Jupiter(11月12日)
あんな事があったのにも関わらず、その場から離れ少し時間も経過すれば、誰もが忘れてしまったかのように明るく目の前に聳えた水族館へと走り出していた。
早速パンフレットを片手に、僕以外の四人でどこに行きたいかの作戦会議が始まっている。
「イルカショーが見たいな!」
そう言った雫星の言葉は問答無用で優先され、その時間に合わせ全てが組まれることになる。
「ならまずはここからだね!早く行こ!」
結月を筆頭に着いて早々に走り出す四人に、僕はついて行くのが精一杯だった。
久しぶりに訪れた水族館は、頭上を泳ぐトンネル水槽やライトに照らされた魚たちが生き生きとしている。これを見て子供の頃には自然とワクワクし、今はまたその時とは違った感情でこの光景を眺めていた。
どれぐらい位の時間眺めていたのか、僕は優雅に泳ぐ魚にしばらく見惚れていたのかもしれない。
「綺麗……そう思ってた?」
急に自分の傍から聞こえた声に僕は驚いてしまった。気付けばそこには雫星だけで、他の三人は姿を消している。
「三人は?」
「さっきあっちに自販機があるからって飲み物買いに行ってたよ。
私はここに残っててって。陽にも声掛けてたけど、全然気付く気配がなかったから」
雫星は呆れたような、でも笑顔はそのままに言った。
「そっか、ごめん……」
「陽は水族館好きなの?」
「いや、別に……
雫星の方こそ、テレビであんなに見入ってたんだし好きなんでしょ?」
「好きっていうか、興味があるって感じの方が近いのかな?
大きく見えるけど小さい水槽の中で一生懸命に生きてるから、どう思って生きてるんだろうって。
例えばあの魚、大きな魚と一緒に閉じ込められてるでしょ?
死と隣り合わせの恐怖とか。私みたいに」
雫星は今のそんな僕ともまた違った光景に見えているようだった。
「綺麗とか、そういう感情じゃないんだね」
「うん、でも綺麗だとは思うよ。
ただそれ以上に違う感想も私にはあるの」
「でもそれは雫星だけじゃないと思うよ。みんな色んな感情でこの水槽を眺めてる。
生きるのは人間だけじゃなくて、魚にとっても簡単じゃないはず。
けど生きたいと思って必死に踠いたり、そんな風に頑張っている姿に誰しもが綺麗と思えるんじゃないかな。
設計とか演出とか、色々含めればそういうのも深く関わってるのかもしれないけど、それはあくまでも補助みたいなもので、そこでの主役は変わらないはずだから」
「そうだね。死んでいる魚を見ても、泳いでいない魚を見ても、綺麗とは思わないもんね」
そんな冗談っぽくも聞こえるようなことを言ってはいたが、やっぱり生死の話をすれば雫星は何か考え込むような少し暗い表情になる気がする。その時の雫星からはいつもの笑顔が消え、切ないような表情になる。
僕は明るく笑っている雫星の方が好きだ。けれど今何を言ってもその笑顔に出来る自信はない。そんな時、僕の目の前をエイが通り過ぎた。
誰かに心からの笑顔でいて欲しい。そう思うなら、まずは自分からだよな。
「陽?顔が笑っているように見えるけど……」
雫星は急に笑顔になった僕にびっくりしていた。
「エイが笑ってたから」
僕がそう答えると、雫星は「そっか」と納得してくれていた。
「なら私は陽が笑っているから笑う」
そしてエイから始まった笑顔は、最終的に雫星にもちゃんと笑顔を齎してくれていた。連鎖して広がっただけの笑顔に理由なんかはなかったが、僕にとってはその笑顔が好きという深い意味があった。
目の前の光景を二人して笑顔で眺める時間。その穏やかな時間をもう少し楽しんでいたかったのだが、突如に耳に入って来るバタバタという足音と共に騒がしく僕たちを呼ぶ声が聞こえる。
「雫星、陽ー!イルカショー始まっちゃーう!!」
その急かすような結月の声で僕が時計に目を向ければ、イルカショーの五分前の時刻を指している。僕と雫星はしんみりとしていた空気から、目を見開きお互い顔を見合わせた後に結月に続いて一気に走り出す。
正直今日は四人が責任を持って動いてくれるとは思っていたが、やはりそうではなかったみたいだ。唯一そういうところはしっかり者であったはずの火ノ川でさえ、結月、宙斗に挟まれその空気に呑まれてしまったか。もしくは僕と同じく時間など気にしないほどにこの場を満喫してしまっていたのか。
どちらにせよ、今は全力で走るしかなかった。
「ほら、席取っておいたから!!」
息切れした結月にそう言われ、辺りを見れば先に座っている火ノ川や宙斗がこっちだと手招きをしている。
だが真ん中からは少し外れ、前方という訳でもないその席は、ギリギリで焦って確保したことをどことなく物語っていた。
「何でこの席なんだよ」
全てを悟った上で僕は隣に座っていた宙斗に小声でぼやく。
「しょうがないだろ。俺たちの全力はこんなもんだ」
それが仮に僕たち四人だけでの話なら、笑って終わることかもしれない。けど雫星が関わるとそういう訳にもいかない。雫星が望んだことは全部最後になっても良いようにと気張ってしまう。
「でもその代わり、全力で手挙げるからさ」
頼もしくも聞こえる宙斗の言葉は、数分後には実現されていた。
ショーの中盤、ドルフィントレーナーが前に来る人を募った。宙斗は小学生の子供たちに混じり、どでかい体格で大声と共に手を挙げ立ち上がってもいる。
その全力はそこらの子供以上で、周りにちらほらと座っていた子供たちはイルカよりも宙斗に目を向けていたくらいだ。
そして完全に苦笑いされながらも当ててもらえたことを喜んだ宙斗は、一旦席に座り直したかと思えば雫星に言う。
「ほら、雫星行けよ」
「え?」
雫星は目を丸くしていたが、僕たち三人もその趣旨を理解し、笑顔で宙斗と同じように雫星にそう促していた。
少し動揺しつつも雫星は背中を押され前へと出向く。てっきり宙斗が来ると思っていたのだろうドルフィントレーナーは、雫星を見て少しホッとしているような感じが遠くからでも僕には伝わって来ていた。
「雫星ー!」
僕たちはそれぞれにその名を叫んでいた。雫星はその叫びに呼応するようにこちらへと手を振っている。それをまた一瞬たりとも逃さないようにと僕たちはカメラを向け、写真というのはこういう時に撮りたくなるものなのかと僕も一緒になってその瞬間を楽しんでいた。
上手くやり遂げた雫星は会場全体から大きな拍手をもらい、一躍ヒーローのようになっている。
「雫星、良かったね」
イルカショーが終わり、結月にそう言われた雫星は想像以上に喜んでくれていたみたいだった。




