魔王と人間
そしてそれは、吾輩達一族が、庭先で日向ぼっこを楽しんでいた時のことだ。
「麻美、勝手口の戸、ちゃんと閉めとけよ」
「分がってっぱい。最近、ノラが入って来っかんない」
少し離れた場所で淡々と話し込む者達がいる。
吾輩達が間借りしている邸宅の住人だ。気の弱そうな大人の男と、小太りな大人の女。
男は黒い"荷馬車の台車"のような物体に乗り込むと、凄まじい勢いで走り去って行った。
それには愕然となった。何故なら吾輩、人間が"魔法"を使えるなど、訊いておらぬことだったからだ。
そうこうしているうちに、小太りな女は邸内に消えていく。
代わりに現れたのは二人の人間だ。
「最近、ネコっ子、生まっちゃみでーだ。捕めねど、居着いちまうど」
「ダメだって、ばーちゃん、愛美が飼うんだがら」
それは腰の曲がった老婆と、まだ幼い少女。
『そこの老婆、いま一度申してみよ。ネコっ子とは吾輩のことであろうか? つまり吾輩を捕まえると、言いたいのか』
堪らず通達した。
なんという大胆な発言であろう。魔王である吾輩を、愚弄するも程々にするがよい。
このまま手討ちにされても、文句も言えぬ言い回しではないか。
「ミャァ、ミャァ」
……しかし この口だ、ミャァと、か細い声しか出てこない。
実際この口は厄介だ。獣という骨格構造のせいで、正確に発音するのが難しい。
かなり練習を積まなければ、呪文を唱えることも出来ぬであろう。
『あんた達、ぼやぼやしないで隠れるんだよ』
不意に母君が言った。それに呼応して弟達がその傍に寄り添う。どうやら木の幹に隠れる腹つもりらしい。
『なにを怖れているのです母君。ただの人間ではありませぬか?』
吾輩は進言した、何故に我々が逃げ隠れせねばならん。
所詮は人間だ、六界の中でも下等なる種族。
しかもヨボヨボの老婆と、非力なる幼子。魔王たる吾輩が恐れをなす相手ではない。
しかし母君の態度は変わらない。
『あんたは口ばかり達者だね。いいかい良くお訊き、人間ってのは恐ろしい存在だ。あたし達を捕まえて殺しちまう、簡単にあたしらネコを殺すんだよ。現に隣に住む子ネコ達は、人間に捕まって、コップに入れられて、水攻めで殺された』
その表情は悔しさに満ち溢れている。
その台詞が真実だとすれば、ネコにとって人間は天敵といえる。流石に背筋に冷たい感覚を覚えた。
『……人間の恐ろしさは理解しました。進言通り、注意することと致しましょう。それはさておき、人間は魔法を操れるのでしょうか?』
『……魔法? あんた、なにを言ってるの?』
『先程の人間の大人が乗り込んだ、箱形生物のことです。吾輩は、あのような生き物は知らぬ。……いや、あれには生気の欠片も感じ取れなかった。つまりは魔法、魔力を原動力として動かしておるのであろう』
吾輩訊ねるが、母君はきょとんとした様子。
『あんたやっぱり子供だね。あれは"自動車"という、人間の乗り物さ。あれにも気を付けるんだよ。あれに轢かれたら、紙切れみたいにペシャンコだ』
『成る程。自動車、という魔法であるか』
それで吾輩察した。乗り物ということは、やはり魔法であろう。
魔界においても、"じゅうたん"や"ほうき"のように、魔力で動く乗り物は幾多とある。魔力が籠められているということは、衝突すればただでは済まない。
一応注意するにこしたことはないであろう。
悲しいのは母君が、その事実に気付いていないことだ。所詮はネコという小動物、魔法という高等な世界観は、理解し難いのであろう。
それでも今生では、吾輩の生母である。これ以上責めないのが得策だと思えた。
『さてと、人間は居なくなったね』
そんな吾輩の思惑も余所に、母君はぐっと手足に力を籠めて伸びをする。
「ミャァ、ミャァ」
辺りから人間は消えていた。
天敵のいない庭先を、弟達が駆け回る。
この世の恐ろしさも知らず無邪気なものだ、単純な構造でうらやましくも感じる。
麗らかな陽射しで、確かに気持ちいい。
遠く見える山並みは枯れ木ばかり、つまり季節は冬真っ盛りといったところだ。
吾輩寒いのは苦手である。我が居城は燃え盛る業火の中にあった故にな。
風は皆無。ポカポカと照り付ける陽射し。近くの木々では、小鳥達がチュンチュンとさえずっている。
それを見ていると欠伸ばかりが出てくる。瞼を閉じて、暫しの眠りについたのだ__