Neptune(9月12日)
無我夢中で走り、その時に何を考え何を思っていたのかは覚えてもいない。
それでも一秒でも早く。その思いしかなく、涙の一粒さえすぐに出ることはなかった。
「雫星!」
病室の前までたどり着いた時、僕は雫星に確実に聞こえる声でそう叫んだ。
でも僕はそこで目にした光景に絶句した。
視界の先には涙する雫星の両親と、無念そうな顔をしているだけの担当医師、看護師。そしてその下で目を瞑っている雫星の姿……
その場景が表すもので認めるしかないはずなのに、不思議なことになぜか眠っているだけのようにも見えてしまう。だけどそれは多分、死に目に会えなかったというプライドを隠したいだけで、頭ではちゃんと理解できていた。
怖かったんだ。それを認めて現実を知ってしまうのが……
だからどこかでまだ信じていた。
「雫星。」
そう言ったら何事も無かったかのように雫星が目を開けるんじゃないかって。
だって今までもそうやって名前を呼んだ先にはいつも君が居て、必ず返事をしてくれたから。僕らの誰がその名を読んだ時も、雫星が無視をすることなんて一度もなかったから……
「雫星!」
だからそう叫んでも君が何も反応を示さないのを見た時、僕は泣き崩れることしかできなかった。
「何でだよ…何で何も聞こえないんだよ……無視するなよ。雫星……」
泣き崩れる僕たちを前に、看護師の人は冷静に言った。
「人間の動きで最後に止まるのは耳だから。だから声を掛けてあげて。
雫星ちゃんにはまだみんなの声が聞こえているから」
確かに握った雫星の手はまだ人並みに温かくて、今も尚、血が通っているかのようだった。
もし雫星に今も本当に聞こえているのだとすれば、僕のこんな言葉を聞いて苛立っているだろうか。たとえそうだとしても、今の僕には何も分からない……
何の言葉を掛けていいのかも分からず、ただ時だけが過ぎていった。
けどそうやって僕が何も言えずにいた間も、僕以外の三人は掛けられるだけの言葉を掛けていた。
今までのこと、これからのことを話す結月や火ノ川。もう今更頑張る必要なんてないはずなのに、「頑張れ。まだ大丈夫だから」と応援している宙斗。
でもまだ目の前に雫星は居て、眠っているだけだと思えば失ったという感覚を得るにはまだ早い気がして……
けれど握っていた手が徐々に硬くなっていく感覚が伝わってきた瞬間、僕は初めて死という恐怖を感じた。
そしてそれまで温かかった手は徐々にぬるくなっていき、その時間と共に生き物としてのしなやかさをなくしていく指……
雫星は死んだんだ。もう声も届くところにいないのだと、僕たち四人は何も言わずとも全員が同じ時に悟っていたはずだった。




