11.腐れ縁
新橋のとある路地裏に昔ながらの喫茶店がある。その名前はモナリザ。
入り口の扉は小さく、表に飾ってあるメニューも黄ばんでいる。もう閉店しているのではないかと思わせる佇まい。途中で方向性が変わったのか、【ラーメンと蕎麦がそこそこ旨い】とアピールした張り紙があった。
(そこそこって……)
中に入っても突っ込み所があった。
この店に連れてきたのは祐理だった。東北から戻り、警視庁に戻るわけにいかず。だからといって、公の場で極秘情報を話すわけにもいかない。女の子を自分の家に連れて行くのもおかしい。協力者の家などもっての外。であれば、ちょうどいい場所があると言われたが………。
「おお、祐理、客連れてきてくれたか?」
カウンターで煙草を吸いまくる中年。髭と伸び放題の髪を除けば、そこそこイケメンの部類には入る。
「圭兄、分煙!」
祐理は店主らしきその男に指をさした。それに男は慌てて煙草を消した。
「あ…っぶねぇなぁ!指さすなよ!殺す気か!!」
圭兄は本気で怒った。そして、気まずそうに公平に軽く挨拶する。
「いらっしゃい。お兄さん、先生かなんか?」
「雇い主!適当に飲みものとか出して」
「あいあい、あーあと、遣いが来てるぞ」
圭兄は奥の調理場に目をやった。調理場は明かりがついており、カチャカチャと食器の当たる音がする。
「ハク?」
「そう、貴仁はさっき帰ったわ」
祐理はへぇ、と呟く。
公平は4人掛けのテーブルに、祐理と向かい合わせで座る。ソファは昭和を思い起こさせるデザインだ。座り心地はそれほどは良くない。スプリングがヘタっており、沈み込みが深い。
「公平、あの人ちゃらいけど口堅いから大丈夫。時々、奇跡的な情報くれるし。あと、奥のハクは人間じゃないから気にしないで」
「え?」
最後の説明には引っかかるものがある。犬かなんかだろうか??
「祐ちゃん!」
色白の痩せた高校生くらいの男子が厨房から出てきた。手にしたお盆の上には、コーラフロート、コーヒー、紅茶、サンドウィッチ、スコーン、チーズケーキがのっている。公平は思わず退け反る。それらは全部自分の好物だった。
(ここでもおもてなしか?)
ハクは手際よく、公平の目の前にそれらを並べ、祐理の横に座り、ガバリと抱き着いた。
公平は目を見張った。
(え?彼氏?犬じゃなくて??)
祐理はハクの制服の汚れに目をやる。ところどころに擦り傷もある。頭も打ったんのだろう、首の後ろに打ち身の痕があった。
「また、派手にやられたね………貴仁が使役したんだろ?」
ハクはこくこくと頷く。祐理は頭を軽くなぜてやる。なぜられると、子犬のように甘えた。
「あ、どうぞ。好きなの食べてください」
祐理は、口を大きく開いている公平に、目の前のものを勧める。
「あ、あぁ。ありがと。彼氏、いじめられているのか?大丈夫か?」
公平の言葉にハクは顔を上げると、透明な瞳を感情もなく向けた。
「菅原公平、T大法学部を首席で入学するも、イギリスのオックスフォード大学へ編入し首席で卒業。警察学校では常にトップの成績を維持。最近まで、警視庁捜査二課の最年少の課長を務める。しかし、大物政治家の汚職問題に深入りしたため、警視庁公安部特殊事案対策準備室に異動を命じられた」
抑揚のない声でまくしたてる男子。公平はコーラフロートを飲みながら、ただ黙って聞く。
「エリート一家出身かと思われるが、実は一般家庭の出身。短命筋の家系で祖父、父とも50歳を迎える前に他界。そのため、家は祖母と母が細腕で切り盛りすることになった。父は九州出身。母は伊勢出身、母方の家は神宮に関係した家業に従事していたという歴史あり」
さらに言葉を吐こうとする口を祐理は手で押さえた。
「ハク、見たままを口にするな。失礼だろ」
ハクは瞳の色を黒く戻すと、口を閉じた。公平はクスリと笑う。
「良く調べたもんだな?全部正解だ」
ハクは祐理から体を離す。そして、ただ、公平をじっと見つめ、動きを止めた。
「ハクは悪気はないんだけど。気になる人のことを読もうとしてしまう。親(主人)の影響で屈折してる」
公平はコーラフロートのアイスをスプーンですくい、口に運ぶ。免疫がついてきたのか、驚く回数は減ってきたような気がする。
「圭兄、貴仁は例の依頼受けてくれた?行ってもらわないと困るんだけど」
圭にはビールのグラスを口に運びながら、空いた手で親指を立てた。
「最初は渋ったけど、兄貴の名前出したら二つ返事だったわ。明日にでも東北に行くってさ」
祐理は公平に頷く。多分、内藤侑の家の件だろう。祓うと言っていたし、お祓い系の知り合いだろうか?
「白川貴仁は、僕の主人です。最近は【セキュリティアドバイザー】という洒落た名前で顧客の警戒心を解き、小銭を稼いでいます。畏れや穢れを祓う能力はそこそこ凄いです。金銭への執着は凄まじく、むしろ汚いとも言えますが。報酬の分はきっちりこなします」
主人と言うわりには所々、悪意を感じるのはどうしてだろうか……。多分、俺の疑問を察して解説してくれてるんだよな。
「ハクは相変わらず、貴仁に厳しいなぁ。まぁ、あんな奴でも兄さんには可愛いもんだぜ?」
圭兄は面白そうに口をはさむ。
「圭兄は父の弟なんだ。で、貴仁は親父が大好きなんだ。お互いの家は犬猿の仲だけど」
祐理は迷惑そうにしている。ハクはただ、その顔を見つめている。
「まぁ、腐れ縁てやつだな」
圭兄はスルメをかじりながら、ふわりと笑った。
「で、ハク。貴仁が相手にした奴って、こっちに関係あったの?」
ハクはこくりと頷く。
「後藤晴は、桜の呪いにかかってた。多分、祐理が関わってるSNSの桜と同じ。でも、貴仁が祓ったから未遂に終わった」
公平は渋い顔をする。呪いは立証できない、真実か信じないかの話になって終わる。念のため内藤侑の母親に手続きをしてもらいSNSは閉鎖できたが、拡散されたその写真は完全には消せない。デジタルタトゥーだ。
「あの写真に呪う仕掛けがあるとして、それを見ても異変がないものもいる。どうやってターゲットは決まっているんだ?偶発的か、無作為なのか。もしくは、無意識の領域の感受性が強いものが影響を受けるのか?」
ハクにはよくわからなかった。式神は何でも知ってるわけではない。指令をうけ、やること、注視するものは指定されている。ほんの僅かな自由の部分はあるが、人のようにはいかない。
ただし、目の前のこの男からも桜の香りがした。
「5人の対象者がいるとして、内藤侑、中原一樹、後藤晴の3人の他に、2人はいますね」
公平は圭兄とハクに視線を向けた。部外者に捜査情報を垂れ流すのはいかがなものか。その思いを察したのか、圭兄はニッコリと微笑んだ。
ビールをカウンターに置くと、懐から警察手帳を出し、公平に向かって掲げる。それは本物ではあった。昼から酒を飲んでいるが。
「あ、同業でしたか」
「見られないけどねぇ〜」
圭兄はニカッと笑いながら、ビールを喉に流す。
「内藤侑とメールのやり取りをしていた者を調査させるよ。あと、3人の共通点について分析を依頼する。祐理も何かわかったら教えてくれ」
今日はここまでで切り上げることにした。