Uranus(5月17日)
余命一年という目安がなくなっても、僕たちの生活が今までと大きく変わることはなかった。
学校が終わり、仕事がない日にはそれぞれが雫星の病室へと赴き、たまに全員で集まれた日には和気藹々と刹那に感じる時間を過ごす。
そして学校を終えた水曜日の今日、僕は一人で雫星の病室へと向かっていた。
宙斗と火ノ川はそれぞれバイトがあり、結月は委員の関係で少し遅れてくるとのことだった。
僕と雫星が出会ってからも早一年。その期間を経て慣れ親しんだ道から今日も病室の前まで辿り着く。
けど辿り着いてすぐに気付いた。いつも通りの開いている病室の扉から、いつもとは違った雫星の姿が目に入る。
一見窓の外を見つめているだけかと思えば、反射した窓に映る雫星の顔には涙が伝っていた。
でもすぐに同じ窓を通して僕と視線が合った雫星は、急いで涙を拭い恍けたような顔をして言う。
「あれ?意外と早かったね」
それさえも涙声の雫星に、僕は動揺しながら話し掛ける。
「雫星……もしかして……」
もしかしたら雫星は今日まで死ぬことを恐れていたのではないかということを、僕はこの時になって初めて気付いていた。
いつもは明るく死後の話をする雫星の姿から、僕の方が置いてけぼりにされているような気持ちでいた。けれどその涙が常に真逆の意味を持っていたと証明する
のだとしたら……
でも雫星はそんな感情をグッと抑えたような表情になって言う。
「あっこれね。
今見たことは、みんなには内緒にしておいてくれる?」
隠し切れはしないと思ったのか、そう言ってまた無理にいつもの笑顔を見せようとしている。
そんな見るからに偽りである雫星の態度に、僕は色々なことを思った。
今日まで僕は雫星の死に向き合おうとはしていなかったが、それは僕たちの立場だから出来たことであって、雫星の立場からでは見ない振りをすることなど許されないことであったということ……
「ごめん……」
僕は思わず謝罪の言葉を口にしていた。
今日まで雫星はどんな気持ちで死について話してくれていたのだろう。
余命一年、それは残酷であり、どこかそこまでは必ず生きてくれるのではないかという定めの日でもあったのかもしれない。
けれどもう余命として記される日もない。それを今になって実感した僕は、恐怖で震え上がりそうにさえなる。
そしてふと思い出す。雫星が余命一年を迎えた日、欲しいものの代わりに答えた内容を、僕は冗談半分で聞いてしまっていた。
そんな僕たちを前に、笑顔で言った裏で雫星はどれだけの思いを抱えていたのだろう。あの時は雫星が言った、その言葉の重みを知ろうとすることすらなかった。
それでも僕の口からふと出た謝罪の言葉に、雫星は怒るどころかクスッと笑っていた。
「陽が来たから元気になった。
やっぱりまだ生きてるんだなって実感できる」
悩みが消えたわけでもないはずなのに、それが本心なのか僕は疑いの目を持ちながら聞く。
「やっぱり、雫星は死ぬのが……」
僕が言い掛けると、雫星はそれを遮って情けなさそうに言う。
「本当はね、死ぬのを受け入れたはずだし、受け入れようって頑張ってた。
でも、また振り出しに戻っちゃったみたい……」
僕はその中の受け入れるという言葉が引っ掛かった。
「どうして雫星は死ぬことを受け入れようとするの……?」
すると雫星は僕の目を真っ直ぐ見ながら答えてくれた。
「定められた運命だから。
今私がどう足掻いても、どう願っても大きく結果が変わることなんてない。
確実に近い未来に終わりは来るの。
それなら、嫌だってそれから逃げ続けるよりも、受け入れてカッコよく従う方が良い終わり方に見えるでしょ?
私っていう人が、そういう人であったって思ってて欲しいのかもしれないだけなんだけど……」
余命宣告を受けた人が儚いように見えるのは、何かの本や映画で生み出された幻想に過ぎないのかもしれない。
実際はそれがどれだけ酷なことで、苦しいことなのか。僕たちはまだそれさえも分からないままだ。
けど僕は思う。
「そんなの、受け入れられることじゃないよ。受け入れる必要なんて……」
僕がそう言うと、大人びた冷静さで雫星は言った。
「でも私は死ぬの……余命も過ぎて、もう長くはないの……」
それを否定することは出来ず、二人共々下を向いて何も言えない空気が漂う中、病室の外に目を向ければそんな光景を目の当たりにして気まずそうな顔をする結月が立ち尽くしていた。
そんな結月を見ても動揺することはなく、雫星は言った。
「今でも時々ね、私がいなければもっと楽しかったのかなって考えちゃうんだ……
こんな辛い思い、私だけでいいのに、優しいみんなを巻き込んじゃったから。
みんなはこんな私でも見捨てないでくれる。それでも大切な人を不幸にはしたくない。」
雫星は誰にも知られず死ぬのが嫌なだけで、今日まで死ぬのは受け入れているものだと思っていた。
けれど雫星が本当は死ぬのを恐れていたと知った瞬間、雫星の口から発せられる一言一句が、前よりも強くは見えなくなり、弱音を吐いているような姿にも見えてしまう。
でも同じ場にいる誰かが平常心では無くなった時、反対に自分が冷静になれたりすることもある。
「ただ今日が楽しい。そう思いながらこの一年を生きてきた。
それは簡単なことじゃない。けどそう思えるなら、敢えてそれ以上を望む必要は僕たちにはないよ。」
これは美しいだけで終われる話じゃない。でももし変えられない未来が一人だけを蝕もうとしているのなら、それだけは違うことを知って欲しかった。僕がそうであったように……
「雫星の死を、ちゃんとみんなで受け入れたい」
そう言った時、雫星は沈みそうだった顔を上げていた。
「だからもうそんなこと言わないでよね。」
僕に続けてそう言った結月は、持っていた袋を上の方に持ち上げて見せる。
「ほら、雫星が好きそうなスイーツ、奮発して買ってきたんだから」
すると雫星は小さく笑って言った。
「ありがとう……」
火ノ川と宙斗には内緒という体で、三人だけで甘いスイーツを楽しむことにする。
そして食べながら結月が聞く。
「雫星は次どこに行きたい?」
「えっ?」
どうしてかいつもの質問を久しぶりに聞くことになったからか、今日はやけにその質問に驚いている気がした。
それでもスイーツへ向けフォークを動かしながら雫星は言った。
「富士山が見たいかな……」
その言葉を聞いた結月はすぐに笑顔になって言う。
「富士山ね!分かった!」
「富士山かぁ……」
そういえば実際に見たことはないような気もする。
新幹線に乗った時にも、雨や座席の関係であまりちゃんと目にする機会はなかった。
「それじゃあ次の夏休みだな」
僕にとってはそれが一番現実的な日時であり、もう目の前に迫って来ている休みだと思っていた。
でも雫星は視線をスイーツに向け、僕たちとは合わせることなく笑顔で言った。
「私みんなに会えてよかった。
毎日が幸せで、もう思い残すこともないかなってたまに思う……」
その言葉で、雫星の死をより現実的なものに感じた。
結月はどう思ったのか、そんな中でもいつものテンションは変わらない。
「急に何言ってるの?こんなんまだまだでしょ!
まだ雫星といっぱい行きたいとこあるし、したいこともいっぱいあるんだよ!」
そう言って結月は自分の携帯にメモしているのであろうリストを、ニコニコしながらスクロールしていた。
雫星は結月のそんな姿を笑顔で見た後、またスイーツに視線を戻して綺麗に食べ終えていた。




