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Mars(6月22日)

「おはよう」

 あの日常から数日が経ち、その間に色々とありはしたが、雫星のお決まりの挨拶も含め、また数日前までの放課後が戻ってきたようだった。

「おはよう」

 それに対し僕からもいつも通りの挨拶と、雫星を待ち構える教室には、雫星に新たにできた友達の三人がいつもとは違った光景で出迎える。

 教室を見た途端、雫星が少し緊張気味になったのは見て取れる。

 でもそれはきっと、他の三人に加えこの場にいる僕だってそうであり、特に病室で謝罪した日とは打って変わった結月の様子を、僕は少し不安にも思ってしまっていた。

 ただそれでも結月が深く負った気持ちを切り替えようと奮闘している表れなのだとしたらと、そこに敢えて手出しはせず、僕は何事もないように接していた。

 そして今では事の引き金を作っていたその結月こそが、僕にとって心強いと思える存在にもなっていた。

「ほら!行くよ」

 そう言って結月は当たり前のように雫星の手を取って教室を後にする。

 急なことに雫星は目を丸くしてされるがままになっていたが、行き先を前もって聞いていた僕たちは、そんな二人の後ろを見守るように付いて歩いた。



 僕のことをあれだけ言っていたのだから、相当な違いを見せてくれるのだろうと期待していた。

「まずは体育館で絶賛部活動中のイケメン探しから!」

 なので事前にそれを聞いた時には唖然としてしまった。

 けれど女子二人に僕の意見なんかもはや通用はせず、僕と唯一同じ意見を持ってくれていた宙斗に関しては、助け舟どころか僕よりも弱い立場にあった。

 ただ当の雫星は本心なのか、真面目そうな顔で真面目じゃない内容を言う結月に圧巻はされていた。

 見様見真似で隣の結月と一緒に体育館を覗き込む雫星の背中は、ここにいる誰よりも純粋であることを物語っていた。

 そんな二人に後ろから近づき、一緒になって参加した火ノ川が聞く。

「どう?好みの人は見つかった?ちなみに私はあの人ね」

 続け様に指を差して宣言した火ノ川に、僕の隣で共に少し離れた場所から見ていた宙斗はムっとしていた。

 本人には怖くて直接言えそうにもないのか、子供のようなあからさまな嫉妬だけで終わってしまう宙斗を見て、僕は呆れ笑ってしまう。

 けれど因果応報というものはすぐに訪れる。

「私はねぇ、あの人かな!雫星は?」

「ならあの人!」

 続けて答えていく結月と雫星に、さっきまで馬鹿にしていた宙斗の気持ちがすぐに分かった。

 徐々に雫星にも女子らしい笑顔が見え始め、一体何が楽しいのやらと嫌な感情が沸々と込み上げてくる。

 その僕の感情に限界が近づいてきた時、前のめりで覗き込んでいた結月は体をくるっとこちらに半回転させる。

「さてと!じゃあそろそろお腹も空いてきたことだし、次に行くよ!」

 そう言ってまた雫星の腕を引っ張り、結月は次なる場所へと歩き出す。

「あっうん」

 二回目ともなれば、雫星も少しはこの手法に慣れてきていたようだった。

 そして僕たちは学校を出てすぐの場所にあるコンビニへと向かう。

「ここの方が食堂よりもっと美味しいもの沢山あるんだから!

みんな、食べたい物ジャンジャンこのカゴに入れていって!」

 コンビニに着いて早々カゴを手に取り言った結月の言い方は、僕が食堂に連れて行ったことを遠回しにセンスがないと言っているような気がして不服に思った。

 そして結月の言葉通り、五人五色でそれぞれが食べたいものをカゴに入れていく。もちろん当たり前のように一本づつ飲み物も入れ、それを見てはまた食堂に連れて行った時の僕がケチ臭かったことを思い知らされていた。

 ただ僕たちがよく怒られる原因はこういうところにあるのだろう。僕たちはいつも後先を考えてはいない。

 いつの間にか一杯になっていたカゴを見ても、恐れることなくそれをレジに持って行けてしまう。

 そこで表示された数字を見て、初めて僕たちは金額というものに意識が向く。

「「「「げっ」」」」

 抑えようとしても、それは思わず雫星を除いた全員から出てしまった。

 唯一この場に財布を持って来ていない雫星だけは、僕たちをキョロキョロと心配するように見ていたが、僕たち四人はそんな雫星に心配を掛けないよう、表だけは平常心を保たなければならなかった。

 雫星の手前、それから誰が払うのかとずっと待っている店員を前に、今更後戻りという選択肢は残されてはいない。なのに最後の足掻きなのか、ほんの数秒の間でも僕たちはあれこれと逃げる術も探してしまう。

 けれどそれは必ずしも四人全員がというわけではない。

「うん、とりあえず割り勘ね!」

 こういう時に一番後先を考えない結月の決断は早い。

 その結果四人での割り勘にはなったが、四頭分してもその額はまだ学生である僕たちにとっては痛すぎる出費であることに変わりはなかった。

 僕たちは後悔の気持ちも抱えつつ、暗い気持ちで店員から商品の入った袋を受け取る。

 けれど不思議なことに自動ドアを抜けコンビニを出る際、まるで魔法のような入店音と共にそれは無かったも同然になってしまう。

 それから教室に戻れば、すぐに買ったものが机の上にばら撒かれ、僕たちにとって夢のような時間が始まる。

「よし雫星!今からパーティーの始まりだ!」

 そう言って僕たちはそれぞれが選んだ飲み物を持ち、上に高く上げる。

「「「「かんぱーい」」」」

 そんな日常が当たり前の僕たちに、そんな日常を初めて目の当たりにした雫星は少し遅れて言う。

「かんぱい……」

 その雫星の声はどこか僕たちとの温度差を感じはしたが、僕たちはそれを敢えて気にすることもなく、机の上からはすごい勢いで開けたばかりの袋たちの中身が無くなっていく。

 それと同時に僕たちからすれば日常茶飯事のことだが、やっぱりまだどこか浮かない顔をしている雫星が目に入る。

「どうかした?」

 僕が聞いてみると、すぐにその理由は分かった。

「いいのかな?ここって学校だし、もし先生に見つかっちゃったら……」

 確かに僕らと違って、雫星の思っているような真面目な生徒ならほとんどの人がしないのかもしれない。

 特に雫星にとっての学校のイメージなんて、テレビからの正当な部分しか切り取っていない断片的な情報のみの可能性が高い。

 けれどその一方で僕らみたいな生徒がいることも事実であり、それを知った雫星には多少の驚きもあるだろう。

 でもそんな雫星を見た僕以外の三人は、ニヤリと嫌な笑みを浮かべていた。

「何言ってんの?これが学校といえばの醍醐味でしょ!」

「これがなきゃ学校来る気にならないしな!」

 そう言って二度目の乾杯をする火ノ川と宙斗。

「だから雫星、これは内緒だよ!」

 次に結月は自分の口の前に人差し指を立て、優しく雫星にそう促していた。

 僕は雫星と会ってから真面目な一面しか知らなかったが、そんな三人を見て雫星は僕と居た時には見せなかったとびきりの笑顔を見せていた。

 それを純粋さが消えつつあると捉えることもできるが、僕はまたそんな雫星という人に興味を持てていたことも事実だった。

 そして続くパーティーを五人全員が心から楽しむことができた後、雫星は教室に入った時から関心を向けていた黒板に再度目を向けていた。

 そこには雫星が来るまでに少し時間があったため、結月と火ノ川の女子二人で雫星を歓迎するメッセージと共に落書きを残していた。

 それを見た雫星は教室に入ってすぐからそうであったが、改めて見ても目をキラキラと輝かせている。

 それもそのはずで、結月の読みやすい丸文字と、クラス中の誰が見ても上手いと感じる火ノ川の絵。

 たとえ時間潰しの一環として描かれたものだったとしても、それは男の僕からしても感動を誘うものではあったと思う。

 そしてそんな黒板から嬉しそうに目を離すことのない雫星に結月が言う。

「雫星も描いてみる?」

 そうして女子三人はそれぞれが色違いのチョークを一本ずつ持ち、落書きを始めていた。

「なら俺も描いてみよ!」

「あんたは絵が下手だから他の絵の目障りになるでしょ?」

 釣られて立ち上がった宙斗は相変わらず火ノ川の尻に敷かれていたが、ここ最近の宙斗も負けてはいない。

「俺だって上手く描いてやるよ!」

 そう言って宙斗もチョークを一本手に持ち、漲る闘志を燃やしていた。


 絵が上手い火ノ川からのレクチャーもあり、それぞれが順調に絵を描き進めていく。

「できた!」

 描き終えてすぐに雫星の声が聞こえる。

「初めてなのに上手だね」

 描き終えた自分の絵を嬉しそうに見つめていた雫星に、火ノ川は僕の目から見てもとことん優しく接しているように見える。

「ねぇ流和、私のは?」

「うん、次にいい感じかな」

 それまでは一番の優しさを貰っていた結月でさえ、雫星の次になってしまう。

「どうだ!俺も描けたぞ!」

 続けて満足気に言った宙斗の絵を見た火ノ川からは、さっきまでの笑顔が消えていく。

「下手すぎ。」

 案の定宙斗には厳しい火ノ川だったが、残りの女子二人もその絵には残念そうな顔を見せていた。

「そんなことないよなぁ?」

 僕の方を振り返り、落ち込み気味な宙斗にそう聞かれたが、未だ席から動くことなくお菓子を食べ続けながら観覧していた僕にとってはとんだ飛び火だった。

 こんなことに僕を巻き込まないでほしかったが、宙斗が聞くなら正直に答えるしかない。

「下手すぎだ。」

 そう答えた僕も、もちろん火ノ川の意見には納得だった。

 だが宙斗からは唯一の味方だと思われていたのか、裏切られたとでも言わんばかりの顔を示される。

「陽まで何だよ、めちゃくちゃ難しいんだぞ!

ならお前も描いてみろよ、どうせお前だって下手なんだろ?」

 そう言って怒りに任せてなのか挑戦状を叩き付けられたが、さすがに見てもいないのに下手呼ばわりされればこちらとて腹が立つ。

「いいよ、描いてやるよ!」

 自分で言うのも何だが、珍しく意気込んだ僕もまだ残っていたチョークを片手に宙斗の横に並ぶ。

 数十秒後、僕たち二人の絵はすぐに出来上がった。

「どっちもどっちだね」

 雫星からの感想は、プライドを賭けていた僕たちにとっては虚しいものだった。

 それでも自分と同類であることが嬉しかったのか、それを煽るかのように宙斗はやっぱりなと僕のことを見る。

 僕にはその表情が更に腹立たしかったが、普段からあまり表に怒りを出す性格ではない分、その沈め方も重々知っている。

 僕が深いため息と共に怒りを沈めると、それから僕たちはまた机の上に散らばったお菓子の残りを何事もなかったように食べ切り、黒板一面に書かれた落書きを五人で手分けして消していく。

 気怠い作業ではあったが、これをしなければ明日内海先生に何を言われるか分からない。

 ただそれを消すのには、何度も黒板消しを窓に持って行っては叩いてという作業で一苦労を強いられた。

 そして外にいた教師たちがたまにこっちに目を遣るため、ヒヤッと肝を冷やす瞬間もあった。けどそんな時間がまた僕たちにとっては楽しい思い出の一つとなり、昨日までは真面目一色であったはずの雫星も、良いのか悪いのか数時間経てばすぐに僕たち四人と打ち解けていた。 

 そして僕はふと今までのこと振り返り、肝心なことに気が付けていなかったのだと知った。

 今日という日まで僕は雫星が何をしたいのかということばかりを思い、自分が楽しむなんてことは上の空だった。

 きっとそれは雫星を中心に動くことこそが自分の後悔には繋がらない道だと信じていたからであって、雫星がその度にふと切ない顔を見せていたのは、僕が楽しめていないことに端から気づいていたからなのだろう。

 僕が楽しいと思っていない時間を、雫星が楽しめないのは当然のことだ。

 そして今日、僕は今までで一番笑っている雫星を見た。

 僕にとっても元々四人で過ごしていた時間は好きだったが、そこに雫星が加わった時間はもっと好きだった。

 けれど雫星は今も僕たちには計り知れないものを抱えている。

 だから少しでも今日という日が、雫星にとって楽しい思い出として深く刻まれてくれればいいなと僕は一人考えていた。

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