20.エピローグ
妖艶に咲き誇っていた桜も今や枯れ木となり果てた。一部のSNS住民を騒がせた投稿も今や過去の話。人々の興味は新しい別のものに移り、容赦なく過去を切り捨てていく。
世の中の移り変わりは早い。今日より明日、明日より明後日、そのスピードは増すばかり。それは個々の力なのか、誰か1人の力なのか、人ではない何かの作用なのか。
本来なら面白いネタだった一連の事件は、公安部の資料室に納められるだけの結果となった。
「お前の狙い通りになって良かったな」
背が高く、品のある男が枯れ木を眺めながら話しかけた。
男2人が木の前に立っている。話しかけられた男は、警視庁公安部特殊事案対策準備室部長、長谷川一である。
「君の娘は実に優秀だね。おかげで、金の卵を潰さずに済んだよ」
長谷川は男に笑いかけた。そのほんわかとした笑顔に、もう片方の男は冷ややかな視線を返す。
この男、橘初音は普段は、こんな愛想のない態度はしない。とても温厚な男として他者の目に映る。
いつも穏やかで嫌味のない男、それでいて特定の印象を残さない。数々の重鎮に仕えながら、対象者に絶妙なサポートを施す。その仕事の数々はあまりに自然すぎて、相手にその凄さを気付かせない。なんか上手くいった、と対象者の幸運のように思わせるのだ。
大した実績もない薬にも毒にもならないと評価される男だが、この男を担当から外すと途端に上手く行かなくなる。対象者は自覚していないが、何となくこの男をそばに置いておきたくなる。
柔らかな雰囲気が良いに過ぎない男だが、なぜか手放せなくなる。この男は、そういう男だ。
外からの評価は低いものだが、長谷川はこの男の実力をよく知っている。この国を直接動かせる程の力を持つ男、優秀な脳、人脈、情報、財力を備えている。裏の部分で上手く人を動かし、ひいては大きな目的をいとも簡単に遂げる。表立って行わないのは、この家の歩んできた歴史が根深いからだ。
太古には栄華を極めた先祖もいたようだが、盛者必衰は避けられない。栄華を極めるほど、輝けば輝くほど、その反動も大きいものだ。橘家も同じ道を辿り、苦汁を舐め尽くした一門は生きるための道を模索した結果、頭角を現わすことはせずに地味に、確実に、一族に優れた技を残す道を創った。
「金の卵?あの若造がか?真っすぐ過ぎる人間は、人間の本質を相手には戦えないぞ」
初音にとって菅原という男は、赤子にすぎない。
「そうかなぁ?俺は嫌いじゃないよ。人間の正の部分が心地良いではないか?」
「単なるバカだろ」
「そうかなぁ?祐理も気に入っているようだったけどね」
その言葉に対し、初音は天使のような微笑みを浮かべた。慈悲深い、温かみのある、とてもとても好印象を与える表情。よく政界の古狸に向ける笑顔だ。
長谷川はこれをそのまま受け取ってはいけないことを知っている。
(かなり怒っているな………)
「娘まで引っ張り出すとは、ホント昔から図々しい奴だな」
菩薩のように微笑みながら、初音はとても冷ややかな声音を漏らす。
長谷川は負けじと、友に笑みを返す。
今回の目的は、菅原を警視庁に留めさせるだけではなかった。
「あの子までアメリカに取られるわけにはいかないからなぁ」
「………」
初音は、一瞬、息をのむ。
ふわふわしていて隙だらけのようだが、この友はよく見ていて鋭い。
「息子の駿之介はイギリスに取られ、娘まで奪われるつもりかな?」
やれやれ、と初音は友に苦笑する。
「そんなこと、お前しか興味を持ってないぞ。たかが、一般人のことだろ」
長谷川は大真面目な目で、初音を見つめる。
(一般人だと?ことの本質を良く知っている奴がそんなことを言えたものだ)
「僕は橘家の正体を知ってるからなぁ」
先ほどまで菩薩様のように微笑んでいた男は、冷めた視線を友に向ける。
「早く滅しておけば良かったな?」
初音は薄っすらと笑う。
(それができない自分もわかっている。思いのほか、この長谷川を自分は気に入っている)
秘密を抱えて生きることは孤独だ。それをただ一緒に見守ると言った友、その生暖かさは心の隙間に入り込み、甘ったるい心地良さを与えた。
「怖いこと言うなぁ。僕はまだ死にたくはないぞ」
長谷川はわざとおどけた表情をしてみる。
そして、本題に入る。
「祐理はCIAから誘われているのだろ?まさか本気でアメリカに留学させるつもりではないよね?」
初音は困った表情を浮かべる。
確かにあの子は、歴代の中で数本の指に入る出来の良さだ。橘家が構築したノウハウを全て記憶し、実践可能だ。それでいて、これからも新しく創れる人間でもある。
(全くコイツはよく見ていて、人の心を容赦なく覗こうとする奴だ……)
「なぁ、ハジメ。この世は狭くなったと思わないか?」
「はぁ?俺は祐理の話をしてるんだけどね?」
初音は桜の木を指さし、微笑む。
「こんな過去のお荷物に時間を割くのは、俺達だけで十分だろ?」
「君は………」
「時の流れは速い、一瞬のスピード感は日々増している。その流れにあの子を乗せてやりたいと思うのは親のエゴか?」
初音は目を閉じると、人差し指を口に当て、小さく何かを呟いた。そして、人差し指と中指で9字を切った。
ボアッ
枯れ木が自然発火した。その紫色の炎は枯れ木を覆う。それは、悲しくも優しい炎だ。ゆらゆらと揺らぎながら呑み込んでいく。
「私の子供達には未来を生きて欲しい。それだけだ」
そして、炎の儚さを想いながら、一言が漏れた。
「自分の道を選ばしてやりたいだけだよ」
長谷川は、初音と共に燃え盛る枯れ木を見つめた。
この木に怨念を宿した男は、過去に囚われ、現在にまで生き続けた。彼にとってはそれが全ての世界だったのだろう。世の中はもっと拡大し、広がり、先に進んでいたというのに………。
(自分も狭い世界に囚われているのだろうか?)
ス-------ツ
長谷川は大きく息を吸うと、大きな背伸びをする。
「最期に咲き誇る桜の木に見えないか?君は花咲じじいだったんだな?」
「………」
初音の冷たい視線に、長谷川はくすりと笑った。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
GWを利用して、桜の木イベントの話を書いてみました。