17.白拍子の舞
廃村になり、人が寄り付かなかなった神社。そこには妖艶に咲き乱れる桜がある。その桜は遥か昔、京の都にあったという。その桜には祟り神と妖怪が取り憑き、陰陽師が封じたという。
祐理、ハク、貴仁、公平は、その神社に集まっている。ハクと貴仁は陰陽師の正装をし、祐理は白拍子の正装をしている。
公平は祐理の姿を見て、息を呑んだ。肩まである黒髪は艶があり、薄化粧の顔は美しかった。最初に出会った頃とは、全くの別人。姿勢の良さが衣装を際立たせた。清楚で美しいその姿は、祐理が女性だということを思い出させる。
貴仁は神社の本殿にお供えをし、祝詞をあげた。今から行う儀式のために、氏神にお力をお借りするのだ。ビジネステイクの男だが、その力は本物である。一門の中で久々に出た実力者だ。その加護は目に見えて戻り始めた。桜の周りで異音が起こり始めている。
式神のハクは結界の綻びを修正していた。氏神の力の弱まりと結界の薄れが封印を解こうしている。桜の本体はまだ辛うじてだが、鵺は解き放ってしまった。
「祐理、無茶はするなよ。俺を頼れ」
公平は周りをしきりに気にしている。この前の身代わりの儀とは違う。3人の緊張感から、今回は厄介なモノが相手なのはわかる。まだ見たことはないが、公平にもそれが感じられる気がした。
「ありがと。大丈夫だよ。私1人じゃないから」
公平は自分達のことだと思っただろうが。祐理は違う者を見ていた。本殿の前に立つ、古来からの白拍子だ。公平以外の3人には見えている。
「準備はできたぞ」
貴仁の合図で、祐理は舞を始めた。桜の前に膝をつくと、ゆっくりと首を垂れた。
チリンチリン
フーフー
ハクはリズムを取り、神楽鈴をゆっくりと鳴らす。公平は神楽笛をそれに合わせ、吹いた。
祐理は立ち上がると、古の歌を口ずさむ。そして、ゆっくりと扇を広げ、舞い始めた。
【やめよ……】
桜の前にセーラー服の少女が現れた。その美しい顔は怒りで歪んでいる。公平はドキリとした。彼女に見覚えがあるからだ。
「アレが鵺だ」
貴仁の言葉に驚く公平だったが、笛の音を絶やさぬよう己を保った。
(あの子が妖怪だって?)
祐理は歌を口づさみながら、さらに舞を続ける。それは、ある女の想いの歌だった。
『愛する夫の元を離れ、敵に夫の命乞いに向かう。身を引き裂かれる思いだったが、あの人が生きていてくれればと願いはそれのみ』
そういう内容だと公平は解釈する。その想いに寄り添うように、笛の音を合わせた。
少女は歯を食いしばりながら、白拍子を憎悪の目で睨んだ。しかし、動きは封じられている。貴仁が術を施しているからだ。その口元からは呪文が呟かれていた。
『あぁ、彼の方は命を落とされた。どんなにか無念だったことでしょう。お願いです。妖へと御霊を落とさないで、私達が愛した都が滅びてしまいます』
少女は徐々に鵺の姿へと変化し始めた。顔は猿に変わり、蛇の尾っぽが生え、手足は虎になっていく。その凄まじい姿に、公平は我が目を疑った。そして、鵺の尾に絡まる人間と目が合った。
(石川和磨!)
『貴方の御霊が鎮まるよう、私は貴方の傍にいます。どうか畏れないで、どうか嘆かないで、私がお傍におりますから』
最後の歌を口ずさむと、祐理は膝をつき、ゆっくりと頭をたれた。それと共に、神楽鈴と笛の音が止まる。
【そうか……雅姫であったか】
紫色の桜の花が、祐理を取り囲む。桜の木から男の声が聞こえたような気がした。
【水晶!まだだ!お前の無念は消えないぞ!まだ、アイツらへの報復は終わっていない!!】
鵺は桜に向かって吠えた。その鳴き声に、祐理達の耳が悲鳴をあげる。その一瞬、貴仁の呪文が途切れた。
グラリ
鵺はそれを見逃さず、体を捻り、術の縛りから体を抜け出した。
【まだ!あいつらを葬っておらぬ!】
「アイツらって、誰のことだ?」
そう言って、前に出てきたのは公平だった。その男の覇気に、鵺は目を細める。
【我々を蔑めた奴らだ!】
「何年経ってると思う?そんな奴らは死んでいないわ!そんな昔の血筋すら絶えてるぞ!」
【我らは既に3人は仕留めた】
「本当にその3人は憎むべき相手だったか?」
鵺はギロリと石川和磨を睨んだ。この男が術を正確に施した筈だ。
「残念だが。最初の1人は縁があるかもしれないが、残りはそこの男が用意した別人だ。その男が消したい人間なんだよ」
【お前、我等を騙したのか?】
鵺は尾の力を強める。石川は締め上げられ、声が出なかった。
「鵺よ、お前達を蔑めた者達の御霊は畜生道に落ちる。人として生まれ変わることはないのだよ」
ハクが静かに口を開き、言葉を発している。それは、貴仁の言葉だった。貴仁は術をかけ続けながら、ハクを介して話した。
【我等のこの無念はどうすれば良いのだ!水晶が消えてしまうではないか!】
「あんたが離れればいいだけだよ」
それは何の感情もない言葉だった。
【なんだと!この小娘め!】
「あんたが水晶を離さないから、ここに縛られるんだ。我等の無念じゃなくて、もう、あんたの無念になってるんだよ」
さらに、祐理は桜に話しかける。
「水晶さん、それは優しさじゃないよ。鵺を傍においてはだめだよ。人と妖は一緒には生きられない。陰陽寮で最初に習ったことでしょ?鵺をここまで堕としたのはアンタのせい」
その感情のない祐理の言葉に、鵺は怒りで叫んだ。
キィーーーーーイ!!
耳を突き抜けるその悲鳴で、貴仁は術を止めてしまった。
【おのれ!小娘め!!】
鵺は太い前足の爪を祐理に向けて振り落とした。
バン!!
公平は祐理を引き寄せると、体に抱き、庇った。鵺の爪が公平を引き裂くかと思われたが。反対に鵺が後ろに吹き飛ばされた。
そこには、2人の幻が立っていた。1人はこの神社を守る白拍子、もう1人は平安時代の武官の格好をした男だ。
貴仁はその幻を目にし、微笑んだ。やっと、召喚できた。術が完成したのだ。
鵺の妖気がさらに上がり、攻撃に出ようとしたその時、その体に触れ、止めるものが居た。水晶だった。
【鵺、やめろ】
その懐かしい声に、鵺は体を縮めた。攻撃する力すら失わせた。
【雅姫、君には苦労をかけた】
人を恨み、妖に身を委ねたことで水晶は姿を変えていた。目が赤く染まり、髪は枯れ木のようだ。手足は棒のように細く、腹だけ膨らみ出ている。
『おいたわしや』
白拍子は涙を流した。水晶は苦しそうに目を背けた。姫に見せるには、余りに醜い姿に成り果てた。
長い年月を超え、この地で護られたことにより、その怨恨は鎮まっていた。それと共に陰の気が弱まり、その存在も消えようしていた。負の想いだけが水晶を留めていた。
鵺が時間がないと焦ったのは、水晶の存在が消えてしまうという意味だったのだ。
【菅原、おまえはこの地に神社を造り、人を集め、我を護ってくれたのだな】
武官は静かに頷いた。彼は、水晶の親友だった。
【お前の子孫を殺さずに済んで良かった】
水晶は公平に目をやり、それから石川に鋭い視線を向けた。その恐ろしい視線に、石川は体を硬らせた。
【そこの陰陽師、我を畜生道に送れ。そして、鵺は放ってやって欲しい】
貴仁は黙って頷く。
【嫌だ!俺はお前と行く!迷惑かけないから!】
鵺は子供のように叫んだ。恐ろしい妖怪は子猫のように泣いている。涙を流すこの哀れな獣は、水晶の良き友でもあった。
【好きにするがよい】
水晶は子猫になった鵺を抱えた。離れるには永く共に時を過ごしすぎた。
『私も共に連れて行ってください』
白拍子は水晶の横に並ぶと、その手を取った。水晶は真っ赤な目を見開いた。
【畜生道なのだぞ?もう、人には生まれ出ることもなく、苦しい道が続く】
『もう、十分に貴方を待ったのです。許して下さいませ』
白拍子は水晶に身を寄せた。
貴仁の呪文が声高らかに唱えられる。それは唄にも聞こえる。優しく切ない、柔らかい音色だった。
唄い終わる頃には、幻は消え。
枯れた桜の木だけが残った。