16.月夜の桜
平安京は桜の季節、今は華やかな時期だ。宮中では恒例行事が行われ、歌を詠む会が開かれることも多い。そして、この桜の時期は妖気が高まる時期でもあり、人はその心を妖に囚われることも多かった。
中務省陰陽寮において、この時期は繁忙期であった。要人の警護に従事し、宮中の警備にあたる時間が多いからだ。その中で頭角を表す若手が1人いる。名は賀茂水晶、幼い頃から霊力が強く、物の覚えも良かった。そして、人格も良く、人にも好かれた。
が、欠点もあった。優しすぎるところと、妖怪にも好まれたということだ。また、彼の霊力の強さには秘密があるということもだろうか。
「私の近くにいれば、滅しなければならない。早く何処か遠くにいけ」
水晶は妖に向かって話しかける。それは猫にも見えるが、実は恐ろしい妖怪だった。
それは、鵺という。頭は猿、尾は蛇、手足は虎というのが本当の姿だ。水晶が幼い時に、その妖を助けてから懐いて離れない。
【お前の側がいい。猫の格好をしているではないか】
水晶は困った顔をする。陰陽師の見習いが妖を飼っているなど許されない。だからと言って、猫のように可愛がり、愛着がわいたのもあり、なかなか追い払えなくなっていた。
「雅姫を娶ろうと思うのだ。もう、お前と2人では暮らせなくなる」
それも悩みの1つだった。姫と妖怪を同じ屋敷に住まわせるわけにはいかない。元々は下民の出、霊力と才能を買われ、貴族の養子になり今の生活がある。姫を頂くというのは身に余ることだった。
【なぁに、我が猫であれば良いこと。それに我が居なくなれば、下等妖怪がお前を狙いに来る】
妖の間では強い霊力の者を喰らうことで、自らの力を上げる輩が多かった。鵺はたまに鼠を食べ、人間を食べることはしなかった。妖力を上げることよりも、水晶の傍にいることを選んでいるのだ。
【でもよぉ、水晶よ。妖よりも、人間に気をつけろよ。よほどアイツらの方がワケが悪い】
「ヌエ、皆んな良い人だ。それに、僕は下っ端だから誰も興味はないさ」
水晶はカラリと笑う。鵺はそんな彼だからこそ、なおさら心配だった。
そして、ヌエの心配は現実のものとなる。
水晶の品位と霊力は帝の覚えも良く。正式な陰陽師への道が決まり始めた。周りは慌ただしくなり、彼の周りに人脈が築かれ始めた。圧倒的な後ろ盾があれば、それは問題ないことだった。しかし、彼の養父にはそれほどの力はなかった。
「水晶め、邪魔よのぉ」
彼を敵視するものがいた。同じ陰陽師を目指す男で、藤原家の流れを汲むものだった。そして、雅姫を頂くことを望んだ男だ。
因果というのは酷なもので、水晶に相反する業を背負う者は、彼と分り合うことはせず、憎悪を募らせる。そして、それを最悪な方法で解決しようとした。
妖を多量に集め、その中に水晶を送り込む罠を張り、応援の足止めをして命を取ろうとし。むしろ、逆に転び、水晶が妖を全滅させ、彼の力の強さを示す結果になってしまい。
ある時は帝を呪っているという罪を負わせるため、水晶の屋敷に帝への呪詛を埋めた。それにヌエが気付き、犯人の屋敷に埋め返し。事なきを得ることになり。
何をしても上手くいかない。その男の憎しみは更に高まるばかりだった。その憎しみは執着を生み、執念へとなり、呪いへと変わっていった。その強い呪いは水晶へと向かい。それでも憑き殺すことはできなかった。なにせ、ヌエが守っているのだから。
「水晶よ、遂に見つけたぞ」
その男は鵺の存在を嗅ぎつけ、水晶とその飼い猫を帝の前に引き摺り出し、その猫を殺そうとした。
水晶は猫を庇い、必死に命乞いをした。周りは憐れみ止めたが、その男は水晶に切り付けた。それに腹を立てた鵺が正体を現し、その男を食らった。
そこからは、無残な結末が待っていた。水晶は捕らえられ、鵺は逃げ去った。雅姫は泣きながら、水晶の元を去った。帝は水晶に慈悲をかけ、身分を剥奪し、隠岐に島流しをすることにし、命だけは助けた。
それを気に入らなかった殺された男の一門、隠岐に向かう水晶を捕らえ、その首を切った。水晶はその一門を呪い亡くなり。駆けつけたヌエは一門を襲い、悲しく鳴いたという。
その時、水晶の首を切った者は生き残ったが。その後、永遠にその血筋は呪われた。また、水晶の死に立ち会った家門も同じ道を辿った。
水晶が果てた場所には桜の苗木があり。それは水晶の血を吸って成長したという。鵺はその場を離れようとせず、それを守った。その桜の木は赤紫の花をつけると妖艶に咲き乱れ、天災を呼び寄せ、病を撒き散らした。水晶の怨念が都を呪ったのだ。
その怨霊の力は凄まじく、鵺の力と相まり、陰陽道の力をしても滅することはできなかった。やもえず、陰陽頭が桜の木ごと封印した。
地脈が良い山奥に結界を張り、そこに桜の木を移した。その後、神社が建てられ、その桜の木を鎮めたという。
また、水晶と鵺の公的記録は禁忌とし、全て消し去られた。
橘家、膨大な記録を保存する書庫の中。
ハクと祐理はその記録を見つけ出した。その時代を生きた橘家の先祖が残したものだ。国の記録から削除されたものでも、ここに全て眠っている。
記録を読み終えると、祐理はため息をついた。
「あの桜の木は、鵺が守っているのね」
ハクは奥からもう一冊を運んできた。それを受け取るとパラパラと捲る。それは別の伝記だった。
「そうか、そういうことだったのね……」
ハクは祐理の様子を黙って見ていた。