1.その花に近づくことなかれ
一本の桜の木がここにある。それは冬に咲き始め、春には散ってしまう。日本のとある山奥、その桜の木は赤紫の花を満開にしている。遥か昔は京の都にあったらしい。
雪の中で咲き誇るそれは、廃れた神社の境内にある。過疎化した村の神社、その氏神は寂しそうに桜を囲っていた。
「この桜が咲く間は、人は近づくべからず」
それは遥か昔の神主から代々言い伝えられる、この神社の約束事である。時代は移り変わったが、その時々にこの地に住む者はそれを守ってきた。後世になるほどその意味を知る者はいなくなったが、いろんなおとぎ話になぞらえながら、それらは伝えられた。
その桜は妖艶に花弁を開き、その香りを周りに散りばめた。そして、その紅の色は雪に映え、見る者の心を揺さぶる。
「その桜に近づくべからず」
そう警告する者はもう今はいない。その桜を封じる氏神も力を失い始めている。人に敬われ、祀られる、それが無くなったためだ。
桜はその時を待っていたのだろうか?その香りと花により、外から人を呼び込むことに成功した。
「秘境の桜」
それは一般人のSNSで投稿され、その写真はリツィートとされ、大バズりした。しかし、その場所は記されておらず、場所の特定が試みられたが投稿されることはなかった。
カシャ!カシャ!カシャ!!
「やった!ここにあったんだ!!」
5人の若い男女が桜を取り囲み、各人が携帯で桜の木を撮影している。
「ウチら特定第1号だよね!みんなで一斉に投稿する?」
背の低い女子がみんなに声をかけた。
「えー、ここ特定したの一樹でしょ?ウチら付いてきただけじゃん!」
もう1人の女子が遠慮がちに口を開いた。
「おい、ここ圏外みたいだぞ?アップできないぞ」
金髪の男子が携帯を見せながら、女子のもとにやってきた。
「あー、ズルっ!タクぬけがけ!」
「まだやってねぇよ!圏外だから無理!」
「え?ウチのスマホ、アンテナ3本だけど?」
3人は互いのスマホを見比べる。
「あ、俺のも3本だわ………」
「圏外じゃないじゃん!」
そうツッコミながら、タクのスマホを見ていると。タクのスマホの画面が動き出した。
ポツ、ポツ、ポツ
「え……」
「ちょっ……どうなってるの?」
スマホを持つタクの手は動揺する。
「スマホ、乗っ取られたのか!?勝手に動いている……」
「遠隔操作!?ウイルス!?やだ!何か怖いんですけど!!」
タクが撮影した写真に添えられたコメント、それらが一文字づつ消されていく。そして、位置情報も無効にされる。
「ちょっと!電源落としたら??乗っ取られるよ!!」
「電源長押ししてるよ!」
ポチ、ポチ……。
タクが入力した文字が全部削除されると、反対にカーソルが動き始める。
【お ま え た ち は よ く み て お け】
ポチッ
その文字と共に写真がアップされた。
「きゃー!!なに?なに?タク!あんた、ふざけんじゃないわよ!」
女子2人にギャンギャン言われ、タクは言い返すこともできない。自分は何もしていないのに。
(見ておけ?何を?どうして、おれのスマホ!?)
「一樹!助けてくれよ!!」
タクはスマホから視線をあげ、親友を探した。この地に連れてきた、この仲間のリーダーだ。いつも何かがあると一樹が何とかしてくれる。頭が良く、頼りになる奴だが………。
「おい……お前ら、あれを見ろよ……」
タクは手が震え、スマホを下に落とした。その異変に2人の女子も顔を上げた。そして、飛び交う桜の花に目を奪われながら、タクの視線の先を追った。
「うっ!!!!」
人は本当に驚くと声が出ないのかもしれない。片方の女子は腰が抜け、地面にしゃがみ込んでしまった。
「おい……翔太…お前……」
タクは後ずさった。
(何かの間違いだ……さっきまで、皆んなで仲良くやっていただろ?何で?どうして?)
雪が再びチラチラと降り始めた。風に乗って桜の花びらも舞っている。真っ白な雪と紅色の桜は幻想的な風景を創り出している。3メートルはある桜の木は、その枝を大きく広げ、妖艶に舞っているかのようだ。
「タク……救急車呼ばなきゃ」
「え?あっ、そうだけど……翔太が……」
タクは翔太を警戒していた。翔太の手は大量の血で汚れており、白いダウンジャケットには大量の血が飛び散っている。彼の興味がこちらに向かないか、それが気がかりだ。
「ねぇ、私、叫びたいの我慢してる……」
腰を抜かした女子が震える声でタクに言った。
「そうだ……我慢しろ……翔太を刺激するな…」
タクは震える手で口を押さえた。自分が叫んでしまいそうだ。瞳からは涙が出てくる、足は小刻みに震えた。
「お前ら下を向いてろ……」
タクに言われ、2人は震えながら桜の木から目を逸らした。これが夢であったなら、どんなにか救われるだろうか。
「タク……一樹が…このままじゃ…」
「————— 一樹は……死んでるよ」
溢れる涙を堪えながら、タクは何とか自分を保っていた。動かない親友を目にしながら、必死に感情を切り離す。
(自分がこの2人を守らなければ……)
「翔太……お前ら何かあったのか……お前、何をしてんだ……」
翔太は虚な目をタクに向けた。目が合うと、タクの足はさらにガクガクと震えた。
「え…俺…俺はスマホで撮影してた……」
翔太はそう言うと、桜の花びらに目をやった。
「—————そしたらさ…声がするんだ……」
「——-声……誰の声だよ…」
「知らない声でさぁ…許してはだめだってさぁ」
「誰……を…許すって……」
翔太は頭を傾げる。そして、桜の木に目をやった。
「あの男の首を落とせと言うんだよ」
翔太はタクにニタリと笑いかけた。その表情は薄気味悪く、別人のようだ。訳の分からない恐怖が込み上げる。タクは叫びそうになる口を必死に両手で押さえた。
大きな幹の前に、一樹が血まみれで立っている。首には刃物が刺され、その刃先は幹に突き刺さっている。一樹の目は大きく見開かれ、翔太を睨んでいた。
シクシクシク……。
1人の女子が声を抑えながら泣き始めた。
タクは膝をガクガクさせながら、ゆっくりとしゃがんだ。女子2人がタクに近寄ってきた。どちらも恐怖で居た堪れないのだ。タクは落としたスマホを確認すると、そっと右手に潜らせた。
「翔太……その刃物……お前のか?」
翔太は頭軽く振った。
「いや、あの男のだ」
「あの……男って……一樹じゃないか」
タクの言葉に、翔太はもう一度頭を傾げる。
「あの男は、ヒコだ。あの方を追い詰めた。罰を受けるべきだ」
「おい……翔太…しっかりしろよ」
タクは右手のスマホの緊急通報を押した。
(頼む!何とか繋がってくれ!)
それは3人の願いだった。
通報は繋がり、2時間後に警察が到着した。
1人の大学生が死亡した。被疑者は友人の男。目撃者は友人3人。被害者と被疑者の共通の友人だった。
企画に間に合いました。
良かった。
読んで貰えたら嬉しいです。