僕は明日の夢を見る
ドリームウォッチの仕事は太陽が沈んでから始まる。
それを知った人は大抵「そりゃそうだ。寝るのが仕事なんだから」と言うが
勤務時間が遅いのは夜の方がよく眠れるだろうなんて配慮からではない。
演算要素を選ぶ未来省の監督官たちの協議が終わるのが夕方だから下っ端の電卓人間はそれまで待たされるというだけだ。
昼夜逆転生活を嫌がる同僚は多いが僕は気にしていない。
だいたい転職の自由がないのだから職場に文句を言ってもストレスをためるだけだ。
適性試験に合格してドリームウォッチになる以前から僕は環境に反発するのではなく迎合して生きる人間だった。
「やぁ同志エドガー、調子はどうだい」
「いつも通りだよ」
同志ロバートから手渡されたゴーグルは先月に改良されたにも関わらず逆に重くなっていた。
実のところ演算にはこんな大仰な装置は必要ない。
情報の送信は単なるサブリミナル動画なのだから市販のテレビモニターでも事足りる。
ガチャガチャと取り付けられた装置は全て僕らの性能測定を行うために用意されたものだ。
「動画再生10秒前、9,8,7……」
今日の映画はサスペンスだった。
廃棄指定のウィルスに感染した娘を救うため、廃棄省のキャリア官僚が娘を隣国へ亡命させようとする。
死体の偽装が巧を奏して娘は飛行機に乗り込むが、そこへ主人公の上司からドリームウォッチの未来予測が送られてくる。
何と娘は自ら廃棄指定ウィルスに感染し、父親を利用して世界を滅亡させようとしていたのだ。
真実を知った父親はロケットランチャーで飛翔直後の飛行機を撃墜。
世界は救われ主人公はユートピアが用意した新しい妻と子に愛されながら幸せに暮らす。
映画の内容そのものに意味はない。
検閲省に送られてきた作品のうち審査に合格したものを使っているだけだ。
重要なのは映画の合間に挿入されているサブリミナルメッセージにある。
1枚の画像が表示される時間はわずか0.03秒。
人間が映像を認識するには最低でも0.05秒必要なので理論上メッセージを「見る」ことは誰にも出来ない。
だがどういう訳か脳はこの認識不可能な情報を処理してしまう。
無意識の情報処理。未来を夢見るドリームウォッチの根幹を為すシステムだ。
「動画終了。ダイブまで10、9,8,7………」
口元に呼吸マスクを装着する。
隣の座席に座った新入りのウーは緊張で息を荒くしていた。
気持ちは分かるがあれではいいスコアは出ない。
この仕事では何よりリラックスが重要だ。
「2,1,0、薬剤投入」
意識が急速に薄れていく。
普通の人間ならこれで朝までぐっすりだがそれでは仕事にならない。
起きながら寝るのがドリームウォッチだ。
これを実践するためのイメージは人によって違うが僕の場合はロープ。
光が消え、音が消え、触覚すら消えてしまった世界で、それでも消えない一本のロープを掴み続ける。
ロープは物理法則を無視して縦横無尽に揺れ続ける。
そんなロープをただ掴む。眠ったままの水平な姿勢で、体感的には5分か10分。
実際の時間は分からない、夢の世界は全てが曖昧だ。
やがて光が、音が、触覚が戻ってくる。
半覚醒状態にある脳は大急ぎで僕が認識するための世界を創造していく。
素材となるのは僕が生きる現実の世界、そして監督官が用意したサブリミナルメッセージ。
マニュアルでは先入観を持たず、在るがままの光景を受け入れろとなっているが
それを馬鹿正直に受け入れる者など誰一人としていない。
ドリームウォッチは夢見る装置。
未来省が求める夢を見れてはじめて有用な備品として存在を認められる。
だから意識の焦点は常に都市に合わせる。
夢と魔法の学園都市でも火星人と共存する宇宙都市でもない。
顔のない神、偉大なる指導者ビックブラザーが支配する僕らの都市ユートピアの夢を見る。
「いい夢を見られたかね同志エドガー」
「いいえ同志セルゲイ、私は悪夢を見ました。ビックブラザーの銅像は倒されておりました」
「今回もかね」
「今回もです」
「………いったい何が起きてるというのだ」
「他にも同様の報告が?」
「確度Bだ」
これは300人のドリームウォッチの半数以上が似た夢を見たことを意味する。
「実際には確度Aもありうる。ビックブラザーへの不敬罪を恐れて申告内容を曖昧にした者もいるだろう」
「由々しき事態ですね」
「まったくな。箝口令は敷いているが情報が漏れれば反乱分子どもはいよいよ勢いづくに違いない」
「ドリームウォッチが口を出すことではないと理解していますが……
演算に使用している要素が悲観的すぎるのではありませんか?もっと極端な想定をするならば」
「監督官の中に反乱分子が混ざっている、か?」
「監督官の方々が厳しい選抜試験を潜り抜けたビックブラザーへの忠誠厚き方々なのは重々承知ですが」
「ドリームウォッチに使用する演算要素をネガティブなものにすることで
未来予測を悲劇的なものにし、それを喧伝することで反乱の機運を高める。筋は通っているな。
しかし同志エドガー、その可能性は2つの理由でありえないのだよ」
「どういうことでしょう?」
「一つ目の理由。前回までの監督官は全員廃棄した」
「ぜ、全員ですか?」
「全員だ。いかに反乱分子の浸透工作が巧妙だったとしてもこれだけ徹底した除染をして生き残りがいるとは思えん」
「そう、ですね」
「次に考えられるのは君たちドリームウォッチが反乱分子で虚偽の報告をしている可能性だが……」
全身の筋肉が緊張で痺れる。
体温は上がっているのに背中は冷たい。呼吸が、乱れる。
「この可能性もまたない。君たちのゴーグルには性能測定とは別に様々な監視機構が組み込まれているからな」
思わず激しく息を吐いてしまう。何度も、何度も。
同志セルゲイは滑稽な僕の醜態に笑み1つ見せずに話を続ける。
「となれば考えられる可能性は1つだ。分かるかね同志エドガー」
「………サブリミナル動画の作成班に反乱分子がいる、でしょうか」
「素晴らしい。実に論理的な回答だ」
「ありがとうございます」
「しかしこの可能性もまたありえないのだよ」
「えっ」
「私は監督官よりも先に作成班を疑った。だから作成者は日替わりにしてその都度廃棄している。
そして極めつけは今日だ」
同志セルゲイの放った言葉は信じがたいものだった。
「今日君たちに見せた動画にサブリミナルは含まれていない」
「は?」
「今日君たちに見せた動画にサブリミナルは含まれていない。つまり君たちは無意識の情報処理による未来予測をしていない。
君たちはただ眠り、ただ夢を見たのだ。にも関わらず大勢のドリームウォッチが同じ夢を見た。
我らが偉大なるビックブラザーの銅像が倒されこのユートピアが崩壊する夢を」
「そんな馬鹿な」
「同感だ。しかしこれは紛れもない現実だ」
「……いったいどうすればそんなことが出来るのでしょうか?」
「私は機材を疑った。ゴーグルや睡眠導入剤に仕掛けがあり夢の内容を誘導しているのではないかとな。
だがこの線も先程の調査で消えた。正直なところ打つ手がない。私にはな」
唐突にセルゲイが私の肩を強く掴んだ。
「しかし君ならば違うのではないかね同志エドガー」
「は?」
「君はドリームウォッチ、夢の専門家ではないか」
「わ、我々はただの装置です。夢を見ることしか出来ません」
「その夢こそが問題なのだよ。この問題はビックフラザーも非常に憂慮されておられる。
さらに厄介なのは使える人員も限られているということだ。
情報漏洩を防ぐためにもこの任務は機密を知った上で信頼できる人間にしか任せられない。
そして君は信頼できる人間だ同志エドガー」
セルゲイの肩を掴む力は一向に緩む気配がない。
「君のプロファイルを見たよ。
国家やビックブラザーへの忠誠心こそ平凡な数値だが特筆すべきはそこではない。
環境迎合力、とでも表現するべきかな。君は強大な存在には決して逆らわない。
忠誠心の厚いものでも近親者の廃棄の際は多少の抵抗をするものだが
君はこれまでの人生でそうした反抗を一度もしていない。
家族、友人、恋人、恩師、あらゆる逮捕、あらゆる廃棄に無条件で従ってきた。
抵抗しても無駄だと知っているからだ。臆病で無気力、ただ生存への渇望だけで生きる男。
君は実に模範的な国民だよ同志エドガー」
「ありがとうございます」
「工作資金はいくらでも用意しよう。私の期待を裏切るなよ?」
「もちろんです同志セルゲイ。あなたの人物眼が正しかったことを証明します」
その日の夜。
僕はセルゲイから渡された工作資金と貴重品を持って貨物列車に飛び乗った。
一応は諜報活動の一環と思わせる書き置きを残してきたが
こんな稚拙な逃亡工作で亡命を許すほどユートピアのマンハンターは甘くない。
仕掛けで稼げる時間はせいぜい数日。1ヶ月も逃げられずに僕は廃棄されてしまうだろう。
ただしそれはビックブラザーの支配が完璧であり続ければの話だ。
セルゲイはサブリミナルなしでもドリームウォッチが同じ夢を見ていた理由が分からなかったようだが
僕はそれを説明可能な学説を知っていた。
適性試験に合格した日に恩師がくれた古い本に書いてあったのだ。
それはカール・ユングという心理学者の書いた「人間と象徴」という本だった。
ユングによれば夢は個人の無意識だけでなく全人類が共有する集合的無意識によって形作られるのだという。
こんな生活にはもう耐えられないという国民のストレス。
経済力や軍事力から考えて破綻寸前であろうと予想する隣国の分析。
隙あらば混乱に乗じて自身が支配者に成り代わろうと考える野心家たちの野望。
それらが無数の無意識として集合し形となれば、サブリミナルなど使わずとも人間は未来の夢を見られるのだ。
ユートピアの崩壊は近い。あとはそれが僕が捕まるのとどちらが早いかの勝負だ。
幸いなことに逃走資金は笑ってしまうほど潤沢だ。
セルゲイは自分の人を見る目に絶対の自信を持っていた。
だからこそ一介のドリームウォッチにこれだけの金を預けたのだろう。
彼の人物眼は正しい。僕は彼の言う通り、臆病で無気力、ただ生存への渇望だけで生きる男だ。
適性試験に合格してドリームウォッチになる以前から僕は環境に反発するのではなく迎合して生きる人間だった。
だから僕は今回も環境に迎合する。
祖国であるユートピアが崩壊の危機に瀕しても、それに反発して殉死する愛国者になどならない。
素直に滅びの運命を受け入れ新しい人生を始めよう。
僕をドリームウォッチに任命した偉大なる指導者ビックブラザーも許してくれるに違いない。
ドリームウォッチは夢見る装置。
亡国の死人に明日の夢は見れないのだから。