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Uranus(4月24日)

 雫星の病室の前に着いた時、僕のやる気はこんなものだったのかと思い知らされることがさらに辛くなった。

「陽?」

 病室の前で立ち止まっていると、雫星の方から声を掛けてくれた。

 きっと僕の顔色は決して良くないはずで、雫星もそれを見て心配そうな顔をしていた。

「ごめん……」

 そう言って僕は病室の中へと入り、雫星の横に腰を掛けた。

「何かあったの?」

 既に心配の目を向けてくれている雫星に対し、それでもまだ隠せるものなら隠そうと思っていた。

「え?あっうん、まぁね……」

 けれどそんな曖昧な返事で済むはずもない。

「バイト先でうまくいかなかったとか?」

 一昨日は何事もなく四人で病室に訪れていた。

 きっと昨日もバイトが休みだった結月たちがいつも通りだったことから、学校内ではなくバイト先で何かあったと悟っていたのだろう。

 僕のことをよく分かってくれているからこその洞察力だ。

 それでもそれを理由に雫星にこれ以上の負担を負わせて良いというわけではない。

「大丈夫だよ。きっと明日になれば気分も変わるかなって思うから。」

 僕はいつも通りとまではいかないものの、切り替えた笑顔でそう言った。

 元々は本当に軽い気持ちだった。気にしたところで変わることはないし、店長だって本気で僕をクビにする気はないことくらいよく分かっている。

 それに僕が今ここでどう思おうと、僕たちには簡単に辞めることができない理由がある。

 どれだけ悩もうと他に選択肢はない。やるべきことは一筋の道にしか続いていないのなら、今の僕に必要なのはその覚悟を決めるためのちょっとしたきっかけだった。

 その一言を、雫星の口から聞けたのなら……

「そんなにしんどいなら、辞めたらいいんじゃない?」

 けれどそれは僕の求めていた言葉ではなかった。

 多分それを言った雫星の目は優しかったと思う。でもその優しさにさえ気づけないほど、その言葉を今一番言ってほしくなかった人に言われてしまった気がした。

「どうしてそんなこと言うんだよ……」

 僕の反応は雫星が想像していたものとはまるで違ったのだろう。雫星は驚いたように言った。

「どうしてって……

いつも陽はすごく頑張ってるし、それにバイトでしょ?

陽の頑張りを認めてくれないところなんて、辞めちゃってもいいよ。

今のバイト先だけが陽の人生っていうわけじゃないんだからさ」

 そう言った雫星はいつもの笑顔を見せていた。

 それでも僕は、それに見合う笑顔にはなれなかった。

「僕の頑張りなんてどうだっていいよ。

頑張ってそれで何とかなるなら、いくらでも身を削って頑張るよ。」

 ただそれをいくらしたところで、肝心なところが変わるわけではないのも痛いほど理解している。

「雫星は色んな場所に行って、カメラロールがいっぱいになるまで写真を撮って。

そんな日々が楽しかったんじゃないの?」

「それはもちろん。でも……」

「僕が働かなかったら、もうそんな思い出だって作れなくなる。

僕らはその思い出をこれからも増やしたいって思って……」

 僕にとってはそれが限られた中でのせめてもの願いだったから。

 けどその一言を口に出した途端、さっきまでの雫星の笑顔はもうそこにはなくなっていた。

「私のせいなの……?

私のせいでみんなが辛い思いをしてるってこと……?」

 ポツリとそんなことを言った雫星の目はどんな瞳だったのか。

 その時の僕にはそこに映るものが何も見えてはおらず、ただ寄り添ってはもらえないという現状に苛立っていた。

「何言ってんだよ。そうじゃなくて……」

「こんな私のために頑張って、恩返しも何もできないのにみんなをただ辛い思いにさせてるってこと?

私嫌だよ、そんな存在になりたくない!」

 目を瞑りながらそう叫んだ雫星の声は、廊下にまで響き渡っていたのだろう。

 廊下を通り過ぎる人たちの野次馬のような視線を感じたが、目の前で感情的になる雫星を見て、驚きと共にその感情は僕にも伝染する。

「何でそうなるんだよ!

僕たちは一日でも長く雫星と、一秒でもいい思い出を作りたいって思って。

どうしてその気持ちを汲み取ってくれないんだよ!」

「陽たちに私の気持ちなんか分からないよ!

明日死ぬかもしれないって、そう思いながら過ごす人の気持ちなんて!

私の余命まで…あと数週間もない……。

けどその日々がみんなにとって重荷の時間になるのは絶対に嫌!」

「そんなの分かるわけないだろ!

今日まで僕たちがどう思って過ごしてきたかだって雫星は何も分かってない!」

 僕がそう言い放つと、雫星は今まで必死に胸の奥で押し殺してきた気持ちの栓が抜けてしまったかのように大泣きしていた。

 しばらくすると、何度か見たことがある看護師さんが心配した様子で泣きじゃくる雫星を宥めている。

 その時、ここに来たことは間違いだったんだと気がついた。

 僕はこの二日間で見たくはなかった光景を目にしている気がして、生きている心地もしないまま気づけば夕方になり、事のきっかけを忘れてしまったかのようにまたバイト先へと向かってはシフト通りの勤務時間で出勤をしていた。

 そこで見慣れた温厚な姿の店長から言われた。

「昨日は言い過ぎたよ。ごめんな。

地崎くんが頑張ってくれてることは分かっているし、人間だからミスは仕方がない。

だから今日からはまた切り替えて、一緒に頑張ろうな。このお店には地崎くんが必要だからさ」

 そう言って立ち去って行った店長の後ろ姿を見つめつつ、僕の中でも何か張り詰めていた思いが解けたような気がした。

 バイトで怒られたことがどうとか、そんなことがいつの間にかちっぽけな悩みになっていたことを、バイトが終わった帰りの道すがらに気づいていた。

 ただ僕は後悔していた。

 雫星の一日は僕たちと違ってかけがえのない時間のはずで、その一日一日を無駄にしないように笑顔だけで染め上げた思い出にすると決めていたはずなのに、僕は雫星と大声で言い合った。喧嘩した。そして泣かせてしまった。

 あといくつあるか分からない雫星の一日を涙の思い出にしてしまったんだ。

 雫星にもし今何かあったら。これが雫星との最後の思い出になってしまったのなら……

 僕がベットに着いたところで、寝られるはずもない一夜だった。

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