魔王と桜
結局、魔力の源は崩壊した。聖霊が逃げ出したのだ。
風にのって魔力が降り注ぐとか、大地が死滅するとか、水が腐るとか、テレビの中ではてんやわんやの大騒ぎだ。
これで人間たちは、当分は魔力に頼ることを諦めて、人間らしい生き方を求めるそうだ。
しかしそこは愚かな人間のこと、その教訓を生かすことなく、再び破滅への道を突き進むだろう。
勿論そんなこと、吾輩には関係ない。
人間はおかしく騒ぎ立てるが、目の前に広がるのは普段通りの何気ない光景だからだ。
空は青いし、風も爽やか。陽射しも穏やかだし、鳥達のさえずる音も響いている。骨組みだった木々にも緑が芽吹き、新しき命で溢れている。
それはテレビなどに頼らず、己の身で感じれば理解するところ。
それより危険なものがこの人間界には溢れているのだから。
かくいう吾輩も、あの老婆のことだけは誤解しておった。
『兄貴、すまねーな、遅くなった』
それは吾輩の眼前にいるトラ模様のネコのこと。吾輩の末弟である。
老婆はこの者を殺してはおらんかった。近所の人間に預けて、その世話をしていたのだ。
こうして大きくなって、吾輩を訪ねてきたのだ。
『兄貴は全然変わらねーよな。まだ意味不明なこと言ってんのかよ』
しかもその飼い主は、ヤンキーとかいう種族らしい。あれ程可愛かった者が、ここまで悪の道に染まるとは……
『母君の御前であるぞ』
吾輩内なる感情を圧し殺し、眼前を見つめる。
そこにあるのは土盛りされた二つの土まんじゅう。我が母君と次兄の墓標だ。
これもあの老婆が建立したそうだ。
辺りは優しい匂いに包まれている。はらはらと空から薄紅色のなにか舞い降りていた。
『あの赤いの、あれはなんだ? うまいのか?』
『あれは桜である』
墓標の脇には、一本の大樹が根を張っている。天を覆い尽くさんと伸びる枝には、薄紅色の花が溢れんばかりに咲き誇っている。
これを末弟に見せたかったのだ。
『しかし綺麗だな。気持ちも安らぐ』
『そうであろう。母君達の命が宿っておるからな』
それが吾輩には母君の魂に思えた。
寒い冬を堪え、命に狂い咲き、生き急ぐように散っていく様は、実に潔い。
吾輩その野望を諦めた訳ではない。いずれは暗黒世界を構築して、人間達を懲らしめてやる。
いや、人間達を再教育して、その性根を鍛えるのもありかも知れぬわ。
どうせ吾輩、当分はネコ暮らし。先のことは追々考えることにしたのだ。
ただ今だけは、こうして母君の傍に寄り添っていたかった。
今は茶色い、土くれだけの墓標ではあるが、やがて幾多の草花が芽吹き、命に溢れることであろう。
人が思うより世界は強い。それがこの世の摂理なのだから__