第14話 NPCという天職
時は修学旅行2日目の昼。
昼食でたらふく海鮮を食った俺は今、伊豆諸島は大島のとある海岸で、選択していた海釣り体験をしていた。無駄にテンションが高い誰かさんと共に。
「見てくれ井口!」
なんて言いながら釣れた魚を見せびらかして来るのは、昨日出発の時刻に間に合わず、青い顔をしながら途中合流したポンコツ、立花菊代先生である。
「活きの良いのが釣れたぞ!」
「やったじゃないすか先生」
「写真! 写真撮ってくれ!」
すると先生は魚を掲げてどや顔を決める。
釣れたアピールうぜぇ……とは思ったが、俺は言われた通り、ポケットからスマホを引っ張り出して、魚とのツーショットを撮ってやった。
「よーし、この調子で次はカジキ釣るぞカジキ!」
「こんな浅瀬にカジキはいないですって」
瞳をキラキラとさせながら、慣れた動作で竿を振る先生。浮きが着水した後も、なぜか腰を下ろさず突っ立ったまま。
「信じればカジキだってマグロだって釣れる!」
とか根拠もへったくれもないことを言っちゃうあたり、相当釣りが楽しんだろう。いい歳して子供みたいにはしゃぐ姿が、やけに眩しく映った。
「たまにはいいな、こういうのんびりしたのも」
「誰かさんがもうちょい落ち着いてくれたら、もっとのんびりできるんすけど」
皮肉っぽく言えば、先生は眉を顰めて俺を見た。
「何を言う、この手の体験は楽しんでなんぼだろう」
「にしても気合入りすぎなんすよ。なんすかそのツナギ」
「ん、これか?」
言えば先生は竿を片手に身体をこちらへ向ける。
両手を広げてツナギを強調すると、にしっと歯茎を見せた。
「どうだ、釣り人っぽいだろ」
「いや、知りませんけど……」
「何なら中に水着も着てるぞ」
「それって意味あんのかよ……」
海で泳ぐわけでもなかろうに。
気合入れるポイント間違えてるだろ。
「さては今、ドキッとしたな?」
やがて先生はしたり顔でそんなことを。
「ドキッとしただろ? ん?」
などと言いながらグイグイ顔を寄せてくる。
旅行でテンアゲした勘違いババア、マジうぜぇ。
「するわけねぇだろババ、アッッッッ……!!」
わき腹に超ド級の猛烈な鈍痛。
この間の葉月のとは比べ物にならない。
あまりにも重い。アラサー故の鉄拳だった。
「近場に誰もいないからって暴力はルール違反でしょ……!」
「君が失礼なことを言うからだ」
先生は「ふすんっ」と鼻を鳴らして続ける。
「それに私はまだ29だ。ババアと呼ぶには若すぎる」
16の俺からすれば十分ババアだからね。
とは思ったが、鉄拳が怖いので口にしないでおく。
「君はそんなだから、周囲の人間にいらぬ勘違いをされるんだ」
「別に勘違いでもないですけどね」
やがて先生は椅子に腰かけ「ふぅ」と一息。
ほんの僅かな沈黙の後、声音を変えて言った。
「それで、いよいよ明日は班行動なわけだが」
チラリと俺を見やり、先生は続ける。
「どうだね、その後何かいい手立ては思いついたか」
「まあ、一応の案はありますけど」
「ほう、聞かせてみたまえ」
頷けば、食い気味に催促してくる。
俺は水面に漂う浮きを眺めながら答えた。
「用は邪魔にならなければいいんですよ」
あの時の古賀の話で気づいた。
あいつらが求めているものが何なのか。
それに対して今の俺に出来ることは。
最善と呼べる役割があるとするならば――
「先生はNPCをご存じですか」
「NPC?」
首を傾げる先生を見て俺は苦笑する。
「やっぱ教師はあんまゲームとかやらないっすよね」
「そんなことないぞ。私だって昔はドラ〇エの5,6、7辺りを……って、いきなり何を言わせるんだ! 危うく歳がバレるとこだったぞ!」
さっき思いっきり自分で歳ばらしてたけども。
「で、NPCってのは簡単に言えばモブです」
「モブ?」
「新しい街に入ると突然話しかけてくる奴がいるでしょ」
説明すると先生は、「ああー」と納得したような声を漏らした。
「会話の中でさらっと魔王の弱点を教えてくれたりするあいつか」
「そんな都合のいいNPCは聞いたことないですけど……まあそんなとこです」
俺は説明を続ける。
「先生はゲームをしてて、そいつらを邪魔だと思ったことはありますか」
「言われてみると、そういう経験はないな」
「つまりはそういうことです」
居ても邪魔にならない存在とは。
そう考えた時に真っ先に浮かんだのがこれ。
「NPCは必要に応じて情報を提供する脇役。もちろん例外はありますけど。基本的にプレイヤーに対して執拗な干渉をしないので、余計なヘイトを買う心配もない」
「つまり君は古賀たちとどう関わるかよりも、明日という時間そのものを円滑に過ごすことに重きを置いた。それ故のNPCってことか」
「そゆことっす」
「なるほど、何となくはわかった」
先生はうんと頷くと、一度針を引き上げた。
餌が付いていることを確認し、再びそれを海へと投げる。
「ところで、君にはそのNPCを務めるだけの準備があるのか?」
「まあ一応は。何の用意も無しにただ誰かについて歩くだけじゃ、それこそNPC以下のただのモブなんでね」
俺は得意げに先生を見やる。
「そういう立ち回りは、先生が望むところの”助走”じゃないんでしょ」
言えば先生は「ふっ」と小さく笑った。
「確かに私は君に主役になれと言ったつもりはない。その点今君が語ったNPCという役割は、脇役ながらも『協力』という概念をしっかり携えているようだな」
うんうんと満足げに頷いている。
と思ったら、俺の背中にズシンと重い衝撃が走った。
「いつも屁理屈ばかりの君にしては良い案を思いつくじゃないか」
「そ、そりゃどうも」
どうやら俺は鼓舞を受けたらしい。
ババアの平手、めちゃくちゃいてぇ。
あと屁理屈は余計だ。
「でも一つ忠告しておこう」
そう言うと先生は得意げに人差し指を立てた。
「私も人のことを言えた義理ではないが、うちの子らは相当な田舎者だぞ」
「でしょうね。一応その辺を踏まえてのNPCのつもりではありますよ」
「ならよろしい」
先生のお眼鏡にかなうか少し不安だったが。どうやらこの様子だと、俺のやり方を容認してくれたらしいな。まあ仮にされなくとも俺は実行していたけど。
「まあ困った時は、近くの誰かを頼りたまえ」
「なんすかそれ。もしかして嫌みすか」
「教師である私が、大切な生徒に意味もなく嫌味を言うわけがなかろう」
意味があったら言うのかよ……。
「私は単に、誰かを頼るという選択肢も忘れるなと言っているんだ」
「あいにくとNPCには、誰かと頼る機能とかはプログラムされていないんで」
俺が言うと、先生は頭を抱えて嘆息する。
「まったく……君の屁理屈は底なしだな」
「屁理屈とかじゃないですよ。事実を述べたまでです」
「それが事実であってたまるか。やはり君は協調性を磨くべきだ」
「んなもん協調する相手が居なかったら磨いたってしゃーないですよ」
「相手ならすぐ近くにいるだろう」
「はい?」
え、誰? 幽霊?
まさか俺、何かにとり憑かれてる?
「この私だよ」
あ、あなたね。
「それともなんだ。私じゃ不満かね?」
「別にそういうわけじゃないですけど」
すると先生は、唐突にポケットに手を突っ込んだ。
何をするかと眺めていれば。
まさかのタバコを取り出しかけて……チラリと俺を見た。
「なあ井口、一服して――」
「ダメに決まってるでしょ」
大自然での蛮行は許さない俺である。
「ったく。君は変なところで真面目だな」
「先生がぶっ飛びすぎてるだけですけどね」
不満そうにタバコをしまい、先生は言う。
「とにかく、困ったら私を頼りなさい」
次いで俺の肩にポンと手を乗せた。
「君のやり方は間違ってはいない。でも時には他人を頼り、他人の力を借りるのも、この先の人生を円滑に生き抜く上では重要な選択だよ」
「それで俺がまず頼るべきは立花先生だと」
「そうだ」
うんと頷いた先生はニヤリと笑う。
「とはいえ私の場合、頼られてもそう簡単に答えはやらないけどな」
それって頼る意味あるのかよ……。
「賢い君のことだ。きっと明日は上手くやれる」
「過度な期待をされても困るんですけど」
「教師が教え子に期待するのは当然だろう」
「いてっ」
額を指で小突かれ、微かな痛みが走る。
「まあ君のやり方で精一杯やってみたまえ」
先生がそう呟いた。
次の瞬間だった――
「うおっ! 来た! また当たった!」
「マジすか!? 運いいっすね先生」
「これは運じゃない! 実力だ実力!」
またしても先生の竿に当たりが。
しかも先ほどの当たりより明らかに強い。
「逃してなるものかっ!!」
先生はのけぞりながら竿を引いた。
すると竿は今にも折れてしまいそうなほど大きくしなる。
「井口! 今のうち網の用意を頼む!」
「え、あ、はいはい」
言われて俺は、慌てて自分の竿を置いた。
そして網を手に立ち上がり、そのまま先生の援護に入る。
はずだったのだが……。
「あっ……」
と、腑抜けた声を漏らした先生。
何としても釣りたいという気持ちが先行し過ぎたその結果、すぐ横にあったロープに気づかず足を滑らせ、竿ごと盛大に海へダイブした。
「せんせぇぇぇぇいっ!!」
俺は慌てて海岸から海を覗く。
「だ、大丈夫ですか!?」と聞けば、水面に顔を出した先生は。
「おぢじゃったよぉぉぉ!! たずげで井口ぃぃぃぃ!!」
見事なまでの半べそ状態だった。
「い、今インストラクターの人呼んできますから!」
先生の水適正を信じて走る俺。
その後、小型の船を出してもらい、先生は無事救出……したのだが。
「うわぁぁぁぁん!! ごわかったよぉぉぉぉ!!」
あまりの恐怖に先生のキャラが崩壊。
陸に上がるなり、大勢の前で泣きついてきた。
「あの……濡れるんで離れてもらえると……」
濡れたシャツは透け透け。
その裏からは黒のビキニが。
「水着着てて正解でしたね」
「たしかにぃぃぃぃ!!」
こうして先生の釣り人ごっこは終了。後に大物だと思われたあの獲物は、ただの根掛かりだったということがわかり、珍しく落ち込む立花先生であった。