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吾輩は魔王である  作者: 成瀬ケン
第一章
8/14

魔王と生母

 その日は空から白いものが舞い降りていた。

 雪だ、大粒の雪が降っていたのだ。



『吾輩お腹が空いたのだ』

 吾輩母君の懐に潜り込んで、乳房をまさぐる。


『偉そうなことばかり言うけど、まだまだ子供だね』

 うんざりそうに吐き捨てる母君。

 それでもまんざらではない表情だ。吾輩を子供と感じて、愛情をもって接している。


 最近、その乳の出は少なかった。

 この凍てつくような真冬の寒さだ、捕らえる獲物の量は、皆無と言って等しい。

 吾輩が生まれた当初より、その体力は減少しているようだ。肉付きも悪いし毛艶けづやもよくない。



『母君は空腹なのか?』


『大丈夫さ。あたしはノラだよ、生まれてからずっとノラネコ。こんなの普通さ』


 母君は言って吾輩を毛繕いする。

 勿論やせ我慢だろう、吾輩を心配させまいとする優しさが含まれている。



 邸宅からは、いい匂いが漂ってくる。窓からうっすらと漏れる明かり、響く少女の笑い声。

 それが楽しそうな団欒だんらんのひとコマを連想させる。


 あの老婆は恐ろしいが、一緒にいた少女は優しいように思えた。

 数日前、あの老婆に追い掛けられたのだが、少女が『ばーちゃん、ダメだばい』と止めてくれたからだ。

 それにたまに『ほれ、食わっし』と食べ物を渡されたこともある。勿論吾輩、そんな御慈悲を受ける筈もなかったが、あの時の食べ物は実に美味うまそうであった。



『なぁ、母君。あの人間に命令して、食料を持ってこさせましょうか?』

 そう感じて吾輩は言った。


『なにを言ってるの、この子は!』

 思いもしない怒号が響いた。


『人間なんてあてにならない。あたしら他の生き物は、人間のせいで苦労してるんだから。人間ってのは悪魔みたいな存在なんだよ』

 普段の母君とは違った切実な表情だ。

 生まれてからずっと、煮え湯を飲まされてきたのだろう。散々しいたげられて、多くの子供達を奪われてきたのだろう。

……悪魔みたい、というのは流石に戸惑うが……



『とにかくもう少しの我慢だよ。春になれば暖かくなる。暖かくなれば、カエルなんかの小動物も動き出す。それに桜も咲くからね』


『……桜? それは美味なのですか?』


『桜は食べられないよ。だけど優しいのさ、全てが薄紅色に染まって、心まで鮮やか。あれを見れば、どうしてあたし達が、寒い季節を生き抜いたのか、その意味が分かるのさ。全ては春の訪れを味わう為なんだよ。桜は命の縮図なのさ』


『それは興味深い話でありますな。桜か、魔界にはそのようなものはなかったな』


『まだそんなこと言って』


『母君には信じて貰えぬだろうが、吾輩は魔王なのだ』



『馬鹿だね、 あんたはネコなんだよ。正真正銘あたしの子供さ』



 こうして吾輩は、母君の懐で眠りについたのだ。




 いつの間にか雪はやんでいた。

 代わって天空を支配するのは雄大な満月だった。それはそれは、えもいえぬ美しいお月様。月明かりは辺りを幽玄ゆうげんに照らして、全てをキラキラと輝かせる。

 人間の恐ろしさはともかく、この人間界の素晴らしさだけは実感していた。





 ……翌朝吾輩が目にしたのは、凍り付いて冷たくなった母君の姿だった……




 吾輩は魔王である。全ての邪悪の、頂点に君臨する存在。


 母親などというのは、今生こんじょうに吾輩が生まれる為の、その為だけの存在にしか過ぎない。

 吾輩が生まれれば、その意味を成さぬも同然。所詮この世に生を受けた全ては、一個の生命体に過ぎないのだから。



 だけど、心にぽっかりと穴が明いたようだった。

 支配とか暗黒世界とか、戦争とか呪文とか、その全てがどうだっていいように思えた。



 そんな吾輩の思いも知らず、太陽だけが眩しかった。ポカポカとした陽気が、昨日の寒さまで忘れさせてくれる。



『神の大馬鹿野郎!』

 吾輩全ての感情を洗いざらいぶちまけた。

 多分人間が訊けば「ニャーー!」としか聞こえないだろう。



 それでも良かった。

 吾輩全ての世界に、思いの丈をぶちまけたのだから__


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