10.陰陽師の末裔
保健室のベットで後藤が横になっている。やはり眠れないらしく、相変わらずの顔色の悪さで会話に参加している。僕は後藤とはあまり話したことはない。矢野とは席が近くだから、授業の課題とかで少しは話すようになったけど。
「お前、転校してきて間もないのに。なんか、ありがとな」
矢野の笑顔には人柄の良さが滲み出ている。話していると安心できる。
(あれ?俺って、いつからこの学校にいるんだっけ?)
皆んなの名前や情報はよくわかっている。それなのに、自分のことを考えると何だかモヤモヤする。
「西野と何かあったの?後藤に対して怒ってるみたいだったけど」
矢野と後藤は顔を見合わせる。矢野は話していいのか?と伺っているようだ。
「あいつ………情緒不安定で…最近、俺を責めるんだよ」
後藤は言いにくそうに答えた。
(責める?どうして??)
ふと、桜の香りが鼻についた。
「もしかして、あの桜の写真が出回ってからじゃない?」
何となく、口から付いて出てきた。それに、僕の目には幾何学の模様が見えていた。
「え…確かに、そうかも知れないけど」
後藤は矢野と顔を合わせる。言われてみれば、確かに、あの写真を見てからおかしくなったような気もする。西野は狂暴になり、自分は眠れなくなった。矢野も同じ考えだった。西野と後藤がおかしくなったのは、桜の話が出てからだと。
ギシギシギシ
後藤の周りに見える幾何学の模様が大きく歪んだ。その模様を蝕むように、変な文字がポツリポツリと現れる。僕はその文字を知っている、あれは「梵字」だ。そして、あれは後藤への呪いだ。
「二人はここにいて」
「どうした、白崎?」
「矢野君、後藤君を看てて。何があってもここから動かないで」
矢野は驚いた顔をしながら、何かを言いかけた。
バン!バン!
「後藤!いるんだろ!!出て来いよ!!」
さっき、保健室のドアのカギを内側からかけた。入るには時間がかかるはずだ。僕はベットから離れると、ベットを囲むカーテンを閉めた。閉めきる前に、後藤の青ざめた顔が目に入った。
バンバンバン!!ドン!ドン!ドン!
ドアを叩くのから、蹴りに変っていく。ドアの向こうには黒い靄が見えた。僕にはそれが何かわかっている。呪いの使役だ、奴が人間に憑りつき、支配してる。
僕は人差し指と中指で軽く十字を切る。そうすれば、あいつを牽制できるはずだ。
「グググッ…おい…お前は何者だ……そいつを寄越せ」
闇は更に濃くなる。ドアの向こうの力は増していく。状況はあちらに味方しているようだ。
腕時計に目をやった。さっきから妙に時間が気になる。窓から見える、日の傾きすら僕を焦らせる。
(そうか…日が良くないんだ。午後から、陰に入る。今日は、先勝の日)
14時を過ぎてしまっていた。
ガン!ガン!バン!!!!!!
ドアが叩き開けられ、乱れた髪と風貌をした西野が立っていた。
「ここを去れ、お前がいるところではないだろ」
僕の口から勝手に言葉が漏れる。
「おまえ、イヌだな?」
西野の口を介しているが、本人の意思はそこにはない。そいつは、卑しい臭気をまき散らし、僕の鼻を歪める。
「なんのことだ?お前の主は誰だ?」
西野は顔を歪めると、中に押し入ろうとし、僕は両手で彼を押し止める。西野の中の奴は別として、体に危害は加えられない。
ドン!バアーーン!!
西野は軽々と僕を突き飛ばした。僕の体は床を滑り、近くにあった机に強打した。
(勝てるはずはない。僕はそういう風には作られていない)
痛みは感じなかった。ただ、時間を稼げればよかった。
(そう、あの人が来るまで……)
フワッ
その場の空気が一瞬変った。臭気に満ちたその場の空気に、凛とした厳かな空気が入り込んだ。そこには、先ほどまでいなかった人が現れていた。待ち人が現れた。
西野の後ろに降り立つ長身の男。黒いスーツを着たその男は、髪の毛を靡かせ、西野の影を踏んだ。
「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、南斗、玉女」
静かに歌うかのように呟くと、素早く9字を切り、踏んだ影に向けて放った。
「ううううっ!!」
影は大きく歪む。そして、蜘蛛の子のように散り始める。
フーッ
男は人差し指を口に当て、軽く息を吐く。そして、一言二言呟き。影を踏みつけていた右足をさらに踏みつけた。
ボワッ
その影は青い炎に焼かれた。抵抗も虚しく、消え失せる。
西野の体は後ろに体を引っ張られると、倒れかかった。そして、男に抱きかかえられ、ガクリと目を閉じて意識を失った。そもそも、ここは室内、窓から離れた場所。影が床に落ちることは普通にはない。
男は西野をそっと床に寝かせると、立ち上がり、こちらに向かってきた。
「ハク、よく頑張ったな」
黒いスーツの男は、銀縁の眼鏡をかけなおすと、にっこりと微笑んだ。
僕はこの人を知っている。この人は僕を作った人だ。温厚な人間に見えるが、優しくはない。現に僕の体を気遣うどころか、依頼主に真っすぐに向かっている。
「後藤様!大丈夫でしたか!?お父様の依頼で護衛に参りました!」
(そうだ、この人はいつだってそうだ。お客様には愛想がいい。見苦しいくらいに)
カーテンの向こうで諍いがあり、怯えていた後藤と矢野はビクリと震えた。カーテンが開けられると、そこに広がる光景に体が強張る。
床に西野と白崎が倒れていた。
そして、今の状況では場違いな、とても愛想がいい黒いスーツの男がズカズカと入って来る。
「父の?お知合いですか?」
後藤は引き気味に、男に問いかける。男は口角を上げながら、爽やかに答えた。
「はい。セキュリティーアドバイザーの白川貴仁です。よろしくお願いします」
「セキュリティアドバイザー?」
「最近、ライバル企業からの攻撃もあの手この手で。今回は、ご子息が狙われました。多分、西野君は催眠にかけられたのでしょう。でも、大丈夫です。私が解決いたしますので」
後藤は大きくため息をついた。
「そっか…良くはないけど。原因がわかって少し気持ちが落ち着いたよ。白川さんよろしくお願いします」
矢野もほっとしているようだ。白川はにこやかに微笑んでいる。
(契約金、結構もらったみたいだな……あの喜びようからすると)
ハクは起き上がると呆れた視線を主人に向ける。所詮、式神などこんな扱いだ。
白川貴仁はセキュリティアドバイザーとして、著名人や企業と個人契約を結んでいる。護衛術、情報保護、催眠、心理学など専門は多岐に渡り、今の時代に即したサービスを提供している。
そして、知るものは少ないが、僅かな陰陽師の末裔だったりする。