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Earth(6月8日)

 それから雫星が学校に来ることになったのは、検査などが重なって五日後のことだった。

 僕にとっての五日間はあっという間だが、雫星にとっての五日はどういうものだったのだろうと考えたりもする。

 誰もいない放課後の教室で、僕は眠気と闘いながら雫星を待つ。

 放課後になった理由としては、不登校の噂を流されている雫星を思ってのことであった。

 僕はうつらうつらする中で、ここ数日間の雫星との電話でのやりとりを思い出していた。実は雫星がこの学校に来るのは今回が初めてではないらしい。僕はそのことを二日ほど前の電話で知った。

 それはまだ雫星が小学生の頃、この学校の文化祭に母と二人で訪れたのだそう。

 雫星はその時のキラキラとした光景が忘れられず、その頃からこの学校を志望校にすることを決めていたんだとか。

 だとすれば念願叶って受かったのにも関わらず、一度も高校生として足を踏み入れたことがないというのはとても不憫な話だと思った。

 ただ結月に誘われ、今の自分の学力からしたら妥当だろうという理由でこの学校を選んだ僕なんかが、日々ダラダラと登校できてしまっているこの世の中の基準を疑いたくなる。

 そしてこの五日間、雫星は余っ程楽しみにしていたのか、僕の携帯は毎日のように雫星からの電話で鳴っていた。

 さすがに僕だってそれを無視するようなことはしない。

 多少は隠せない気怠い気持ちもありながら電話に出る度、電話の奥の雫星の声が日に日に弾んでいくのがとても不思議だった。

 最初は面倒くさいとしか思っていなかった僕も、どこか雫星という一人のために時間を費やすことも良いのかもしれないと思え始めていた。

 しばらくして、閉め切っていた教室の扉が開く音がした。

 僕は重い瞼を上げ、扉の方に目を向ける。

「どうも。」

 病院での姿とは打って変わって制服姿で現れた雫星は、自分でさえ見慣れていない姿だったのか恥ずかしそうにしていた。

 今日まで着られることもなかったはずの制服は、それでもずっと大切に仕舞われてきたのか皺一つなく、きっとこの学校に通うどの生徒の制服よりも綺麗だろうと僕は思った。

 けれど僕からすればそれは毎日のように目にしている制服でしかない。

 この制服が日の目を見る機会があって良かったとは思うが、それも敢えて口に出すべきではないと思い何も言わずに黙っていた。

 しばらくすると、雫星はがっかりとしたような顔を見せる。

「何か言って欲しいんだけど……」

 雫星は僕から何か言ってもらえると期待でもしていたのか、黙っている僕を見てそうは言われたが、僕は何を言うべきなのかが分からなかった。

 そういえば入学式の日にも結月から同じようなことを言われた気がする。

 僕はその時のことを思い出し、その時と一語一句違わずに同じことを言う。

「うん、いいんじゃない?」

 雫星だからといって僕が改めて何かを思うことはない。けどそんな僕の言葉に雫星は誰が見ても分かるほど不服そうな顔をしていた。

 確か結月の時も同様の展開になってしまったことを、僕は口にしてから思い出していた。

「それじゃあ……」

 少し気まずくなってしまった雰囲気に耐えきれなくなり、特に目的もなく立ち上がる。でも雫星の視線は既に僕ではなく、目の前の黒板へと移っていたことに軽く脱力した。

「授業して欲しいな……」

 そんな雫星が言った独り言を、僕は聞こえなかった振りをした。

 散々受けた地獄を自ら望んでまた受けるなんてあり得ない話だ。

 だけどやっぱり神様という存在は実在するのではないかと思う。そう思うしかないほどのタイミングだった。

「おっもう来ていたのか」

 教室の扉を開け、雫星を見て嬉しそうにした内海先生は相変わらずお気楽に教室の中へと入って来る。それまでは黒板以外に視線を向けることがなかった雫星も、内海先生には満面の笑みを見せていた。

 内海先生と雫星は僕が思っていたよりもずっと良い関係性に見えた。それはいつしか何故僕がこの場にいるのかと思わされてしまうほどだった。

 お互いが久しぶりの再会を喜び、僕なんかはそっちのけで話が進んでいく。

 その様子に僕は、正直今この瞬間ここから抜け出したとしても気づかれないのではとも思ってしまう。

 でも雫星は内海先生との会話途中、ふと思い出したように僕を見る。それはわざわざもう一度口に出さなくても、雫星が何を言いたいのかが僕にははっきりと分かった。

 これまた見て見ぬ振りをしたいが、余命宣告されている人からの願いを断るとなると、僕には荷が重すぎる。

 そして遂には内海先生の視線までもが僕へと向き、僕はため息を吐くようにその台詞を言うしかなかった。

「先生……授業してくれませんか?」

 それを聞いて嬉しそうにした雫星は、願うような表情で内海先生へと視線を戻す。ただ当たり前のことだが、この先生がこれほどまでに最高な願いを断るわけがない。

「そうか。そんなに俺の授業が好きなのか。

地崎からの直々の申し出だ。もちろんいいぞ!」

 どうなるかは想像できていたものの、どこか悪意のある言い方が僕には気に食わなかった。なので僕の方からも仕掛けてみることにする。

「あっ僕は参加しないですよ。」

 二人からの期待を遮るようにきっぱりと言う。

「えっ何で?」

 雫星はびっくりした顔で僕を見る。けど内海先生だけは違う。

「それは駄目な話だな。俺は地崎からの申し出だから受けたんだ。

頼んできた本人が参加しないと言うなら、俺も断る」

 内海先生の言い方には余裕があり、僕がこの後どう行動するかまで見抜かれている気がした。だけど僕もその内海先生の言葉が本心でないことを分かっている。

 でも雫星はそんな言葉でさえも本気にしていたのか、少し哀しそうな顔をしていた。

 どうしてこうも僕は先生の手の上で転がされてしまうのか、僕の善意はこの内海先生という存在に利用され尽くしていた。

「分かりました。参加します……」

 その瞬間の雫星の嬉しそうな顔と、内海先生のしてやったりの顔が僕の記憶に鮮明に残った。

「今日は時間的に無理だから、また次に来た時だな」

 内海先生がそう言うと、また僕をそっちのけでの会話はすぐに再開した。

 その日はそれだけで勝手に時が過ぎ、結局は僕がいなくても良かったと思うままに一日を終えた。

 それでも最後に輝く目をしながら病院へと帰る雫星を見て、僕はしょうがなかったんだと今日を肯定することにした。

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