈を持っていたからこそ、ルイの言葉の持つ意味を理解できた。ルイもまた、彼と同様、表と裏の世界を知る人間だった。


だからこそ、彼女はワイバーンから逃げ延びたアッシュではなく、リテアを連れて行ったアッシュを非難したのだ。その行為が、どれほど危険な「ルール違反」であるかを知っていたから。


「...分かってる」


アッシュはそれだけ答えるのが精一杯だった。


ルイの言う通り、リテアを助けたことで、自分は危険な渦中に足を踏み入れてしまったのかもしれない。だが、後悔はなかった。あの時、あの少女を見捨てることなど、彼にはできなかったのだから。


ルイはそれ以上何も言わず、冷たい視線を残して去っていった。嵐のようなやり取りの後、アッシュは一人その場に立ち尽くした。


ルイの警告、そしてリテアの首元にあった「特別なもの」。どうすれば、その危険からリテアを、そして自分自身を遠ざけられるのか...。考えは、「特別なもの」を外すことに集中した。


通常の手段では外せない。闇の術士...。彼の幅広い人脈の中で、この手の特殊な術に詳しい人間は一人しかいない。ギルドでの依頼報告を済ませた後、アッシュはその闇の術士に会うために、街の裏通りへと向かった。


闇の術士の居場所は、薄暗く、湿った空気が漂う地下の一角だった。薬草や不気味な魔術具が並び、異様な雰囲気を放っている。


「...来たか」


部屋の奥から聞こえてきた声は、どこか枯れていて、性別さえ判別しにくい。闇の術士だ。


なぜアッシュが彼と知り合いなのか、どのようにしてこの場所に辿り着いたのか...それは、この物語では深く語られない。ただ、アッシュが様々な世界の住人と関わる中で、自然と築かれた関係性の一つなのだろう。


彼自身の性格や、好奇心、あるいは依頼の遂行の過程で、危険な場所に踏み込むことを厭わない性格が、この手の人間との繋がりを生んだのかもしれない。


「聞きたいことがある」


アッシュは単刀直入に言った。彼は時間が惜しかった。リテアが安全な時間は限られているかもしれない。


術士は答えない。ただ、部屋のさらに奥にある、蝋燭の光が揺れる一角を顎で示した。そこへ進むと、古びた羊皮紙と、何やら呪術的な文様が描かれたお札が置かれていた。


「...例の首輪についてか」


術士の声には、全てを見透かしているような響きがあった。


「あれを外す術は、禁断に近い。施した術とは異なる、より根源的な解除が必要になる」


術士は、術の手順、必要な触媒、そして最も重要な「術を受ける者に及ぼす影響」について、淡々と説明した。


体への大きな負担、予測不能な反応...。危険を伴う術だと、改めて警告された。そして、奴隷商人が施す拘束の術とは異なる、この術の特殊性についても説明を受けた。


この術は、特定の方法で施された、外すのが非常に困難な奴隷の首輪を対象とする、より高次の解除術なのだと。


「これには、手を出してはいけない」


術士は最後にそう告げた。それは警告であり、彼自身が推奨しない術であることを示していた。


その言葉を聞いた瞬間、アッシュの脳裏に、ギルドでルイから言われた言葉が蘇った。


「ああいう『商品』には、迂闊に手出しするもんじゃない」

「後々面倒なことになる」


ルイも、この闇の術士も、同じ「手を出してはいけない」という種類の危険を示唆しているのだ。


(手を出したら...どうなるんだ?)




リテアが語った言葉──『鍵』。

その響きが、アッシュの胸に重く残った。

それは、リテアが抱えるさらなる運命の扉を示すものだったのかもしれない

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ