0.プロローグ(前)
黒魔女裁判や黒魔女の判断基準については、中世ヨーロッパの魔女狩りを参考にしています。
不快な描写もあるので読み飛ばせるよう、次話からざっと内容が分かるようにしています。
→次話:悪魔とのファーストコンタクト
その日は、暗黒領域の魔の手から人間界を救うはずの勇者パーティーから魔王軍に寝返ったとされる女の裁判だった。
集まった群衆たちは彼女を「黒魔女」「逆賊」と呼び、物を投げツバを吐きかける。法廷には、弁護士はおらず異端審問官側の証人と裁判官が彼女を糾弾する。
1. 勇者を唆し、勇者パーティーを陥れようとした罪
2. パーティーに入ってきた聖女ブランシェに対して嫉妬し、殺害しようとした罪
3. 勇者パーティーという誉ある公務職でありながら裏で体を売り不当な収入を受けていた罪
なお、どれも彼女には身に覚えのない事である。
1点目。彼女は今まで唯一の冒険者出身のメンバーとして、それまでの温室育ちからリーダーに抜擢され右も左も分からぬ勇者にアドバイスをする事が多かったというぐらいだ。「唆す」だなんて事は無い。口うるさいという気持ちは分かるかもしれないが、決して彼女のアドバイスによって酷い失敗を迎えた事は無い。むしろ彼女に反抗して身勝手な行動をメンバーがとった結果に失敗するという事が大半だった。
2点目。聖女という力の強い職とは言え冒険初心者であるブランシェに対しては、同性のメンバーとしてよく気を回していたつもりだ。嫉妬も殺害をしようとした事など誓って1度も無かった。
3点目。彼女は決して水商売に手を出した事は無い。この黒魔女狩りで冤罪となり死ぬ女のほとんどが娼婦だった。理由は人間界の閉鎖的な社会と、男性が宗教の上位者にいる以上免れない男尊女卑の風潮のせいである。色々と都合の悪い存在として消すのに黒魔女狩りは良い口実となりえた。
そのため彼女は女1人で世間を渡っていくために生まれてこの方、戦闘に魔道に学問に、たいていの教養を身に着けるのに明け暮れていた。ただ、温室育ちの勇者たちから見れば、冒険者というだけで彼女は「不安定な商売をしている女=水商売」という身分的な固定観念があった。学も家柄も無い彼女が女1人で世間を渡るという難儀な事をやれるはずがない、という理由からである。
また、加えて言っておけば、彼女は冒険先で何かしらの収入があれば必ず冒険者組合または役場を通してパーティー全体の経費にするか慈善事業に募金していたし、差し入れがあってもパーティーで分けていた。不当な収入を隠蔽した事など無い。
それでも彼女は濡れ衣全てを自分がやった事だと認めた。
「被告人ヤマト、罪を認めるか。」
「…はい。」
どうせここで否認したって、自分の味方はいないのだから。拷問を無駄に増やすより、死期を早めた方が賢明だと考えた。
もう元いた勇者パーティーは味方ではないのだ。彼らが彼女を黒魔女だと異端審問官に申し出て、今まさに証人席から彼女をニヤニヤしながら見ているのだから。
これから人間界の平和を叶える勇者パーティーを陥れたという今世紀最大の罪状により醜い拷問死を迎えるはずなのに、彼女は驚くほど冷静だった。
理由の一つは、「それが当たり前であった」という事。
魔族という恐怖に日頃さらされ、物資も年々流通量が減り、苦しい生活を強いられている民衆たちの唯一の娯楽は拷問や処刑といった類の催しなのだ。祭りは自粛されど、処刑は自粛されないのだ。むしろ激化している気がする。
それは勇者パーティーのメンバーにとっても例外ではなかったのだろう。彼女より若い新人の聖女を皆して可愛がるのがエスカレートし、自分を陥れるに至った。陥れたといっても、証拠も提示せずそのまま黒魔女として通ったというのだから、異端審問官側も今世紀最大の処刑に身を震わせて喜んでいるのだろうと感じた。
理由のもう一つは、それによって迷惑のかかる「家族」がいなかったという事。肉親とは音信不通だし、彼女が死ぬ事で大してどこにも影響はないと思えた。
「……黒魔女ヤマトを、死刑に処す。」
歓声が上がる。死刑の際にどんな拷問があり、どのような方法で留めを刺すのか…民衆は期待に胸を膨らませている事だろう。
彼女は裁判所を後にし、また塔に投獄された。彼女はぼんやりと窓の外を眺めていた。
やがて夜が来た。牢獄に足音が響く。パンの欠片でも投げ込みに来たのかと彼女が扉の方を向くと、鉄格子の前にはいやらしい笑みを浮かべた異端審問官がいた。
「やあ、良い夜だね。」
「…どうも。」
異端審問官の中年男性は、彼女の檻に入ってきた。イヤミを言うなら外で良いだろうと思いながらもとりあえず彼女は床から立った。
「黒魔女は、悪魔と通じているから悪なんだ。君だって最初から悪かったわけじゃないんだよ?」
「…でも私が悪い事にはなってるんで。」
「この期に及んで口答えするなんて、本当に君は…深く深く悪魔と『通じて』しまったようだね。神官たる私達には役目があってね、黒魔女を処刑する前に浄化させなければならないんだ。」
「処刑前に説法を聞くというのは初耳です。でも聞きましょう。」
特別信心深いというわけではないが、彼女は冤罪なので来世は神に救われるよう祈る事にした。
が、その男は脱ぎだしたのだ。
「な、何を?!」
「浄化の儀を行うんだよ。私達は神の聖なる力を得ているからね。身体まで悪魔に捧げてしまった君を思ってさ…」
男は彼女に近づく。
「え…私が悪魔と、肉体関係になったって言ってるんですか?」
「そうだよ、黒魔女はそうだ。」
「ええ…私、公務員なのにダブルワークで『人間に』対して身体を売って不正してたって罪状じゃなかったですっけ。」
もちろん濡れ衣で言いがかりなのだが、彼女は自らの罪状を確認した。
「裁判で言及されたのは君の罪、悪魔と通じたのは君が黒魔女になった所以だよ。そうじゃないかい?」
「いいえ、さすがにそれは…」
そもそもその手の悪魔に遭った事も無いのだ。
悪魔というのは魔族の一種で、淫魔・睡魔・原種悪魔などの種類やランクに分かれているが、人間を唆して黒魔女にするタイプの悪魔はかなり力の強い悪魔で、普通は陣営の中にいるもの。だから冒険の道中にモブ(魔王軍の兵)として遭う事なんて無いのだ。
「君は処女検査で乙女じゃなかったそうだね?」
「ええ、まあ…」
心当たりは無いが、なぜか黒と出た。普通に痛かったし再検査の申し出など聞き入れてもらえるはずも無いのでとりあえずそのまま非処女という事で裁判にかけられた。
「君はね、悪魔に大事な初めてを捧げてしまったんだよ。」
「はあ…」
「だからね、より強く君は悪魔に身を捧げているんだ。分かるね?」
「いや…まあ。」
一回きりのものを捧げる相手に悪魔を選ぶという事がそういう意味なのは理解できたが、彼女には一切の心当たりが無いのだ。
「私がそれを浄化してあげようと言うんだ。」
「どうせ私は処刑されるんだし浄化する意味は無いんじゃ…」
彼女はずっと思っていた事を言った。
「君という媒体がいなくなった事によって悪魔が人間界に来たらどうするんだい?処刑の邪魔をするだけならまだしも、報復されるのは怖いよね?」
「はあ…」
悪魔はそんな事なんてしないと思いますけど、という言葉を彼女は飲んだ。悪魔は捨て駒だと思って数名と契約する場合もあると聞くが、それ以上言うとややこしい事になりそうだったからだ。
「良いかい?大人しくするんだよ?」
でもやっぱり彼女は、目の前の中年男性に「浄化」される事に激しい拒絶を覚えた。
検査では黒と出たが、やはり気持ちは乙女のまま。初めてをこんなむさいおっさ…変な理論を振りかざす口が臭い中年男性に捧げるというのはある意味で拷問である。
中年男性は彼女の肩を抱いた。温度を持った口の生臭さがより濃くなる。絶対こいつ数日前にニンニクと玉葱を使った料理か魚の干物をつまみに深酒してから歯磨いてないだろ、と彼女は思った。
「やっ、ちょっと…」
「君、胸当てをしてるんだね。へえ~、だから実際は大きいんだ。」
「ちょっと、やめてください。」
男を押しのけながら彼女は抵抗できる策を探した。しかし、塔の中にそんなものがあるはずもなかった。
変色しかさついた唇が彼女を襲う。彼女は絶望したが、もう諦めた。
男に身体をまさぐられながら彼女は「浄化」中ずっと塔の果てしない天井を見ていた。
自分はそんなに価値の無い女なのだろうか?
少なくとも容姿は平均以上あるだろうし、冒険者としてはステータスも高いし、捕まるまではお金もかなりあったし、そこそこの男性を選べたはずだ。それなのに、なぜ好みでない相手からおかしな理論で犯されたのが記憶の中でのバージンだったのだろうか。
色恋には無縁の人生だったが、さすがにこればかりは許し難かった。彼女は憤りを覚えたが、格子でしか覆われていない窓からの冷たい風にすぐ冷静になり、こう思想を転換する事にした。
「そうか、私はきっと強い悪魔にバージンを捧げたんだ。」
その罪によってあの男は異端審問官としての職務を全うしただけの事。
記憶に無い…つまり記憶が飛ぶ程にそれはそれは甘い時間を過ごしたのかもしれない。記憶の中では上位悪魔に遭遇していない事になっているが、きっと禁断のロマンスがあったのだろう、と。
勇者パーティーに陥れられた事と言い、誰1人として自分を庇わない民衆と言い、異端審問官からレイプされた事と言い、彼女はこの日に起こった事全てを特に気にしないように収めたのだった。
しかし、ここで困った事態が発生する。彼女は、どうしてもその(妄想の)相手を確定して死にたくなってしまったのである。
人間なら濡れ衣だ托卵だ何だとこういう事態は避けるが、相手はプライドの高い悪魔だ。「ふははは、貴様のようなメス豚の相手をしてやった事を光栄に思うが良い!」とテキトーな返事をしてくれる場合も十分にありうる。したがって、彼女は割と高い希望を持てていた。
☆ロード中…☆
やがて、朝が来た。
彼女は無理やり立たせられ、広場に引っ立てられる。
広場には既に物騒な器具が揃えられていた。彼女は作りの粗末な拷問椅子に座らせられ、身体を固定された。
「今から黒魔女・ヤマトの処刑を始める!最後に言う事は無いか?!」
さるぐつわを外され、彼女は空を見た。地には、彼女に罵声や石を浴びせる群衆がいてこんなにもうるさいのに、空は雲一つなく晴れ渡っている。彼女は、こんな晴れた日が人生最後の日で良かったと呑気に考えていた。
「…【転移】・前方・悪魔族、男、ランダム。【転移】・前方・悪魔族……」
彼女はその相手に会えるよう、ダメ元で自身の前に条件を指定した相手が現われる呪文を唱え始めた。悪魔に会って向こうが自分を犯した、自分は契約者だと言いさえすれば、ちゃんと刑は受けるつもりである。上位悪魔であれば、仮に人間界の本陣まで召喚されてもやられずにすぐ撤退出来るはずだ。そのためには、上位級の中でも強い悪魔を召喚する必要が出て来る。
シジル無しで強い悪魔を召喚するため、彼女は呪文を最後まで唱えず、途中の部分までを繰り返し続けた。これは最後のコマンド発動の文句が出されるまで途中の詠唱を繰り返す事により、その精度が上がるから。コストをかければかけるだけより高次なものが出て来る、呪詛返しの応用で彼女が開発した通称「コスト系ガチャ呪文」の一種だ。
ただしこれは「今、自分の身の周りにそれが無いという不幸(他に起因するものという前提)」に対する呪詛返しという黒魔道の一種なので、建前白魔女として生きてきた彼女は使ってはいけないのである。でももう、彼女は黒魔女なのでそんな建前に関係なく使えるのだ。
彼女のうめき声に思える程低い声が何を意味しているか悟った執行官は、慌てだした。
「やめろっ!」
殴られて彼女はいっそう声を張り上げた。今から拷問が始まるのだ。邪魔される前に詠唱を終えなければならない。
「やめるんだ!」
「…悪魔族、男、ランダム!」
執行官にかき消されぬよう彼女が叫ぶと、前方にいた民衆の識者…勇者パーティーは彼女の詠唱の一部に気付いた。
「まずい!悪魔を召喚する気だ!」
悪魔族という言葉を聞き取って勇者が叫ぶ。
すると、黒魔女の処刑に胸を躍らせていた民衆は興奮が冷めぬまま一気にパニックになった。それもそのはず、少し前に黒魔女が処刑中に悪魔召喚の呪文を詠唱し、村が1つ魔族の襲来によって滅んだのだから。まして首都に魔族が襲来された日にはどれだけ甚大な被害が出る事であろう。
「…悪魔族」
「うわああああああっっ!!」
パニックになった護衛兵の1人が彼女に向かって駆ける。
「男、ランダム!【精算】・【実行】!」
次の瞬間、彼女の心臓が勢いよく破裂し、蓄えていた血液が胸元に刺さった刃の隙間から、あるいは逆流して口から、鼻から、目から、勢いよく飛び出した。
「うわああああ!!」
護衛兵は彼女と椅子に槍を突き刺したまま、軍服のナイフホルダーから出した小刀で彼女を何度も突き刺した。
執行官が止めた時、椅子周辺は血の海で、なぶり殺され苦しみながら死ぬはずの魔女の上半身はもう肉塊と化していた。
こうして、即死とはいかずとも有史以来の大悪党とされた黒魔女ヤマトは10秒しない内に息絶えたのである。詠唱を完結させてしまった上、あっさりと死なせてしまったこの事件は、有史以来の司法の不手際とされ、後に語り継がれた…。
ここで終わる事は無かったのである。人魔戦争が引き起こしたこの事件における本当の悪夢はこの後なのである。
パニックになった会場が静まった時、執行官や護衛兵は気付いてしまった…。
先程まで「人間だったモノ」があったその椅子には、肉塊の代わりに墓標が立っていた事を。黒魔女ヤマトは…どこかにリスポーンしてしまったのだと墓標が物語っていた。