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気晴らし

作者: 西野ハズキ


 「…危ない、転ぶところだった」


 キョロキョロと周りを見渡すが、偶然にも通行人は一人もいなかった。そのことに安堵しながら、再び歩き出す。嗚呼、良かった。ここで転んでいたら、今日は一日中災難な日になるところだった。一つくらい良いことが起こって良かった。


 季節は二月。先週、関東地方でも数年ぶりに大雪が降った影響で道路は凍り、滑りやすくなっていた。ほぼアイスリンクの状態だといっても過言ではない。そんな日なら、まっすぐ家に帰ってぬくぬくと過ごすのがベストだとは思うが、今日は目的場所があった為、こうして徒歩で向かっているのである。


 何度も滑りそうになりながら、やっとの思いで到着しドアを開けると、カランカランと静かになるベルとともに、香ばしいコーヒーの香りが漂ってくる。嗚呼、やっぱり落ち着くなあ、と思いながら奥に進む。「いらっしゃいませ」と落ち着いた店員さんの声に、毎回ほんの少しだけ緊張を覚えるのは何故だろうか。そうしていつも通り、コーヒーのМサイズを注文し終え、店内を見回たせば、平日の午後4時半というなんとも微妙な時間にも関わらず、客席はそこそこ埋まっていた。

 

 窓際の二人席に腰かけ、ミルクと砂糖をたっぷり入れてから、ホットコーヒーを一口飲んだ。冷え込んだ体にはよく染みる温かさだ。本当はここで大人らしく、ミルクも砂糖も入れずに飲みたいところだが、生憎私にはそれが無理だった。今ではミルクと砂糖を大量に入れれば、なんとか飲めるようにはなったが、以前はそれですら飲めなかった。そう考えれば随分と成長したものだ。「コーヒーはこの苦さが癖になるのよねえ」と母親は言っていたが、甘党な私にとってはなんとも理解しがたいものである。

 

 一息ついてふと周りに視線を移せば、こじんまりとしたアンティーク調の落ち着いた店内には、今日も実に色々な人達がいた。一際目立つ赤色のヘッドフォンを装着し、窓の外をぼんやりと眺めている男性。落ち着いた店内には似つかわしい、大きな声で世間話に花を咲かせる、中年の女性二人組。そんな二人組に迷惑そうな視線を浴びせながら、テスト前なのか机いっぱいに参考書を広げ、勉強している制服姿の女の子。


 そんな人達の姿を眺めるのが、私は好きである。一見人聞きの悪いように聞こえるかもしれないが、色々な人達がそれぞれの目的を持ってここへ集う姿を見ていると、不思議なことに元気が湧いてきて、自分の悩み事が吹き飛んでしまうからだ。世の中色々な人がいるのだから、色々な事が起こるのは当然なのだ、と割り切った気持ちになれるのである。


 それにしても、と視線を下に下げる。嗚呼、今日の二限のグループワークなんて本当に最悪だった。教授の思いつきにより、くじ引きで班を決められたおかげで友人達と見事にはぐれてしまい、お得意の人見知りを発揮してしまった。同じグループの人達のやりづらそうな顔を思い出す。やっとの思いで授業を切り抜け、三限に提出するレポートをコピーしに図書館へ行こう、としたタイミングで、今度は緊急でサークルのミーティングが入ってしまった。内容は物凄くどうでもいいことだったし、さっさと切り上げたがったが先輩の前でそんなことは出来ない。おかげで授業に少し遅刻してしまった。どうにかこうにか学校が終わり、気持ちを切り替えてバイト先へ向かったところ、今度は自分のシフトの確認ミスで、今日はシフトが入っていなかった。店長はおっちょこちょいだなあ、と笑いながら「せっかく来たんだし、働いていくか?」と私に聞いたが、なんだか今日はとんでもないミスを犯しそうで怖かったため、丁寧にお断りした。


 こうして今日一日を振り返ってみると、どれも些細なことだが、非常についていない一日だった。だからこうしてカフェへやって来て、気持ちを切り替えることは、私にとっては無くてはならない大切な時間だった。嗚呼、やっぱりここのコーヒーは美味しいな。何もかもスッキリさせてくれるような、そんな気がする。


 再び周りを見渡せば、相変わらず赤色のヘッドフォンをした男性はぼんやり遠くを眺めているし、大声で話す女性二人組の話題は一向に尽きることがない。参考書を広げている女の子はもう諦めたのか、そんな二人組が視界に入らないようにしながら勉強をしている。皆が皆、様々な目的で一つの場に集まっている。それがなんとなく不思議で、けれど心地の良いものである。嗚呼、今日もここに来てよかった。明日もまた頑張ろう。


 「ありがとうございました」という店員さんの声に軽く会釈をし、私はカフェを後にした。


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